日米友好の証しの市松人形「3代目」 絵でミシシッピ州へ寄贈 松山の日本画家制作

初代、2代目の人形を描いた絵に込めた思いを語る岸本章子さん=松山市
初代、2代目の人形を描いた絵に込めた思いを語る岸本章子さん=松山市

 戦前の昭和2(1927)年、日米友好の証しとして米国から贈られた「青い目の人形」。そのお礼に全国の市松人形が米国に渡った。愛媛県からは戦前、戦後と2体の人形が米ミシシッピ州の図書館に贈られたが、いずれもハリケーンで流失している。「3代目」として松山市の日本画家、岸本章子さん(73)が描いた2体の人形の絵が贈られることになり、人形を通じた日米親善を伝える。

 「青い目の人形」は昭和2年に約1万2千体が米国から贈られ、日本各地の学校で保管されていた。ただ、日米開戦とともに多くが壊され、現在も残っているのは約300体。一方、同じ年に実業家の渋沢栄一さんが中心になり、全国の市松人形58体が米国に贈られた。

 愛媛の人形「ミスえひめ」はミシシッピ州の図書館に保管されていたが、昭和44年にハリケーンで流失。その後、松山市の日米人形交流実行委員会が募金を呼びかけ、2代目の人形が同63年に寄贈されたが、平成17年のハリケーン被害で再び流失した。

 「青い目の人形」の来日から今年で88年の「米寿」を迎えたことから、同実行委は今月、岸本さんが描いた2体の人形の絵をハリケーン災害復興10周年の式典に合わせて寄贈することになった。

 「青い目の人形」は愛媛には214体が贈られ、5年前に95歳で亡くなった岸本さんの母、吉野義子さんが松山市内での小学校の歓迎会で児童を代表してあいさつをしている。岸本さんは「多くの人に見てもらい、日米が贈った人形が友好の証しだったことを思いだしてほしい」と話している。

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