番頭の時代(6)

「スカイライン」ブランド廃止 番頭「志賀俊之」は真っ向から外国人役員に食ってかかった

ゴーン氏に出会った当初から〝女房役〟が自らの役割だと自覚したという志賀俊之氏。最高執行責任者(COO)に就任した当時の志賀氏㊧と、ゴーン氏=平成17年2月21日
ゴーン氏に出会った当初から〝女房役〟が自らの役割だと自覚したという志賀俊之氏。最高執行責任者(COO)に就任した当時の志賀氏㊧と、ゴーン氏=平成17年2月21日

仏ルノーの最高経営責任者(CEO)を兼務する日産自動車社長のカルロス・ゴーンは、就任当初から「仕事は4割が東京、パリが4割、残り2割がグローバル経営と米国などへの出張」といってはばからない。最高執行責任者(COO)としてゴーンを支えた志賀俊之ならば「自分が不在でも現場の判断を任せられる」という全幅の信頼の表れだ。

実は8年7カ月のCOO在任中に、志賀がゴーンと同じ壇上に立ち、会見に臨んだことは就任時を除いて一度もない。日本向けの新車販売の発表会などは志賀が大半を取り仕切り、ゴーンは経営発表会見を主に手掛けた。

ゴーンを経営の師と仰ぐ志賀は、出会った当初から女房役が自らの役割だと自覚していた。業務分担以上に、一歩引いた立場で「番頭」としての務めを貫くことができたのだ。志賀はいう。

「あうんの呼吸だったね。彼がいいそうなことはいつも頭に入っていた」

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志賀は、平成23年3月11日に発生した東日本大震災でも、留守を預かる「番頭」として危機対応の陣頭に立った。

「業界が一丸となって再開を目指したい」

日本自動車工業会会長だった志賀は、震災から1週間足らずの17日、定例会見でこうアピールした。

志賀は震災の発生直後から、トヨタ自動車社長の豊田章男やホンダ社長の伊東孝紳らライバル企業のトップと、携帯電話で連絡を取りあった。被害状況や今後の対応などの情報を共有し、未曽有の大災害に「オールジャパン」で取り組む姿勢を打ち出すためだ。

普段はライバルでも、有事には一枚岩となる。自動車産業の結束力を内外に示した志賀の対応は、多方面から評価された。危機対応で信頼感を高めるその姿に、関係者は「ゴーンに通じるしたたかさを感じた」という。

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