横浜 IR・カジノに揺れる
史上最大の混戦を制すのは

横浜市長選挙に立候補の意向を表明したのは8人にのぼり史上最多の立候補者による選挙戦となった。
最大の争点になるとみられるのが、横浜市が目指してきた、カジノを含むIR=統合型リゾート施設の誘致の是非だ。
菅総理大臣のお膝元横浜で何が起きているのか。混戦必至の選挙の行方を探る。
(有吉桃子)
※8月8日の告示日までに郷原氏と藤村氏の2人が立候補を取り下げ8人が立候補しました。

与党賛成vs野党反対 前哨戦のはずが…

さかのぼること半年前。
年明けの横浜市議会は与野党が激しく対立していた。
議題は、IR誘致の是非を問う住民投票条例案。
IR誘致に反対する市民団体や野党が、法定数の3倍を上回る19万人分余りの署名を集め、制定を求めたのだ。

政権を担う自民党と歩調を合わせ、IR誘致を推進してきた市長・林文子(75)は、住民投票の必要はないという考えを示した。そして条例案は、自民党と公明党が反対多数で否決した。

このとき、この対立は市長選の前哨戦だと誰もが考えていた。
つまり、自民党と公明党がIR推進の市長候補を支援し、立憲民主党や共産党などの野党はIR反対の候補で一本化を図るのだろうと。

しかし、動きは予想とは全く違った展開をたどる。

自民党が現職に引退勧告

告示まで、2か月を切った6月10日。市長選に向けた具体的な動きが表面化する。

自民党横浜市連の幹部が、3期12年市長を務めてきた林に対し、次の選挙では支援しない考えを伝え引退を促したのだ。高齢や多選に加え、IR反対で野党候補が1つにまとまれば負ける可能性があると分析したことが理由だった。

このとき林は、後継候補は誰なのか自民党側に尋ねたが明確な回答がなく、支援者から立候補を求められているなどとして受け入れない考えを示したという。

自民党横浜市連などは、林に代わる候補者選びを急いだ。しかし、現職の国会議員や元国会議員の企業経営者、それにフリーアナウンサーなど、名前が次々に挙がるものの決めきれないまま時間は過ぎていった。

まさか現役閣僚が

「小此木さんが出るってよ」

9日後の6月19日、誰もが驚く情報が駆け巡った。
菅政権で国家公安委員長を務める小此木八郎(56)が閣僚を辞めて立候補するというのだ。
しかも、IRに反対する立場で。

誰もが予想していた、IRを推進する与党VS反対する野党という構図が一変した。

自民党の市議も、当時の衝撃をこう振り返る。
「とにかくびっくりしてみんな口を開けたままぽかんとしているような状況だった」

関係者によると、地元の自民党幹部が林を支援しない方針を確認したのは、本人に伝える2週間ほど前の5月下旬。その場には小此木もいたという。

その直後、小此木は、ともに横浜に選挙区があり、総裁選で選挙対策本部長として支えた総理大臣、菅義偉に会って立候補する考えを伝えたという。立候補を要請していた元国会議員の女性有識者に断られたことの責任を取るというのがその理由だった。さらに、菅が推進してきたIRに反対の立場を取ることを話すと、しばらく無言の時間が流れ、その後、菅は『わかった』と答えたと小此木は振り返る。

6月25日。小此木は正式に立候補を表明し、IR反対に回る理由を説明した。


「閣僚を辞任するのは簡単なことではないし、無責任のそしりは免れない。しかし、生まれた街である横浜も私にとって大事な街だ。IRについては市民の信頼が得られていないという思いがあり、そこにコロナという今までにない感染症と戦わないといけないという現実を踏まえて取りやめるという判断をした」

関係者は、小此木がIRに反対することになった理由を推察する。
「立候補を要請した元国会議員が『IR推進では絶対に勝てない』と小此木さんに繰り返し伝えていた。さらに、『ハマのドン』とも呼ばれる横浜の港の有力者で、IRに反対して菅総理大臣と袂を分かった横浜港運協会の前会長・藤木幸夫氏と小此木家は家族ぐるみのつきあいだ。藤木氏からも影響を受けたのではないか」

割れる自民 首相の地元で決められず

小此木は自民党に推薦を求めた。しかし、党の横浜市連は割れた。

「これまで掲げてきたIR推進の立場とどう整合性を付けるのか」
「IRは数ある政策の1つにすぎない。党への功績が大きい小此木氏をそれだけで支援をしないのか」
「自民党が割れたら野党に勝つことはできない」

割れる地元を菅はどう受け止めたのか。
この時点で菅は、市長選をめぐる考えを公に示していなかった。
しかし、小此木が立候補表明した後、周辺に「小此木を徹底的にやる」と話していたという。

7月1日に開かれた党横浜市連の会合。
菅に近く、市連の会長を務める官房副長官の坂井学は「IR以外の政策で相違がないのだから小此木氏を支援したい」と推薦を出すことへの理解を求めた。
これに対し、一部のIR推進派の市議から異論が相次いだ。
中にはIRを推進する林を支援することを前提に、離党も辞さない姿勢で反発した人もいたという。

その後も何度も会合は持たれたが、結論は出なかった。
そして今月11日、党が割れることを回避するため自主投票を決めた。
衆議院選挙を間近に控える中、総理大臣の足元で推薦する候補を決められないという異例の事態だ。

公明党は、自民党と足並みをそろえ、自主投票を決めた。

どうする現職

こうした自民党の動きをじっと見守っていたのは、引導を渡された形の林だ。
一方で、立候補に向けて支援者と会合を開くなど準備を進めていた。

林は、小此木の立候補表明後、関係者にこう話していたという。
「IRを推進してきた自民党が、IRに反対の小此木さんを支援できるわけない。自民党がIRをやらないというなら私が出るしかない」

その言葉通り、徐々に周辺が動き始める。IRを推進する立場の自民党の一部の市議が支援に回った。また、経済界からも、IRの実現に期待したいと支援の声が上がった。

7月14日には、経済団体やスポーツ団体などが立候補を要請した。
発起人を務めた横浜商工会議所の副会頭は「この選挙はある意味、政党対経済界・市民団体・スポーツ界の力の結集の戦いではないか。政治の世界に振り回されることなく、自分たちの考えで横浜市政をよくしてくれる人を応援したい」と力を込めた。

そして翌15日、4期目を目指して立候補することを表明した。


「IRは横浜の将来にとって非常に大事だ。現役世代が高齢者を支えていくことが厳しくなり医療や教育にお金が回らなくなってしまう事態に備えて、何とか経済を活性化させなくてはいけない。IRを家族で楽しめる場所にしたいし、観光都市として日本一安全な都市にしていきたい」

野党も候補者選定が難航

一方の野党側。こちらも候補者選定は難航した。

立憲民主党や共産党などは、IR反対派の市民団体とともに、住民投票条例の制定を求めて運動し、19万人を超える署名を集めた。参加した誰もが、その枠組みと勢いを維持して市長選挙に臨めば勝てる可能性はあると感じていた。

関係者によると、立憲民主党の選定の過程では、元企業経営者の男性や、現職の国会議員、有識者の女性、そして最終的に推薦することになる元横浜市立大学教授の山中竹春(48)など多くの名前が挙がった。

立憲民主党内に、市民団体と調整しながら擁立を進めるべきだという声もあったが、団体側に具体的な状況が示されたのは、山中と元企業経営者の男性の2人に候補者が絞られた5月下旬になってからだった。

この進め方に対し、市民団体側は「ともに署名活動を行ってきた候補者が望ましい」と、何度も再考を申し入れたが、受け入れられなかったという。

「『頑張りました』ではすまない」

最終的に立憲民主党はIRだけではなく、新型コロナウイルスに関する研究で注目された山中を「勝てる候補」として擁立する方針を決めた。
これを受け市民団体は、中心メンバーが離脱するなど紆余曲折はあったものの、山中と政策協定を結んだうえで支援する方向となった。

立憲民主党神奈川県連最高顧問の江田憲司は「この選挙は『頑張りました』ではすまない選挙だ。絶対に反対派を当選させないといけない。自民党がどんな候補であっても、1%でも勝てる可能性が高い候補だ」と力を込める。

山中は、記者会見でIRに反対する決意を強調した。


「市が運営する大学の職員として、当時は署名運動に参加することに葛藤があった。そういう思いを伝え、退職して退路をたち『市民団体と一緒に戦っていきたい』と伝えた。IRには断固反対、即時撤回、そう考えている。カジノができれば依存症が増えることや風紀や治安が乱れること、教育環境が悪くなることはデータによって明らかだ」

IRに反対し、住民投票条例の制定を求めて運動にかかわってきた共産党も7月21日、山中氏を支援することを正式に決めた。

さらに、IRをめぐって菅と袂を分かった「ハマのドン」とも呼ばれる藤木幸夫も山中の選挙対策本部の会合に出席し、支援することを明らかにした。

野党側も一枚岩になれず

しかし立憲民主党も、足並みの乱れが表面化している。

候補者選考の過程で名前が挙がった、元検察官の弁護士で、市のコンプライアンス顧問を務めていた郷原信郎(66)が立候補を表明したのだ。


「政策論争がしっかり行われ、民意が反映される選挙になるのかどうか大きな懸念があり、自分自身が立候補表明することが必要だと考えた。IRに私自身は反対だ。市長になれば、民意を問うプロセスとして、住民投票を実施したい」

一方で、「反自民票」が分散するのは本意でなく、山中との一本化を模索するとした。
その後、山中側に立候補の理由や政策に関する質問状を突きつけたが、十分な回答が得られなかったとして、再び会見し、立候補する意思を改めて強調していた。

このほか、立憲民主党所属の市議の太田正孝(75)もIRに反対し無所属で立候補することを表明している。


「IR誘致について私は『よくない』と言い続けてきた。市長になればカジノはすぐおしまいにする」

一方、次の衆議院選挙に向けて立憲民主党との連携を調整している国民民主党は、支援を受ける労働組合の意向も確認しながら対応を検討している。

さらに混沌とする反対派

こうしたなか、さらなる衝撃が反対派に走る。

7月20日。現職の参議院議員の松沢成文(63)が立候補を表明。
神奈川県知事を2期8年務め、地元では高い知名度を誇る松沢は「地元の支援者からの要請を受け立候補を検討している」と、1週間ほど前、所属する日本維新の会の幹部に伝えていた。
党幹部は、参議院の貴重な1議席を失うことになるうえ、衆議院選挙で神奈川県を中心に党勢拡大にあたってもらいたいなどとして慰留していたが、それでも松沢は、党を離党したうえで、無所属で立候補する考えを明らかにした。

「昨今の横浜市のカジノをめぐる混乱はなんだと私自身悩みを深くした。政党や経済界、市民も対立し分断され、市政は混乱を極めている。熟慮に熟慮を重ねた結果、この危機的な状況を打破し横浜を大刷新するために私のこれまでの経験、すべての持てる力をかけていきたいという決断をした」

また松沢は、記者会見で、署名活動を行った市民団体の共同代表だった慶応大学名誉教授の小林節が松沢を支援する団体の代表世話人を務めることを明らかにした。
小林は、立憲民主党が主導する形で進んだ候補者擁立の過程で市民団体を離脱していた。

松沢は、IRの政策そのものは否定しないものの、選挙では、横浜市への誘致について反対を訴えるという。
「横浜はこのカジノの是非をめぐって大混乱しているわけですから、横浜ではカジノは諦める。カジノ反対と言うだけではなく、私が市長になればカジノ禁止の条例案を議会に提案するので、徹底して議論して議会にも認めていただきたい」

一方、松沢が所属する日本維新の会は、IRを推進する立場のため、今回の市長選は静観するとしている。

相次ぐ立候補表明

作家で長野県知事や国会議員を務めた田中康夫(65)も、IR反対を訴えて立候補を表明している。


「横浜のラジオ放送局で番組を担当し、地元の人たちと知り合って横浜の光と影、多くの人が移り住みたいと思う街の裏表を知るようになり、4月に横浜市民となった。この街から日本を変えていきたい。横浜にはIRを設けないということで、すでに市民のコンセンサスは取れている。市長選挙のあとにまた巨額のお金をかけて住民投票を行う必要はなく、住民投票の意味が含まれた市長選挙だ」

元衆議院議員の福田峰之(57)は、脱炭素化やデジタル化、それに子育て環境の整備などを進めたいと訴え立候補を表明した。


「横浜市議会議員や衆議院議員として学んだこれまでの経験を、地元横浜のために生かしたいという思いで決意をした」

IRについては、当初「ニュートラル」だとしていたが、その後、有権者からわかりにくいという指摘を受けたなどとして「賛成」の立場を明確に打ち出した。

さらに、水産仲卸会社社長の坪倉良和(70)は、IRに反対し、施設整備が予定される山下ふ頭に中央卸売市場の機能を移転し、食の基地にしたいと訴え立候補を予定している。

また、動物愛護団体代表理事の藤村晃子(48)も、IRへの反対を鮮明に打ち出して立候補を表明し、動物虐待の取り締まり強化などを掲げた。

選挙とIRの行方は

有権者数が全国の市区町村で最も多い310万人を超える横浜市。抱える課題も新型コロナ対策や高齢者福祉、子育てなど挙げればきりがない。しかし、いずれの立候補予定者もIR誘致の是非を重要な課題と捉えていて、選挙戦で最大の争点になるのは間違いなさそうだ。

8人が立候補を表明し、横浜市長選として史上最多の立候補者による選挙戦となった。
選挙関係者の間では、いずれの候補も当選に必要となる有効投票の4分の1の法定得票数に達せず、再選挙の可能性すらささやかれる。

さらに、秋までに衆議院選挙が控える中、総理大臣のお膝元での大激戦の行方には永田町からも注目が集まる。

その決戦は8月22日だ。
(文中敬称略)

【リンク 政治のことば】IR=統合型リゾート施設

横浜局記者
有吉 桃子
2003年入局 宮崎、仙台局を経て政治部。去年9月から横浜放送局。2児を育てながら市長選を取材する日々。