そんな思いに駆られるうちに、数年前に完全菜食主義者(ビーガン)のいとこと交わした会話を思い出した。いとこは生物学的人類学の博士課程の学生で、動物愛護活動家でもあり、約15年前から完全菜食を続けている。「ダイエット目的で完全菜食主義者になるセレブが多くてうんざりしないか」と私が尋ねると、彼は首を大きく横に振って否定し、こう言った。「正しいことをまったくやらないよりは、たとえ動機は不純でも正しいこと(完全菜食)をしてもらいたい」

 この考え方は、マインドフルネスの大流行(それを揶揄して「マックマインドフルネス」とも言われる)にも適用可能ではないだろうか。瞑想によるさまざまなメリットを、多くの人が享受するようになれば私も嬉しい。熱心に瞑想していても、パチョリ(インド産の植物)の香りで大麻の匂いを隠したヒッピーだと誤解されずに済むのでありがたい。企業が実施するマインドフルネスのプログラムによって従業員のセルフケアが重視されるならば、それはそれでよいことだ。

 ただし、瞑想を別の観点から論じる余地もあるはずだ。特に、仕事と瞑想の関連については他にも考えるべきことがある。

 マインドフルネスを目標達成のツールと見なすと、人は「いま、この瞬間」への意識を拡張するよりも、未来志向の考え方に囚われてしまう。もちろん、それで神経科学的な効力が損なわれるわけではない。マインドフルネス瞑想を行うと、より多くのことをこなせるようにはなる。

 しかし、マインドフルネスそのものを目的としてみてはどうだろう。古くから続くこの習わしに、マーケティング的な謳い文句を加えず、ただ瞑想自体の力を体感するのだ。

 心理学者のクリスティン・ネフは、「セルフ・コンパッション(自己への慈しみ)」という言葉を考案したことで知られている。その主張によれば、セルフ・コンパッションの第一の要素は「自分への優しさ」である。すなわち、To Doリストを全部処理できなかった時などに落ち込む気持ちを、吹き飛ばす力だ。残り2つの要素は、「普遍的な人間性への理解」、そして「マインドフルネス」だという。セルフ・コンパッションが目指すのは、より多くをやり遂げることではない。「自分は十分に頑張っている」「自分の価値は結果によって決まるわけではない」と理解することだ。(なお興味深いことに、ある研究結果によれば、自分を許すことによって物事を先延ばしにしなくなるという〈英語論文〉。)

 私は理想主義者ではない。誰もがセルフ・コンパッションに専念してTo Doリストを忘れ、マントラを唱えるべきだと説いているわけでもない。だがマインドフルネスについて語る際には、慈しみ――特に自己への慈しみが、もっと強調されるべきだと言いたいのだ。たとえ企業の瞑想プログラムであっても、それは同じである。

 仕事の生産性を高めたいと思うのは恥ずべきことではない。しかし同時に、職場で何かがうまくいかない時に、少し肩の力を抜いて自分を慈しむことができるのも、恥ずべきことではない。


HBR.ORG原文:Is Something Lost When We Use Mindfulness as a Productivity Tool? August 25, 2015

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シャーロット・リーバーマン(Charlotte Lieberman)
ニューヨークを拠点とするライター、編集者。ハーバード大学で英語を専攻し、最優秀で卒業。