2023年10月4日より、アニメ『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』が放送開始された。マイクロソフトのOS“Windows95”が発売される以前、おもにNECのパソコンPC-9801シリーズをプラットフォームに花開いた美少女ゲーム文化をフィーチャーしたこの作品には、1990年代に発売されていたパソコンやゲームソフトがあれこれ登場する。

 この記事は、家庭用ゲーム機に比べればややマニア度が高いこうした文化やガジェットを取り上げる連動企画。書き手は、パソコンゲームの歴史に詳しく、美少女ゲーム雑誌『メガストア』の元ライターでもあり、『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』にも設定考証として参画しているライター・翻訳家の森瀬繚(もりせ・りょう)氏。

アニメ『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』(Amazon Prime Video)

1985年、PCアダルトゲーム(雑誌)が国会の俎上に乗せられるまで

 六田守がタイムリープ(『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』第8話)した年であり、学園恋愛アドベンチャーゲームの走りとも言える『天使たちの午後』が発売された1985年。いまから40年近く前になるこの年は、各社からばらばらに発売されていたアダルト向けのゲームソフトが、ユーザの目から見てある種のジャンルを形成しているように見え始めた、節目のような年だった。

 本連載第2回で、アダルトゲームの業界団体と自主規制を生む切っ掛けとなった1991年の“沙織事件”を紹介したが、本稿ではさらに早い時期にPCゲーム業界を揺るがした事件について解説しよう。

エロゲー雑誌が国会の俎上にあがった日。1980年代のアダルトゲーム黎明期事情(後編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第11回】

 本連載の第6回で触れたように、前年末に創刊されたPC雑誌『アソコン』(辰巳出版)や、“美少女ゲーム”という呼称のもと『テクノポリス』(徳間書店)のような雑誌によって可視化され、ユーザの目に触れるようになったことも大きいが、こうした紙媒体で特集記事が組まれる程度には継続的にそうした作品が発売されていたことの表れでもあった。

 ここでは『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』での呼びかたに合わせて“美少女ゲーム”と呼ぶことにするが、その草創期においてもうひとつ、大きな役割を果たした雑誌メディアがあった。幾度も大きくリニューアルをされて、判型も内容も創刊当初とはまったく異なるものとなっているが、2023年12月現在も元気に刊行され続けているKADOKAWAのゲーム情報雑誌、『コンプティーク』である。

 『コンプティーク』は1983年11月、『月刊ザ テレビジョン』別冊として角川書店より隔月刊の雑誌として創刊された。“戦うパソコンゲーム雑誌”というキャッチコピーが有名だが、これは1986年1月に月刊化された後に用いられたもので、創刊時のコピーは“パソコンと遊ぶ本”だった。

 企画者は、初代編集長でもある佐藤辰男氏。いわゆる“角川のお家騒動”後はメディアワークスの代表取締役として取りまとめ役となり、再合流の後は旧・角川書店関連会社の重役を歴任、2008年にはついに角川グループホールディングス(KADOKAWAの前身)の代表取締役にまでのぼりつめた功労者である。

エロゲー雑誌が国会の俎上にあがった日。1980年代のアダルトゲーム黎明期事情(後編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第11回】

 なお、『コンプティーク』という誌名は、奇しくも佐藤氏の企画と時を同じくして角川書店にゲーム雑誌創刊の提案をしていたことから、業界勉強のため佐藤氏が一時的に在籍したというソフトメーカーのCOMPTIQ(コンプティーク)から採ったものである(ちなみに同社は角川書店の系列会社と説明されることがあるようだが、資本のつながりはまったくない)。創刊当初の『コンプティーク』の表紙には、同社のロゴマークが掲げられていた。

 COMPTIQは、おもにAppleII用のゲームソフトを日本のPC向けに移植し、パッケージ販売していたメーカーだが、唯一の独自作品として冒険小説『カムイの剣』のアドベンチャーゲーム版を、1985年4月に発売している(同作のアニメーション映画公開にあわせたもの)。

 このあたりの経緯については、WEB上で読める複数のインタビュー記事において、佐藤氏自身が事細かにそのころの話を語っているので、詳しくはそちらを参照されたい。

佐藤辰男『コンプティーク』編集長時代を語る(PROJECT EGG公式サイト)

 創刊当初は、PCやゲームの情報のみならず、芸能ニュースやアニメ情報など他メディア絡みの話題が多かった。このあたりは、母体となった『ザ テレビジョン』誌の影響もあったのかもしれない(ちなみに、角川書店のアニメ情報雑誌『月刊ニュータイプ』も、『ザ テレビジョン』のアニメコーナーから派生するような形で創刊されている)。

 後に角川書店のお家芸となったメディアミックス路線は、他社の雑誌に漂うマニアックな雰囲気と比べると、よりライトな消費型オタクへと読者を誘導する原動力となった。

 マンガ『神皇記ヴァグランツ』(作:麻宮騎亜)、『浪漫郷伝説ロマンシア』(作:円英智)などのコミック連載からは、『コミックコンプティーク』(後に『コミックコンプ』)が派生した。

 また、角川書店の関連会社であった富士見書房の『ドラゴンマガジン』に先立ち、『聖エルザクルセイダーズ』などの、いまでいうライトノベル的な小説が連載されていたことも特徴として挙げられる。

 さて、『コンプティーク』のアダルトゲーム関連記事というと、雑誌の中ほどに配置された袋綴じコーナーを思い出される方が多いことだろう。

 じつのところ、同誌が大々的にオトナ向けの特集を打ったのは1985年7・8月号(同誌は当時、隔月刊だったので、2ヶ月分の合併号として刊行されていた)の“ちょっとHなソフト大特集”が最初で、この時点では袋綴じにはなっていなかった。たとえば『アソコン』創刊号などに比べるとだいぶんおとなしめの紹介記事だったのだが、しかしこの特集は教師やPTAなど、教育関係者から猛烈な抗議が編集部に寄せられる事態に発展した。

エロゲー雑誌が国会の俎上にあがった日。1980年代のアダルトゲーム黎明期事情(後編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第11回】
エロゲー雑誌が国会の俎上にあがった日。1980年代のアダルトゲーム黎明期事情(後編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第11回】
『コンプティーク』1985年7・8月号。帯付きで増刷されるほどの人気の号となった。(所蔵:RetroPC Foundation)※一部画像処理を施しています。

 運がいいのか悪いのか、この1985年7・8月号は奇しくもファミリーコンピュータ版『ゼビウス』の無敵コマンドが掲載され、PCにはとくに縁のなかった全国の小中学生たちを書店に走らせた号だったのである。よりによって、学校でまわし読みをされているような雑誌にアダルト向けゲームソフトの紹介記事が堂々と載っかっていたものだから、それはまあ目の敵にされもするだろう。

 伝説的な袋綴じコーナーが最初に登場したのは、『コンプティーク』が月刊化された1986年1月号。ただし、この時点ではまだファミリーコンピュータ用ゲームの記事が中心だった。

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『コンプティーク』1986年1月号、最初の福袋コーナー。(所蔵:RetroPC Foundation)

 アダルト記事が登場したのは、1986年3月号以降からとなる。当時の読者にはよく知られている“ちょっとHな福袋”という名称はこのコーナーをまとめた富士見書房のムックのタイトルで、コーナー名として使用されたことはじつは一度もなく、正式なコーナー名は “福袋”というシンプルなものだった。

エロゲー雑誌が国会の俎上にあがった日。1980年代のアダルトゲーム黎明期事情(後編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第11回】
エロゲー雑誌が国会の俎上にあがった日。1980年代のアダルトゲーム黎明期事情(後編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第11回】
:『コンプティーク』1986年3月号(左)と、『ちょっとHな福袋』の1冊目(右)。(所蔵:RetroPC Foundation)

 この袋綴じコーナーのユニークな点は、ゲーム情報だけでなく、成年向けのコミックやアダルトビデオの話題まで広く取り扱っていたことだった。

 結果、それまでちょっと大きめな本屋の片隅に、人目を避けるようにひっそり並んでいた美少女コミックや掲載誌の存在を、このコーナーで初めて知ったという若年のライト読者層が大量に生まれることになった。

 エロ劇画が主体であったひと昔前であればそうも行かなかったことだろうが、ロリコン・ブームの影響化で徐々にその数を増していたアニメ絵調のコミック──たとえば、内山亜紀や中島史雄のような──を目の当たりにした小・中学生の興奮たるや如何ばかりであったろうか。

 筆者の身近で言えば、この記事を目当てに『コンプティーク』を講読していた小学生はけっこうな数がいたし、同誌で紹介されたアダルトビデオをどうにか入手して、回し観していた上級生のグループが存在していたようである。

 専門誌の創刊はまだ先のことだったが、ともあれこうしたメディアを通して関連情報を入手しやすくなった1980年代も後半に入ると、JASTのような主にアダルトゲームを開発・販売するメーカーやブランドも増えてきた。

 フェアリーテールが設立されたのが1987年。続いてELFが1989年、D.O.が1990年に登場する。当初は一般向けのソフトハウスとして活躍していたチャンピオンソフトが、アリスソフトのブランド名を掲げてアダルトゲーム専門のメーカーへの方向転換を本格的にはかったのも、1988年のことである。

 初期に存在したエロ劇画的色彩の強い高年齢層向けの作品が徐々に見かけなくなり、コミックやアニメの絵柄が反映されはじめたこの種のゲームソフトは、“18歳”という明確なボーダーが設定される以前のこの時代、あからさまにティーンエイジャーをターゲットに含めるようになってきた。

 内容についても、ミニゲームのご褒美としてエッチな画像が表示されるタイプのゲームから徐々にストーリー性の強い作品へと移行し、現在の“美少女ゲーム”のスタイルを手探りしながら形成しはじめた。

 プラットフォームに目を向けると、200ラインと呼称された640×200以上の解像度を備え、ピクセルごとに8色以上の発色が可能なパソコンが標準的になり、ファミリーコンピュータのような家庭用ゲーム機にはちょっとマネができない、美麗な色彩のかわいやらしい女の子たちがPCモニターの中でさまざまな姿態を披露してくれるようになっていた。

 とはいえ、性的な要素を含む以上、薄氷の上に建てられた伽藍の城ではあった。

 『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』に登場する謎のソフトメーカー、エコーソフトが警察沙汰になった理由はわからないが、当時のユーザ目線では、そうした出来事がいつ起きても不思議ではない、あやうい空気感が漂っていたように思う。

エロゲー雑誌が国会の俎上にあがった日。1980年代のアダルトゲーム黎明期事情(後編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第11回】

 そうした中、あからさまな性犯罪を題材とするPCゲーム(当時の世間一般の価値基準に照らせば、それはまだ子ども向けの娯楽と考えられていた)がマスメディアで大きく取り上げられ、お茶の間を騒がせることになる事件が発生した。

 爆心地は、1986年10月21日の国会議事堂。衆議院決算委員会の席上である。

「これは非常に警察庁がばかにされていると思うのです」

 このように口火を切ったのは、公明党出身の衆議院議員である草川昭三氏。1976年の初当選以来、2013年に政界から退くまで、公明党国会対策委員長、公明党参議院議員会長、公明党副代表などを歴任した人物だ。

 この会議の議事録については、WEB上の“国会会議録検索システム”で閲覧することが可能だ。

国会会議検索システム 第107回国会 衆議院 決算委員会 第1号 昭和61年10月21日

 国会会議検索システムには「袋とじになっておりまして」という発言もある。発言の「読みながら打ち込む」というあたり、パッケージ販売されているソフトと雑誌掲載のゲームプログラムの混同がありそうだが、そこはまあ重要ではない。

 槍玉にあげられている『177』というのは、『フラッピー』、『ヴォルガード』のPCゲームタイトルで知られる北海道のデービーソフトが、同社のアダルト向けブランド“マカダミアソフト”から1986年9月に発売したPCゲーム(NEC PC-8801版、SHARP X1版が存在)のことだ。パッケージに女性の写真を掲載し、ヌード写真を付録につけるという奇をてらった企画で注目を集めた1985年の『マカダム~二人愛戯~』に続く、マカダミアソフトの2作目にあたる。

エロゲー雑誌が国会の俎上にあがった日。1980年代のアダルトゲーム黎明期事情(後編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第11回】
X1版『177』パッケージ。レコードジャケット大のサイズだった。(写真撮影:エポキシ)

 黒一色の背景に、ハイヒールの靴を左手薬指にひっかけた、何かを暗示させる女性の後姿をあしらったパッケージデザインで、金色に箔押しされた“177”の数字はまるで、闇の中に浮かんでいるかのようだ。

 公明党は、性犯罪への取り組み──とりわけ強姦罪の罰則強化・性犯罪の罰則の強化を長年主張してきた政党だが、『177』に関わる発言は性犯罪についてものではなく、草川議員の言葉を借りれば「現在の教育現場におきます学校器材の問題、あるいはコンピューターあるいは家庭用テレビゲームが家庭の中で子供にどのように影響を及ぼすかという問題」の提起の中で言及されたものだった。

 とはいうものの、犯罪行為にほかならない題材は、作品において取り扱う際、ナイーヴにならざるをえない。1982年に東映が公開した『ザ・レイプ』という映画がある。主演女優は、後にNHKの国民的ドラマ『おしん』青春編で主役のおしんを演じた田中裕子。落合恵子のベストセラー小説『セカンドレイプ』を原作とするこの映画は、「性的被害を受けた女性は、事件後に今度は社会によって二次的被害(セカンドレイプ)を受ける」という、センシティヴかつ重いテーマを扱った作品である。被害者が裁判の過程で過去の男性経験などのプライバシーを暴露され、社会的な苦境に追いやられながらも第一審での勝利を得るまでを描く、戦後社会派映画の名作のひとつに数えられている。

 集客の原動力は主演女優のヌードに違いないが(女性をターゲットにしている映画だった割には、男性客が多かったという話である)、新聞でも大きく取り上げられるなど、性犯罪についての世間一般の認識を高める効果を上げた作品ではあるが、そうした背景のある硬派な社会派映画であっても、大きな批判が巻き起こったのだった。

 ちなみに、『177』よりも数年先立って、海向こうのアメリカでも似たような題材のゲームソフトが発売され、世間を大いに騒がせていた。米ミスティーク社が1982年に発売した Atari 2600用のアクションゲーム、『カスターズ・リベンジ』(Custer's Revenge)がそれだ。

エロゲー雑誌が国会の俎上にあがった日。1980年代のアダルトゲーム黎明期事情(後編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第11回】
Atari2600版『カスターズ・リベンジ』の現物写真。(写真撮影:loderun)

 南北戦争で戦功をあげ、実像はさておき近代アメリカ史における軍事的英雄のひとりに数えられているジョージ・アームストロング・カスター将軍を操作して、落下する矢を避けながら画面右端に拘束されている先住民族の女性のもとにたどりつき、前後運動をする回数でスコアを稼ぐという無茶な内容のゲームである。言うまでもなく轟々の非難にさらされ、各地で関連する訴訟がいくつも提起される事態に発展したものの、最終的に80000本を売り上げたということだ。

 『177』の場合も、しばしば「発禁になった」と言われているが、実際には行政の直接的な働きかけはなかった。とはいえ、この会議でのやり取りに注目した大新聞が派手に取り上げ、喧喧囂囂の非難を受けることになったため、販売を自粛、一部内容を変更した改訂版を改めて発売することで終了した。

 この騒動を通してアダルトソフトというゲームジャンルが広く巷間に知れ渡ったとも言えるので、関連メーカーにとっては決して悪い話ばかりではなかったようだが、少なくともデービーソフトは以後、このジャンルから撤退している。

 『177』はけっきょく、警察沙汰に発展するようなこともなかったのだが、一抹の不安要素は残った。

 ジャンルは違えど、1980年代の末期からアダルトコミックを問題視する主婦団体などを中心に、これらを有害図書に指定して書店から追放しようという運動が盛んになってくる。

 しかし、そうした世情をよそに、美少女ゲームは拡大の一途をたどっていった。

 そうして、「つぎは我が身」という思いが薄れ始めたころに、業界を大きく揺るがす大事件が発生したのである(本連載第2回を参照)。

エロゲー雑誌が国会の俎上にあがった日。1980年代のアダルトゲーム黎明期事情(後編)【『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画第11回】

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