日本ハム上原健太投手(23)が、西武19回戦(札幌ドーム)でプロ初勝利を挙げた。5回1死一塁の場面で、左手人さし指から流血するアクシデントも続投。5回5四球と制球に苦しみながらも、責任投球回を3安打無失点で投げきった。この日、甲子園では母校広陵がベスト4進出を決めた。自身は2年夏にベンチ入りも、登板なし。聖地では夢を果たせなかったが、プロでは5度目の先発で待望の白星を手に入れ、チームに2カード連続の勝ち越しをもたらした。

 端正な顔が、あまりの歓喜で壊された。2点リードの5回2死一、二塁。西武メヒアを右飛に打ち取ると、上原は目いっぱい両手をたたき絶叫した。血でにじむ左人さし指も、関係ない。「痛くはない。それで投げてきているので」。3回にマメが破れ、流血した。ロジンを使い投げ続けたが、5回に制球が定まらなくなり、1死一塁となったところでベンチに戻り、止血。5回を無失点で、プロ初勝利を手にした。「あそこで本当に、試合を壊さなくて良かった」。

 悪夢が支えになった。1年目の昨季、春季キャンプの紅白戦で打ちひしがれた。毎年、新人の1軍への登竜門となっている舞台に先発も、先頭の西川を三振後は打者10人に8安打され、8失点。特別ルールが採用され異例の「途中降板」となった。ドラフト1位の即戦力左腕の期待を裏切る、背信投球。投球フォームが定まらず、約1カ月の実戦封印も強いられた。「あの時に比べたら…」と、2軍では、ひたむきに鍛錬を積んだ。苦難は成長への道筋になった。

 初勝利を目指していた同じ時間帯に、母校広陵が10年ぶりの4強を決めた。上原は2年夏に背番号18でベンチ入りも、出場機会なし。中井監督から「思い出づくりに行ってこい」とブルペンで投げたのが、ほろ苦い、唯一の思い出だった。この日は後輩の勇姿を見ようと、試合開始30分前まで試合にくぎ付け。「いきなり3-0で(リードし)プレッシャーだった」と苦笑も、自身も負けない粘りを見せた。

 プロ初先発から5度目でつかんだ勝利球。5四球、1度も3者凡退なし。苦しみながら、待望の白星を生み出した。プロ入り後、ここまでの歩みは、苦難の連続だった。「いいことが1つもなかった。1つ良くなっても、通用せず…。これをきっかけに変わっていけたら」。血でにじんだ左手が、熱戦を乗り越えた証しだった。【田中彩友美】

 <上原の道のり>

 ◆15年10月22日 日本ハムがドラフト1位指名。「気持ちを前面に出して思い切り頑張りたいです」。

 ◆16年9月30日 本拠地でロッテとのシーズン最終戦7回に4番手でプロ初登板、1回無失点で初ホールド。「1軍を目指してやっていきたい気持ちが強くなりました」。

 ◆同年11月15日 初の契約更改交渉に臨み100万円減の1200万円でサイン。「来年は、しっかり戦力になれるように」。

 ◆17年7月3日 西武戦9回に今季初登板も1回5失点。「また明日から気持ちを切り替えて頑張りたい」。

 ◆同年7月23日 西武戦でプロ初先発も5回途中6安打4失点でプロ初黒星。「しっかり腕を振っていいボールを投げられれば勝負できる」。