昭和流行歌編<166>松平 晃 共演者との結婚と破局
松平晃の私生活に大きな変化をもたらすのは映画を通じてだった。
娯楽としては映画が王様の時代であったが、昭和に入って流行歌が徐々に大衆の間に浸透し始めていた。映画会社がこの流行を見逃すはずはなく、映画と流行歌はタイアップして、娯楽を生み出していく。最初は主題歌としての起用だった。次の段階は歌手を俳優そのものとして迎え入れた。特に甘いマスクの松平が俳優として登場するのも自然な流れだった。
松平は松平不二男の名前で1933(昭和8)年、日活映画「振分け小平」の主題歌を吹き込んだ。それから4年間で主題歌を10曲ほど吹き込んでいる。俳優として主演した映画は1936年の新興キネマ「初恋日記」などがある。
松平はほれっぽい、いちずな性格だった。「初恋日記」の共演女優は伏見信子という当時の人気女優だった。主題歌も二人でデュエットした。
〈(男)あの時があったから
(女)あの時があったから
(男)あなたは私のものなのよ
(女)私はあなたのものなのよ〉
× ×
この歌の中の「あの時」を二人の人生に当てはめれば映画の共演である。作詞家の高橋掬太郎は『流行歌三代物語』の中で次のように記している。
「二人は、それまで何も親密な間柄ではなかったのだが、吹き込みをやっている間に気分が出たのであろう。スタジオから姿を消して四、五日経つと、仲良く肩を抱き合って撮った写真を、熱海から送ってきたので、私達は、思わずアッと開いた口がふさがらなかった」
人気女優と人気歌手が手に手をとっての失踪。現在の芸能ジャーナリズムでは一大スキャンダルとして報じられてもおかしくない事件だった。
信子の姉の直江もまた、人気女優だった。伏見姉妹は新派の旅役者、伏見三郎の子どもで、幼少のころから子役として舞台を踏んでいた。直江は時代劇スターだった大河内伝次郎(福岡県豊前市出身)と同居までした仲だった。この恋愛騒動も映画界をにぎわした。
大河内と直江の恋愛は破局するが、松平は信子と結婚した。伏見姉妹は一座を率いて旅芝居もしていた。
「松平も一座に加わって。恋女房を対手に、甘い芝居をやって歩いていたが、どういうものか長くは続かず、別れてしまった」(同書より)
二人の結婚生活も一年余で破局した。
時代は戦時下の暗い時代に入っていた。時代だけでなく、松平の明るいスター人生も陰りを見せ始めていた。 =敬称略
(田代俊一郎)
=2013/07/16付 西日本新聞夕刊=