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◆コラム◆ 国技館100年
 若林哲治の土俵百景

現在の国技館の落成 式で三段構えを披露する千代の富士(手前)と北の湖=1985年1月9日【時事通信社】

  今の国技館はJR両国駅横の旧貨物駅跡地を買って建てられた。建物の総工費150億円。日本相撲協会は全額キャッシュで払った。鹿島建設の提示額は160億円台だったが、当時の春日野理事長(元横綱栃錦)と二子山事業部長(元横綱初代若乃花)が乗り込み、「きょうは負かしにきました。わしらは相手を負かすのが商売。半端は嫌いだから」と150億円で話をつけた。先方は初め、端数を負けて160億円にしてくれという意味だと思ったらしい。工期も、開館が85年初場所には間に合わない予定だったのを、「園遊会で陛下に聞かれて『1月にはやりたいと思っております』って答えちゃったから、間に合わせてもらわないと困るよって言ったんだ」と、春日野理事長から聞いた。

 豪快で大まかな話ばかりのようだが、耐震構造から呼び出しの声がきれいに通るような音響効果まで細かく研究し、災害時に周辺住民の避難場所とするため食糧備蓄や自家発電の設備も整えた。墨田区が積極的に取り組んでいる雨水利用の点でも、当時の先端技術を取り入れている。蔵前名物だった焼き鳥は、消防法の規制で煙を出せないため、館内の機械で焼くことになり、肉を刺したくしを回しながら、たれを付けては焼き付けては焼く回数や時間などを、何度もテストした。

 こけら落としの場所で、大横綱北の湖が土俵を去った。蔵前と現国技館の両方で優勝した力士は千代の富士しかいないことを考えても、国技館の移転はちょうど大相撲の歴史の転換点でもあったように思う。もう、あれから四半世紀。蔵前最後の場所で小錦の進撃が「黒船襲来」と騒がれたのがうそのように、外国人力士の優勝が続いている。蔵前時代から残っている力士は、現役最年長の42歳、三段目の栃天晃だけになった。(時事通信社運動部編集委員 若林哲治わかばやし・てつじ)

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