<日刊スポーツ映画大賞:助演女優賞・樹木希林(わが母の記、ツナグ)>◇28日◇ホテルニューオータニ

 第25回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞(日刊スポーツ新聞社主催、石原裕次郎記念館協賛)の授賞式が行われた。2度目の助演女優賞を受賞した樹木希林(69)は、会場に向かう途中から50年余りの役者生活を振り返っていた。

 「自分では(役者を)すぐやめると思っていました。転職して別の世界に行ってもやれると思ってました。でも、芸能界だからやれたのかな~と。(芸能界は)きれいも汚いも、生きるも死ぬものみ込んで吐き出して流れていく大きな大きな川だから、私も泳がせてもらえました。この年になって謙虚になりました」

 前年の助演女優賞受賞者で、表彰盾を贈った加賀まりこ(69)が、来月15日に70歳になる樹木の謙虚さに驚き、「謙虚なことを言うと、(健康が)心配になるのでくれぐれも気を付けてください」と言うと、「蟄居(ちっきょ)します」と返した。

 蟄居(家の中に引きこもる)宣言について樹木は、終了後、「これからは落ち着いて過ごそうかな、と。最後の締めくくりに向かって」と話した。来年の仕事も白紙という。

 一方で出演オファーは絶えない。控室には俳優や映画関係者が大勢集まり、樹木を囲んだ。「ツナグ」で共演し、祝福の花束を贈った松坂は「本当に勉強させていただきました。最後まで底が知れない、つかめない方でした」と話した。他に替え難い才能と称賛され、世代を問わず慕われる樹木。蟄居するにはまだまだ早いと思わせた。【小林千穂】

 ◆わが母の記

 小説家の伊上洪作(役所広司)は幼少期に両親と離れて暮らした。捨てられたようなものと軽口を言うが、その思いを引きずっていた。父(三国連太郎)が亡くなり、母八重(樹木希林)は少しずつ物忘れがひどくなっていく。その姿にいら立ちや戸惑いを隠せないが、後に母の本当の思いを知ることになる。原田真人監督。

 ◆ツナグ

 高校生の歩美(松坂桃李)は亡くなった人と1度だけ会わせる使者ツナグを務める祖母アイ子(樹木希林)の見習いで「死者に会えるのは生涯1度に1人だけ」「死者も生者に会えるのは1度だけ」「会えるのは月の出た夜に夜明けまで」と客に伝えるのが仕事。客として横柄な中年男、同級生女子らの依頼を祖母に仲介する中、ツナグの存在意義を考え始める。平川雄一朗監督。

 ◆樹木希林(きき・きりん)1943年(昭18)1月15日、東京都生まれ。61年に文学座研究生に。当時の芸名は悠木千帆。64年ドラマ「七人の孫」で演じた東北弁のお手伝い、おとしさんで注目され、「時間ですよ」などに出演。73年に歌手内田裕也と結婚。77年に改名。映画代表作は「鶴-つる-」「半落ち」「悪人」「歩いても歩いても」など。