天衣無縫の芸風 狂言師 茂山千作さん死去(27日、京都市左京区・金戒光明寺)

 「万人に愛された人柄と、記憶に刻まれる天衣無縫な芸。これだけの狂言師は後にも先にも出ない」

 大蔵流狂言の人間国宝、山本東次郎さんの弔辞に象徴されるように、千作さんのお別れの舞台には約900人が参列した。

 祭壇に続く通路には、「ワーッハッハッ」という笑い声が聞こえてきそうな千作さんの舞台姿の写真が十数枚飾られ、笑いと涙を誘う。哲学者の梅原猛さんも弔辞で「あなたの笑いで希望を与えられた日本人は10万、100万、いや1千万人かもしれない。私もその一人」と功績をたたえた。

 大正8年、京都の大蔵流狂言の名門、三世茂山千作さんの長男として生まれた。昭和20年代後半には当時の能楽界ではご法度だった、和泉流の野村万作兄弟と異流共演を行うなど革新的な活動も。多くの舞台で共演してきた人間国宝の野村万作さんは「初めてお会いしたとき、千作先生は30代半ばですでに洒脱(しゃだつ)な芸。こちらは20歳ちょっとの若造で硬い演技。京都と東京という違いもありましたが、そんな壁を乗り越えてしまうほど人間的魅力の大きい方だった」と振り返り、「人間の生きざまのバイタリティーを狂言を通して示された」としのんだ。

 狂言界で初の文化勲章を受章するなど栄誉を極める一方、長男の千五郎さんをはじめ、息子、孫、ひ孫と大勢の家族、後継者に恵まれた。

 出棺。一門全員が謡う「祐善(ゆうぜん)」が流れる中、名コンビとうたわれ、3年前に亡くなった弟、千之丞さんのもとに旅立っていった。

 23日死去、享年93。(亀岡典子)

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