昭和天皇実録公表

終戦への道でリーダーシップ 抗戦派を説得 謁見回数、影響力裏付け

 昭和天皇がポツダム宣言受諾を決意し、明確なリーダーシップを発揮するのは、ソ連参戦の情報を得た8月9日午前からだ。10日未明の御前会議で「ご聖断」を下し、その後も元首相の重臣たちを集めて意見を聴取したり、抗戦派の阿南陸相を説得したりする様子が実録に記されている。

 鈴木内閣発足から終戦までの4カ月間で側近らによる謁見回数は、木戸内大臣が最多の102回、梅津参謀総長が55回、鈴木首相が43回など。和平派と抗戦派の意見が錯綜(さくそう)する中、政府や軍部の内情に通じた木戸内大臣の意見も聞きながら終戦へ筋道をつけた。

 土田宏成(ひろしげ)・神田外語大准教授(日本近現代史)は「昭和天皇が終戦を決断するに至ったのは、大規模な空襲や沖縄戦、原爆投下などの惨禍に衝撃を受け、国民や国家の存続の危機を感じたことも一因と考えられる」と指摘している。

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