休場力士同士が対戦した2番が、「両者不戦敗」となった。

1つは西三段目19枚目の小原(23=浅香山)-東三段目21枚目の琴ノ藤(佐渡ケ嶽)、もう1つは西幕下54枚目の琴大樹(28=佐渡ケ嶽)-東三段目5枚目の魁郷(19=浅香山)。

いずれも部屋に新型コロナウイルス感染者が出て途中休場となり、「両者休場のため、両者不戦敗となります」というアナウンスが読み上げられた。

不戦勝・不戦敗制度が始まったのは1928(昭3)年3月以降。突然の腹痛、廃業、遅刻などで両者不戦敗となったケースがあるが、過去をさかのぼっても数えるほどしかなく珍しい事例だ。

 

<過去にあった両者不戦敗の一例>

◆一人廃業 1995年春場所2日目、序ノ口の取組で沖ノ石が病気休場、相手の矢風が廃業したため、両者不戦敗となった。

◆遅刻 78年(昭53)夏場所4日目、序ノ口の取組で、川村が病気休場したが、対戦相手の富士ノ浦も遅刻してしまい、両者不戦敗となってしまった。

◆突然の腹痛 85年春場所初日、序ノ口の取組で星泉と大草が、それぞれ腹痛を起こしてしまい、両者とも土俵に上がれず、不戦敗となった。