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関西地方 三重県

三重県

お伊勢まいりと海の幸が支える三重の人と風物詩

日本の中央に位置し、まるで羽を広げた鷹の姿のような地形をしている三重県。内陸部には山脈が連なり、その麓には広大な平野が広がる。東部は約1000kmに渡って海と接しており、沿岸の町では古くから漁業が盛んで、海運も発達していた。


取材協力場所:湯の山温泉「旅館寿亭」

東西文化の交錯から生まれた「美し国(うましくに)」の5つの食文化圏

律令時代の三重県は、伊勢国、伊賀国、志摩国、紀伊国に分かれており、この4国を母体として、県内各地には紀州藩や他藩、神宮、東大寺などの飛び地があったという政治的背景や、現在1府5県に接しているが、これらから伊勢神宮に向かって街道が伸びており、伊勢神宮への参拝客が行き交う街道が早くから通っていたという宗教的背景も加わり、気候や地理、経済によって異なる食文化が形成され、北勢中南勢伊勢志摩伊賀東紀州の5つの食文化圏が生まれた。
うちの郷土料理

画像提供元:三重県観光連盟

このような複雑な歴史的背景と豊かな自然の恵みが合わさってできた、多様かつ多彩な食文化をもつ三重県は、「美し国(うましくに)」と呼ばれている。 それぞれの食文化圏がお互いに影響しあいながらも、地域で採れる産物を大事に営んできた暮らしには、どのような郷土料理が根付いているのだろうか。

<北勢食文化圏>
「あほだき」に見る、食材を大切にする人々の知恵

広大な平野が広がる北勢地域は、春から秋は米や麦、冬は「伊勢水」と呼ばれた菜種油などを生産し、三重県はお茶の生産量全国第3位(出典:「令和2年荒茶生産量」農林水産省)を誇っているが、その中で渋みが強くならないように一定期間遮光してふくよかな香りと味わいを得る被せ茶(かぶせちゃ)の畑が広がる。
うちの郷土料理

画像提供元:三重県観光連盟

また伊勢湾からの恵みはコウナゴやアナゴ、コノシロ、またシャコやガザミ、海苔養殖に至るまで多彩であるだけでなく木曽三川の河口ではハマグリをはじめ各種の貝類や多くの川からの幸にも恵まれた地域であり、さらに淡水魚のみならず、河川・汽水域で育つうなぎも日本で東京、静岡に次いで養殖に取り組んだ伝統から、中南勢食文化圏と共に、多くの食文化を育んでいる。
うちの郷土料理

画像提供元:みえ食文化研究会

「江戸時代から昭和30年代半ば頃までは、桑名と東紀州や伊勢志摩、木曽三川を遡った岐阜県や熊野を中心とする東紀州を結ぶ船が運行されていました。コメブネでは桑名で米や衣類、石鹸などを南部に運び、帰りは南部の炭や薪、ミカンや鰹節などを運んでいました。ナマブネでは生魚を積んで持ち帰ったそうです」と話すのは三重大学名誉教授の成田美代さん。三重県は南北に長いため北と南では気候も採れる産物も異なるが、海運によって暮らしを補いあっていたという。

この地域は、冬は雪が多く鈴鹿山脈から吹きぬける季節風「鈴鹿おろし」が厳しい。そのため、体があたたまるように工夫された汁物料理や鍋料理が冬の食卓には欠かせない。

また、気温が低く乾燥した気候が麺づくりに適し、そうめんや冷麦の産地としても知られる。地元では、切り落としたそうめんの端「バチ」や「ふし」を茹でて具と和える「そうめんぬた」という郷土料理がかつては冠婚葬祭時に、今は日常的に食べられている。商品にならない部分まで無駄にせず食すための工夫から生まれた料理である。

この素朴な庶民の工夫と知恵は、たくわんを煮た「あほだき」にも見られる。これは日が経って味が悪くなったたくわんの塩分を完全に抜いて調味料で炊き直すのである。「おいしい時期に食べず、せっかくの塩分を抜いてしまうので『あほなことをしているなあ』という意味でこの名前がついたとも大変贅沢な調理法なので「大名炊き」ともいわれている」という。食材を無駄にしない日本の「もったいない」文化を如実に表す食べ方だ。もう一つ付け加えるならば、うなぎの解体後に出る骨をから揚げにする「骨せんべい」も食材を無駄にしない方法と言えよう。
うちの郷土料理

画像提供元:みえ食文化研究会

<中南勢食文化圏> 県下最大の穀倉地帯で作る米のお菓子いろいろ

津市・松阪市を中心とする中南勢地域は、広大な伊勢平野の中心地で、県下最大の穀倉地帯である。またこの地域は東西各地から伊勢神宮に参拝に向かうための街道が何本も通り、沿道に宿場が発達した。

中でも東海道から分かれて伊勢に向かう伊勢街道は北勢から伊勢にかけて多くの茶店が各種の餅を提供したことから誰言うことなく「餅街道」と呼ばれ、豊かな穀倉地帯の面目を躍如した形である。

餅は旅人ならずとも家庭においても憧れの食であり、この地域ではもち米、うるち米、またそれらの粉を用いたいろいろな菓子がつくられている。もち米とうるち米を混ぜて鍋でつき混ぜる「ないしょ餅」ともいう手軽な餅、あんこ・きな粉をまぶした「おはぎ」、米粉で作る「いばら餅」、ふところに入れて遊び惚けていると体温で温かくなってちょうどよいおやつになる「ほところ餅」とも「ふところ餅」とも言う素朴な餅、そして寒の頃には「寒餅」をついて1年分のおやつにする「あられ」や「かきもち」が作られている。
うちの郷土料理

画像提供元:みえ食文化研究会

お菓子に付き物は何といってもお茶。伊勢茶の生産は、北勢の半分ほどの栽培面積ではあるが、この地域では渋みが抑えられ、コクのあるまろやかな味わいの深蒸し茶の生産が中心である。三重県は北勢のかぶせ茶、中南勢の深蒸し茶、そして普通の煎茶も生産されており、合わせて我が国第3位のお茶の生産地である(出典:「令和2年荒茶生産量」農林水産省)。

また街道は多くの人が行き交い、東西文化や学術の交流や発展に寄与するが、我が国初の50音順の国語辞典「和訓栞(わくんのしおり)」を編纂した谷川士清(たにがわことすが)や古事記伝の本居宣長といった国学者の出た学術的なところでもある。また 津城下は慶長13年(1608年)入府の藤堂高虎によって整備され、伊勢街道を城下に付け替えて繁栄の礎を作り、松坂城は蒲生氏郷(がもううじさと)により1584年に松ヶ崎城を移して1588年に完成・入城、商工業に注力した町の整備が進められ、蒲生氏郷は秀吉時代に松坂城を作り、その後会津に転封、江戸時代は紀州藩の城代が置かれる。両城下を中心に木綿を扱う豪商を多く輩出している。
うちの郷土料理

台高山脈から清らかな川が流れる中南勢は、アユやズガニなどの川の幸に恵まれ、川の幸を生かす郷土料理もたくさん残されている。伊勢湾に面する東部海岸では、海の魚や貝類、海藻類も豊富に獲れ、「あさりごはん」や「あらめごはん」など、多くの郷土料理がある。

<伊勢志摩食文化圏>
リアス式海岸からの海の恵みと、肥沃な平野でとれる野菜を活用する工夫

伊勢志摩食文化圏は志摩半島を占める地域で、かつて、海産物を朝廷に献上する「御食国(みけつくに)」だった。この地域では日本有数の海士・海女漁が行われており、アワビをはじめ、サザエや海藻など海の産物を生かした郷土料理が多い。また、外湾に面した志摩市では、全国1位の漁獲量を誇るイセエビ(出典:「令和元年漁業・養殖業生産統計」農林水産省)や、長い間下関に陸揚げされていたが現在では地元ブランドとして広く定着しているあのりふぐ、また遠洋漁業も盛んである。
うちの郷土料理

画像提供元:三重県観光連盟

肥沃ではあるものの作物を栽培できる面積が比較的狭く、野菜が貴重であったこの地域では、たくあん漬けに適した「御薗(みその)大根」が栽培されている。伊勢市では、秋になると大根が稲架干しされ、今は昔ながらの製法で漬ける業者は少なくなったが、かつては農道脇を埋め尽くすほどで、稲架干しの大根はこの地域の秋の風物詩だったという。またこの地域は戦前に航空学校が置かれたことからも分かるように、晴天の日が多い地域であることから、海藻加工業者も多く、そのこともあってひじきやあらめ、寒天などを用いた多様な海藻料理が多い。
うちの郷土料理

画像提供元:みえ食文化研究会

先島半島ではさつまいもの干し芋がおやつとして作られている。これは仕上がった形がナマコを干したキンコに似ていることから、「キンコ」と呼ばれている。

伊勢土産で有名な「伊勢うどん」は、茹で麺の状態なので温めて丼に入れてつゆ(タレ)をかければすぐ食べられる。伊勢では子どものおやつにもなるほど日常に親しまれている。
うちの郷土料理

画像提供元:みえ食文化研究会

<伊賀食文化圏>
山々に囲まれた盆地で、独自の食文化が育まれた伊賀

この地域は、東南側にそびえる布引山地によってその他の食文化圏とは地理も気候も分断されている。四方が山に囲まれたこの地域では、質実な農村文化が築かれてきた。気候は、盆地特有の内陸性気候を示している。そして大和街道・初瀬街道は京都を通っているため都との交流が深く、現在も東大寺との交流も続いていることから、京都・奈良の文化や生活が当地の食文化にも影響を及ぼしている。

お正月になると、京都公家世界では『にらみ鯛』という飾りをつくっていたが、伊賀でも干した鯛二匹の頭を突き合わせ、わらで縛って神棚やかまどに飾る懸け鯛という風習があり、また「間食のことをけんずい」というのも京ことばの影響と思われ、「のっぺい」という煮物が薄味で薄色につくられることも、京都の食文化の影響と見受けられる。
うちの郷土料理

画像提供元:みえ食文化研究会

伊勢に向かう街道の一つである伊賀街道は、伊勢(津)と伊賀二国の藩主となった藤堂高虎が津(本城)と上野(支城)をむすぶ重要な官道として整備したもので、伊勢に向う参宮客だけでなく、津からは魚介類や塩が、一方伊賀からは肥料となる石灰や種油などが運ばれ、伊賀・伊勢両国の生活や経済を担ってきた。このように伊賀は海から遠いため、日常的には海産動物性のタンパク源が少なく、頼りのシカ肉やイノシシ肉などは不定期な収穫であり、豆腐など大豆の加工品は貴重なタンパク源だった。この地で発祥した「豆腐田楽」も郷土料理の一つ。伊賀街道・初瀬街道を活用して中南勢の海から運ばれる新鮮な海産物はハレの食に用いられ、特に春を呼ぶ蛭子神社の祭礼では「ハマグリ市」という海のものと山のものの物々交換の場があり、また新鮮なイワシで作られる「いわしずし」はまさにハレの食べ物だった。

現在は伝統工芸として高く評価されている伊賀焼も、古代には種壺として、東大寺の荘園時代には献上用酒の壺などの日用雑器を焼き始めたことから生まれた文化で、茶の湯の隆盛と共に伝統工芸品も生み出すようになった。また、農閑期や冬季に雪で外に出られない時期の副業として組み紐がつくられているが、もともと奈良時代から唐組(からくみ)ではじまり、仏具や神具、さらに甲冑や下緒(さげお)などを生産していたが、明治時代になって廃刀令を受け、江戸(東京)の組み紐技術を導入し、和服文化の本場である京都に着目して帯締めや羽織紐など、伊賀組み紐を発展させた。ここでも京文化との交流が密である実情が伺える。
うちの郷土料理

画像提供元:三重県観光連盟

<東紀州食文化圏>
ハレの日のごちそうは、鮮魚を生かした多彩なすし

西側の険しい山地と東側の熊野灘とに接して海岸部はリアス式で平地が少なく、温暖多雨な気候と相まって、東紀州北部では尾鷲ヒノキの山林が豊かで東紀州南部では山の斜面にみかん畑や棚田が広がっている。これら山林は炭などにする雑木であるが、紀州藩の留め木制度で保護された林材も多く、3人ぐらいで抱えないと周囲が測れない橡(とち)の木を有する尾鷲賀田の橡林は日本有数の規模である。これは、明治時代に留め木制度廃止後も地域で大切に守っているおかげである。賀田の人たちは橡の実の渋抜きは大変であるが、古代縄文人の如く「とち餅」を楽しんでいる。
うちの郷土料理

画像提供元:三重県観光連盟

熊野灘に面する東の沿岸部は豊かな海産物に恵まれ、町は海と共に生きてきた。特に尾鷲の港には、遠洋漁業の船から水揚げされるカツオや近場で獲れる魚など、多種多様な魚種が水揚げされる。食品成分表にも載らないような珍しい魚もあるという。特に漁獲量が少ない魚は市場には出回らず、地元の人々で焼き物や鍋物など地域独特の食べ方で消費されることが多い。
うちの郷土料理

画像提供元:みえ食文化研究会

例えば、魚を使ったすき焼き風の鍋「魚のじふ」や大敷網漁の漁師から始まった魚介類沢山の味噌汁「大敷汁(おおしきじる)」がある。商品にならない小魚を家庭で美味しく食べる方法として、今では商品として多くの支持を得ている「梶賀のあぶり」はその代表格である。
うちの郷土料理

画像提供元:みえ食文化研究会

またこの地域は、千枚田が見られることからも分かるように、斜面でも田んぼにしているほど畑が少なく、米が貴重なので、日常は茶粥のような節約した食べ方をしていて、ハレの日には精一杯のご飯を食べていた。例えば、五色の短冊形具材をこけら葺きのようにずらせて並べた色どり美しい「こけらずし」、尾頭付きの姿ずしである「さんまずし」、薄い白板昆布を煮付けて板海苔と同じように巻く「昆布巻きずし」、タチウオの皮目をすし飯の上に載せた棒ずし風の「かしまえずし」、渡利牡蠣の「握りずし」、食酢を使わず乳酸発酵で酸味を出す「なれずし」など、地域の鮮魚と貴重な米を使った多様なすしのオンパレードだ。

ここで昆布巻きずし用の昆布の話。郷土料理になるほどの昆布巻きずしの昆布はここ東紀州の地場のものではない。だとするとどのように入手していたのだろうか。江戸時代三重県出身の河村瑞賢が幕府の命で西回り航路を開拓し、多くの大型千石船が日本海から南下し、下関から瀬戸内海を通って大阪、熊野灘を通過した。天候によっては風待ち・日和見が必要でそのための港がいくつか存在した。その港で米と共に積まれていたいろいろな商品を取引していた。ちなみに、このすしをつくるとき、昆布は板海苔ぐらいの大きさで、あらかじめ柔らかく煮ておかねばならないが、煮足りないと固いし、煮すぎると溶けてしまうので、煮終わる見極めが主婦の才覚とのことである。こうして地元のものでない食材を使った郷土のすしとして根付いていることに、壮大な規模の縁を思い知らされる。
うちの郷土料理

画像提供元:みえ食文化研究会

「家庭や料理人の創意工夫・食材の新開発や品種改良、加工法改良などが加えられながら食文化は変わっていくが、基本となる料理の形はぜひ残ってほしいですね」。気候や地理、宗教、政治が絡み合って多彩な料理を今も残す三重。その背景を聞くほど、郷土料理の魅力と奥深さを感じる。

三重県の主な郷土料理

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