その番付には不相応と思える報道陣の数に、少しばかり、けげんそうな表情を浮かべながら問いかけてきた。「何? どうしたの、こんなにいっぱい。何かあったの?」。オレ、何も悪いことしてないよ、とでも言いたげに、いぶかしがるような目だった。

「関取に戻るまでは、こうやってマークさせてもらうからね」。私はそう返した。354日ぶりの勝ち名乗りを受けても緊張でこわばっていた顔が、何かが崩壊するようにフッと和らぎ、照れくさそうな笑みを浮かべた。

今年3月の春場所初日、観客も数十人とまばらなエディオンアリーナ大阪。番付を西序二段48枚目まで落とした照ノ富士(28=伊勢ケ浜)は5場所、287日ぶりとなる本場所の土俵に復帰した。18歳の若野口(西岩)を問題なく、はたき込みで破り白星。支度部屋で、ひとしきり取材対応した後、まだ緊張冷めやまぬ中で交わしたのが、冒頭の会話だった。

そうはいっても「関取復帰は長い道のりだろうな」というのが、偽らざる私の気持ちだった。だが、それから序二段、三段目を各1場所で通過。苦戦も予想された幕下も3場所と、所要5場所で再十両=関取復帰を決めた。1年半か2年近く…という私の想定は見事に外れた。

本人の努力はもちろん、本人が話す周囲の支えが何よりの原動力だろう。手術までした両膝のケガ、糖尿病という内臓疾患との闘いは相当なものだったろう。もう1つ、勝手な私見だが「自分と素直に向き合った」ことが、何より関取復帰を加速させたと思う。

あの春場所初日以来、私用で本場所に行けなかった時を除き、照ノ富士の全ての取組をスマホの動画に収め、取組後の取材に足を運んだ。そこで大関時代と打って変わり「えっ」と驚いたことが、報道陣への言葉遣い。ぶっきらぼうだった関取時代には使わなかった敬語を、頻繁に取材対応で口にしていた。こちらとしては、あのヤンチャで、相手を見下ろしたような言葉遣いも、彼らしくていいと嫌いではなかった。

オレは大関経験者なんだ…。そんなプライドを捨てきれず、心の中に残っていれば、以前と変わらなかっただろう。それを、文字通り一からのスタート、心を真っさらにして自分と向き合ったからこそ、勝っても負けても一喜一憂せず、32勝3敗という数字を残して復帰への階段を上ったのだと思う。「新十両を決めた時よりうれしかった」。九州場所で7戦全勝の幕下優勝を決めたときの第一声は、生まれ変わった自分を再発見できたからこそ、出てきた言葉だろう。

同じように、幕内上位で活躍しながらケガで幕下まで転落し、引退の瀬戸際で闘いながら関取復帰を果たした豊ノ島(36=時津風)の一挙手一投足も、幕下転落から3年あまり見続けている。やはりプライドとの闘いがありながら、相撲に対し素直に向き合っていることを感じる。華々しい活躍をする取材対象を何人も取材してきたが、こうして必死にもがきながら、V字回復するドラマと付き合うのもいい。何より人間味を感じさせてくれる。人間、良いときもあれば悪いときもある、でもまたいい時もやってくる-。誰かが、意地悪げに言ってくれた。関取復帰請負人記者? うん、それもまた悪くはないな。(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)