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御巣鷹の真実 日航ジャンボ機墜落事故

2010年02月08日15時00分

「レーダーから消えた」

 8月12日月曜日はお盆直前の夏休みシーズンでニュースも少なく、午後に入っても静かに時間が過ぎていた。いわゆる夏枯れと呼ばれる時期だ。遊軍の安達功(30)は午後6時すぎ、取材に出ていた気象庁から日比谷の市政会館3階にある社会部に戻った。市政会館は後背部が日比谷公会堂になっている歴史的な建物で、時事通信の本社が入っていた。

 しばらくして夕食を注文し、ちょうど届いた時、受話器を取った天野が「なに、飛行機がいなくなった?」と短い声を上げた。小型飛行機の遭難はそう珍しいものではないが、続いたのは「間違いないな、ジャンボだな」という緊迫した声だった。周りにいた社会部員は一斉に立ち上がった。

 「日本航空123便大阪行きがレーダーから消え、管制官の間で大騒ぎになっています。フラッシュをお願いします」。清水の声には「ハーハー」という息の音が混じった。

 天野は「伊丹や周辺の空港に着いていないか確かめろ」と言って電話を切り、短冊形のフラッシュ用紙にフェルトペンで「東京発大阪行きの日航123便がレーダーから消えた」と書き付け、清水の回答を待った。直後に「どこにも着いていません」という連絡を受けると、「これで行くぞ」と言ってデスク補助に渡し、記事を配信する整理部に走らせた。

 日本航空123便ボーイング747SR型機の機影がレーダーから消えた時刻は午後6時56分。フェルトペンで大書きされた2行のフラッシュが流れたのは午後7時13分だった。全国の報道機関は時事通信のフラッシュで大規模航空機事故の発生を知り、騒然となった。NHKはフラッシュの13分後、午後7時のニュースの最後に「ただいま入ったニュースです」と突っ込んだ。

 乗客・乗員合わせて524人を乗せたジャンボ機の墜落は間違いなかった。まず、現場に相当数の記者とカメラマンを投入しなければならない。

 天野のデスク席の後ろから、思わず「現場に行かせてください」と声を上げた安達は午後8時ごろ、写真部のカメラマン山口良吾(33)、高橋基(37)と一緒に本社駐車場で藤原利夫(29)が運転するランドクルーザーに乗り込んだ。ランクルは皇居のお堀端にある警視庁前で捜査2・4課担当の奥林利一(30)を拾い、霞が関ランプから首都高に入った。

 泊まり明けの奥林は当初、他の警視庁担当記者とともに羽田空港で取材に当たる予定だったが、キャップの土屋清明(44)から急きょ「現場に行け」と命じられ、現場取材グループと合流したのだ。

 現場は長野県か群馬県の周辺と思われた。しかし、どこに向かえばいいのか分からない。「関越か中央道か」。何しろ墜落地点が特定されていない。高橋が中央自動車道を提案した。はっきりした根拠はなかったが、「中央道」に賭けることにした。 月曜夜の中央道下りは空いており、給油のため立ち寄った都県境の談合坂サービスエリアではやはり墜落現場を目指す報道機関の車が目に入った。情報は車載無線による社会部とのやり取りとNHKラジオのニュースが頼りだった。甲府を通過し、長野県に近づいたところで中央道を降り、141号線に出て清里を通過。細切れの情報をつなぎ合わせながら、ランクルは長野県の北相木村方面に向かった。

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