新選組参謀の伊東甲子太郎、生家示す絵図見つかる
幕末に新選組で参謀を務めた伊東甲子太郎(1835~67年)の生家を記した絵図が見つかったと「かすみがうら市歴史博物館」(茨城県)が明らかにした。同館によると、下級武士と考えられてきた父が中級武士だったことが読み取れる。千葉隆司館長は「伊東の生まれた環境を知る上で一級の資料だ」と声を弾ませる。
志筑領(現在のかすみがうら市)の武家屋敷の配置が描かれ、伊東の父、鈴木三四郎の家も記載。隣家に領主の侍医の名前がある。三四郎は一揆の取り締まりなどにあたる立場の下級武士と考えられてきたが、侍医と同じようなランクで、中級武士だった可能性が浮かんだ。
別の資料などとの関係からも、千葉館長たちは伊東の生家である可能性が高いと分析。伊東は幼少期をここで過ごしたとみられる。
伊東は京都の治安維持にあたっていた新選組に参謀として入隊した。だが、局長の近藤勇らとの考えの違いなどから脱退。67年に京都で新選組隊士に暗殺されたと言われている。
絵図は歴史博物館に寄贈された資料から見つかった。千葉館長は「幼少期から高い水準の教育を受け、エリート階級と交流していたとうかがい知ることができる。絵図に名前がある別の武士の資料からも伊東との関係の研究が進められる」としている。
〔共同〕