関西地方 三重県
お伊勢まいりと海の幸が支える三重の人と風物詩
日本の中央に位置し、まるで羽を広げた鷹の姿のような地形をしている三重県。内陸部には山脈が連なり、その麓には広大な平野が広がる。東部は約1000kmに渡って海と接しており、沿岸の町では古くから漁業が盛んで、海運も発達していた。
取材協力場所:湯の山温泉「旅館寿亭」
東西文化の交錯から生まれた「美し国(うましくに)」の5つの食文化圏
画像提供元:三重県観光連盟
このような複雑な歴史的背景と豊かな自然の恵みが合わさってできた、多様かつ多彩な食文化をもつ三重県は、「美し国(うましくに)」と呼ばれている。 それぞれの食文化圏がお互いに影響しあいながらも、地域で採れる産物を大事に営んできた暮らしには、どのような郷土料理が根付いているのだろうか。
<北勢食文化圏>
「あほだき」に見る、食材を大切にする人々の知恵
画像提供元:三重県観光連盟
画像提供元:みえ食文化研究会
「江戸時代から昭和30年代半ば頃までは、桑名と東紀州や伊勢志摩、木曽三川を遡った岐阜県や熊野を中心とする東紀州を結ぶ船が運行されていました。コメブネでは桑名で米や衣類、石鹸などを南部に運び、帰りは南部の炭や薪、ミカンや鰹節などを運んでいました。ナマブネでは生魚を積んで持ち帰ったそうです」と話すのは三重大学名誉教授の成田美代さん。三重県は南北に長いため北と南では気候も採れる産物も異なるが、海運によって暮らしを補いあっていたという。
この地域は、冬は雪が多く鈴鹿山脈から吹きぬける季節風「鈴鹿おろし」が厳しい。そのため、体があたたまるように工夫された汁物料理や鍋料理が冬の食卓には欠かせない。
この素朴な庶民の工夫と知恵は、たくわんを煮た「あほだき」にも見られる。これは日が経って味が悪くなったたくわんの塩分を完全に抜いて調味料で炊き直すのである。「おいしい時期に食べず、せっかくの塩分を抜いてしまうので『あほなことをしているなあ』という意味でこの名前がついたとも大変贅沢な調理法なので「大名炊き」ともいわれている」という。食材を無駄にしない日本の「もったいない」文化を如実に表す食べ方だ。もう一つ付け加えるならば、うなぎの解体後に出る骨をから揚げにする「骨せんべい」も食材を無駄にしない方法と言えよう。
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<中南勢食文化圏> 県下最大の穀倉地帯で作る米のお菓子いろいろ
津市・松阪市を中心とする中南勢地域は、広大な伊勢平野の中心地で、県下最大の穀倉地帯である。またこの地域は東西各地から伊勢神宮に参拝に向かうための街道が何本も通り、沿道に宿場が発達した。
餅は旅人ならずとも家庭においても憧れの食であり、この地域ではもち米、うるち米、またそれらの粉を用いたいろいろな菓子がつくられている。もち米とうるち米を混ぜて鍋でつき混ぜる「ないしょ餅」ともいう手軽な餅、あんこ・きな粉をまぶした「おはぎ」、米粉で作る「いばら餅」、ふところに入れて遊び惚けていると体温で温かくなってちょうどよいおやつになる「ほところ餅」とも「ふところ餅」とも言う素朴な餅、そして寒の頃には「寒餅」をついて1年分のおやつにする「あられ」や「かきもち」が作られている。
画像提供元:みえ食文化研究会
お菓子に付き物は何といってもお茶。伊勢茶の生産は、北勢の半分ほどの栽培面積ではあるが、この地域では渋みが抑えられ、コクのあるまろやかな味わいの深蒸し茶の生産が中心である。三重県は北勢のかぶせ茶、中南勢の深蒸し茶、そして普通の煎茶も生産されており、合わせて我が国第3位のお茶の生産地である(出典:「令和2年荒茶生産量」農林水産省)。
台高山脈から清らかな川が流れる中南勢は、アユやズガニなどの川の幸に恵まれ、川の幸を生かす郷土料理もたくさん残されている。伊勢湾に面する東部海岸では、海の魚や貝類、海藻類も豊富に獲れ、「あさりごはん」や「あらめごはん」など、多くの郷土料理がある。
<伊勢志摩食文化圏>
リアス式海岸からの海の恵みと、肥沃な平野でとれる野菜を活用する工夫
画像提供元:三重県観光連盟
画像提供元:みえ食文化研究会
伊勢土産で有名な「伊勢うどん」は、茹で麺の状態なので温めて丼に入れてつゆ(タレ)をかければすぐ食べられる。伊勢では子どものおやつにもなるほど日常に親しまれている。
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<伊賀食文化圏>
山々に囲まれた盆地で、独自の食文化が育まれた伊賀
この地域は、東南側にそびえる布引山地によってその他の食文化圏とは地理も気候も分断されている。四方が山に囲まれたこの地域では、質実な農村文化が築かれてきた。気候は、盆地特有の内陸性気候を示している。そして大和街道・初瀬街道は京都を通っているため都との交流が深く、現在も東大寺との交流も続いていることから、京都・奈良の文化や生活が当地の食文化にも影響を及ぼしている。
画像提供元:みえ食文化研究会
伊勢に向かう街道の一つである伊賀街道は、伊勢(津)と伊賀二国の藩主となった藤堂高虎が津(本城)と上野(支城)をむすぶ重要な官道として整備したもので、伊勢に向う参宮客だけでなく、津からは魚介類や塩が、一方伊賀からは肥料となる石灰や種油などが運ばれ、伊賀・伊勢両国の生活や経済を担ってきた。このように伊賀は海から遠いため、日常的には海産動物性のタンパク源が少なく、頼りのシカ肉やイノシシ肉などは不定期な収穫であり、豆腐など大豆の加工品は貴重なタンパク源だった。この地で発祥した「豆腐田楽」も郷土料理の一つ。伊賀街道・初瀬街道を活用して中南勢の海から運ばれる新鮮な海産物はハレの食に用いられ、特に春を呼ぶ蛭子神社の祭礼では「ハマグリ市」という海のものと山のものの物々交換の場があり、また新鮮なイワシで作られる「いわしずし」はまさにハレの食べ物だった。
画像提供元:三重県観光連盟
<東紀州食文化圏>
ハレの日のごちそうは、鮮魚を生かした多彩なすし
画像提供元:三重県観光連盟
画像提供元:みえ食文化研究会
画像提供元:みえ食文化研究会
またこの地域は、千枚田が見られることからも分かるように、斜面でも田んぼにしているほど畑が少なく、米が貴重なので、日常は茶粥のような節約した食べ方をしていて、ハレの日には精一杯のご飯を食べていた。例えば、五色の短冊形具材をこけら葺きのようにずらせて並べた色どり美しい「こけらずし」、尾頭付きの姿ずしである「さんまずし」、薄い白板昆布を煮付けて板海苔と同じように巻く「昆布巻きずし」、タチウオの皮目をすし飯の上に載せた棒ずし風の「かしまえずし」、渡利牡蠣の「握りずし」、食酢を使わず乳酸発酵で酸味を出す「なれずし」など、地域の鮮魚と貴重な米を使った多様なすしのオンパレードだ。
画像提供元:みえ食文化研究会
「家庭や料理人の創意工夫・食材の新開発や品種改良、加工法改良などが加えられながら食文化は変わっていくが、基本となる料理の形はぜひ残ってほしいですね」。気候や地理、宗教、政治が絡み合って多彩な料理を今も残す三重。その背景を聞くほど、郷土料理の魅力と奥深さを感じる。
三重県の主な郷土料理
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