佐川急便、企業間物流に回帰 SGHDきょう上場
佐川急便を子会社に持つ持ち株会社、SGホールディングス(HD)が13日に東証1部に上場する。創業から60年。「飛脚」マークなどを通じて一般に知られているが、非上場だっただけに会社の経営構造は分かりにくい面が多い。上場で経営の透明化が一段と進むとともに、2016年に資本提携した日立物流との経営統合がより現実に近づく可能性がある。
東京・銀座の新名所となった商業ビル「GINZA SIX」。ブランド店が軒を連ねるなか、ベージュのスーツを着た従業員が台車で荷物を運んでいく。ホテルの荷物係のようにも見えるが、佐川の従業員だ。佐川は4月の開業時から施設内の物流業務を一手に引き受けている。
商業施設ではテナントに多数の運送会社が納品するため混乱しやすい。佐川は荷さばき場と貨物車用の駐車場を運営。テナントと運送会社から納品の予定を聞いて日程を調整し、施設内の各店舗に配送する。
佐川は「館内物流」と呼ぶ同様の事業を「東京ミッドタウン」や「東京スカイツリー」など約40カ所で手掛ける大手だ。施設の開発段階から参画し、効率の良い配送の仕組みづくりに携わる。SGHDの町田公志社長は「出荷人と荷受人の間に入って物流の付加価値を高められる」と話す。
京都―大阪間の商業貨物で創業者した佐川は、1998年に従来の小口貨物を宅配便扱いに切り替え始めた。インターネット通販による個人への小口貨物の配送需要が高まり始めたことに加え、「宅急便」で企業イメージやブランドが親しまれているヤマト運輸に対抗する狙いもあった。
商業貨物で始まっただけに法人顧客を多く抱える。人手不足に伴うコスト増で宅配便の収支が厳しくなるなか、2013年にアマゾンジャパンとの取引を中止。同年3月期に、460円まで下がった宅配便の平均単価は511円まで回復した。
企業間物流の原点への回帰するなかでの大きなステップが日立物流との提携だ。延べ床面積が3万2000平方メートルの日立物流の沼南物流センター(千葉県柏市)の一角で、佐川の従業員がきびきびと荷物を仕分ける。佐川は提携後、センター内に宅配便の荷さばき場を設けた。
センターは日立物流が荷主からスポーツ用品や衣料品を預かり、店舗や通販用に出荷する。通販用は近隣の佐川の営業所に運んで消費者に発送していたが、センター内に佐川の荷さばき場を設けて直接発送に切り替えた。センターに出入りするトラックの運行時間を1年間で延べ約1万時間(32%)削減できた。
2社の協力の舞台は海外に広がる。佐川はベトナム、日立物流はタイにそれぞれ全土を網羅する輸送網を持つ。両国に接するラオスに中継拠点を設け、16年10月から3国間の輸送を始めた。これらの取り組みの結果、SGHDの17年3月期の連結営業利益は494億円と、ヤマトHDの348億円を上回った。
上場で株式の価値が定まり、流動性も高くなるため日立物流との統合がしやすくなる。「アジアを代表する総合物流企業グループ」をめざし、最短で19年4月の経営統合を視野に入れる。実現すれば単純合算で時価総額は8000億円超となり、7000億円強の日本通運を上回り、ヤマトHDの1兆円弱に迫る。売上高ではヤマトHDを抜き、日本通運に迫る。
上場すればこれまで以上にコンプライアンス(法令順守)が求められる。駐車違反の身代わり出頭や残業代の未払いが問題になったのは記憶に新しい。町田社長は「適切に対応した」と話すが、かつて不祥事があっただけに、同様の問題が起これば市場の厳しい目にさらされることになる。
町田社長は上場の目的の一つに「優秀な人材を確保しやすくなる」と語る。16年12月は佐川を含む大手宅配3社で一部に遅配が起こったが、17年12月はそれ以上の貨物需要で宅配の現場では緊迫した状況が続く。上場直後から真価が問われる。
■ 会長の栗和田氏、普通の会社への25年 ■ ■
SGHD会長の栗和田栄一氏は前身である旧佐川急便の社長に1992年に就いて以来、トップを務めてきた。上場は同氏が進めてきた経営改善の歩みの大きな節目でもある。度を超えた厳しい労働や「東京佐川急便事件」などで特殊に見られがちだった会社を「普通の会社」として認識してほしいとの意識が強い。
佐川急便は佐川清氏が1957年に京都で小口の商業貨物を配達する「飛脚業」で創業。当初は荷物を徒歩で駅に運び、京都―大阪間を鉄道で輸送した。その後、トラックで企業間を結ぶ事業に発展させた。
栗和田氏は清氏の実子だが、父と別れた母の下で母方の姓を名乗って育った。高校卒業後に国鉄に入社し、地元の新潟で働いた後、父が経営する佐川に入った。セールスドライバーからスタート。その後も姓を変えず、「父への気持ちはかなり複雑」(佐川急便関係者)と言われる。セールスドライバーの経験をもとに労働環境の改善を清氏に進言し、「生意気を言うな」とはねつけられたこともあるといわれる。
佐川は77年に全国の配送網を築き、大手運送グループに成長した。だが、91年に中核会社だった東京佐川急便が暴力団系の企業などに多額の融資や債務保証をして5000億円超が回収不能となる事態が発覚し、その後に同社の渡辺広康元社長らが特別背任で逮捕される事件が起こった。自民党の金丸信元副総裁にヤミ献金を送っていたことも明るみになり、グループ消滅の危機に陥った。
主要銀行がグループ各社を統合することで自立再建を支援する方針を決定。栗和田氏が大阪佐川急便社長から統合会社の社長に就任した。
2006年に佐川の名を使わないSGホールディングスを中心とする持ち株会社体制に移行。07年にはトラックなどの飛脚マークを廃止し、現代のセールスドライバーの図柄にした。
その発表会見で「長年愛されたマークの変更にはかなり勇気のいる決断だったが、進化し変革する姿勢を内外に示すことが重要だ」と話した。飛脚マークは清氏が描いたイラストがもと。父の時代からのイメージを変えたい気持ちの強さの現れとささやかれた。
絶対的な力を持つオーナー経営者だが、社内世論の風向きに敏感でバランスをとることにたけていると言われる。05年に設立したギャラクシーエアラインズで航空輸送事業に進出したが、機材のトラブルや燃料高騰で先行きへの厳しい見方が社内に広まると、08年8月に撤退を決めた。国有企業と組んでいち早く中国に本格進出したが、その後の展開は急がなかった。こうした慎重さが採算性が低下した宅配便の事業拡大を抑え、企業間物流に軸足を戻したことにつながったのかもしれない。
(村松洋兵)
[日経産業新聞 12月12日付]
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