第14回 手塚治虫文化賞 2010

マンガ大賞

マンガ大賞へうげもの山田芳裕さん

へうげもの

作者に聞く

 主人公は安土桃山時代の武将茶人、古田織部。日本一の数寄者を目指し、名器と引き換えに敵を逃がしたり、縄文土器で茶をたてて師の千利休に「やりすぎ」とたしなめられたり。型破りな人物像は、まさに「へうげもの」(ひょうきん者)だ。

 「日本人大リーガーを主人公にしたマンガを描いていて、『日本人とは?』みたいなことをよく考えた。それで『茶の湯』をマンガにできないかと調べたら、ストイックな求道者の利休より、物欲の塊みたいな織部にひかれた。自分も、物欲を仕事のエネルギーにする人間なので」

 ここぞと力が入るコマで、極端にねじれたポーズや誇張した表情を描く。力強くユーモラスな作風は、織部が好んだゆがんだ茶器の美に通じるように見える。

 「まさに『織部好み』のダイナミックな器に近づきたい。その一心で描いている。織部はエンターテイナー。彼の持っていた器を見ていると、茶席で人を笑わせようとしていたんじゃないかと思う」

 史実に大胆な解釈を加えた。本能寺の変は秀吉と利休の策謀で、利休の介錯(かいしゃく)は織部が務める。師の最期、その深いもてなしの心に触れ、織部は涙と共に刀を振り下ろす。

 「ひたすらテンションを高めて描いた。終わった時はホッとした心境だったが、すぐさま平常心を取り戻し、次の原稿に向かった」

 大きな山場を越え、物語は後半へ。織部は新たな茶の湯、独自の「美」の創造に挑み、日本の陶芸デザインに一大変革をもたらす。

 「これからが織部の真骨頂。賞を励みに精進を重ね、最後まで描ききる所存です」

(2010年4月19日付、朝日新聞朝刊)

受賞コメント

 このたびは栄えある賞をいただき、まことにありがとうございます。主人公の「古田織部」に関してはわからないところが非常に多く、取材や資料集めがなかなかたいへんです。そのぶん、新しい発見があるとたのしく、興味は尽きません。織部が見いだした「へうげ」は、「わび」「さび」に連なる日本人の美意識であるという思いをもって、この連載を続けております。折にふれ、桃山時代のやきものを拝見していますが、どれもこれも個性的でおもしろいものばかりです。この漫画をお読みになったならば、皆さんもぜひ一度、桃山陶をご覧になってはいかがでしょうか。最後に読者の方々、若手陶芸家諸氏はじめ取材や宣伝に協力してくれる方々、単行本デザイナー、担当編集者、そしてスタッフと家族にお礼を言います。

(2010年の贈賞式小冊子から)

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へうげもの©山田芳裕/講談社既刊1~21巻(2016年2月現在)

山田芳裕山田芳裕さん1968年、新潟県生まれ。87年、「大正野郎」でデビュー。05年から「へうげもの」をモーニング(講談社)に連載中。作品はほかに「デカスロン」「ジャイアント」など。(2010年4月19日付、朝日新聞朝刊)

新生賞

新生賞市川春子さん

「虫と歌」で命のふれあいとはかなさを描いた清新な表現に対して

虫と歌

作者に聞く

 切り落とした自分の指から生まれた「妹」に恋心を抱く男の子。小さな金具から女の子のような姿に成長していく「ヒナ」に、孤独を癒やされる野球少年。

 デビュー作を含む短編集で、「人ならぬ者」との間に交わされる淡い情愛を繊細なタッチで描いた。4編を貫く主題は「他者との関係性」だ。

 「他人との距離感とか、思いやりや優しさとか、迷惑な善意とか、そんなものをすくいとれればいいなと思った」

 出版社勤めのかたわら、年1本のペースで描き進めた。案を練るのは通勤時間中。「考え事に夢中になって、雪解けの水たまりにはまってビショビショになったことも」

 じっくり時間をかけ、たゆたう夢のような世界を紡ぎ出した。今後もこのペースで創作を続けたいという。

 「マンガは絵と文でできている。絵では表せない、言葉にもできない思いを、絵と文の間からたくさん感じとれるような、そんなマンガを目指します」

(2010年4月19日付、朝日新聞朝刊)

  • 虫と歌
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虫と歌©市川春子/講談社

市川春子市川春子さん千葉県生まれ。札幌市在住。「宝石の国」(講談社/月刊アフタヌーン)連載中。(2016年1月26日現在)

短編賞

短編賞テルマエ・ロマエヤマザキマリさん

テルマエ・ロマエ

作者に聞く

 古代ローマの技師が、現代の日本の風呂にたびたびタイムスリップし、銭湯のフルーツ牛乳や露天風呂などに衝撃を受けてローマの風呂を改革していく。日本の風呂文化に驚く主人公の大まじめなリアクションが笑いを誘う。

 意表をつくアイデアは、イタリア人の夫から聞かされる古代ローマのうんちくと、長い欧州暮らしで募る風呂への渇望から、「ごく自然に生まれた」という。

 「古代ローマには大浴場があったのに、現代のヨーロッパには銭湯もないし、いま住んでいるリスボンの家には浴槽もない。私は毎日、幼児用の浴槽に体を『ん』の字にしてつかっています」

 絵を学ぶため17歳で渡欧、イタリア暮らしを描いたエッセーマンガでデビューした。

 「立派な道路や水道を残したローマ人たちのふだんの暮らしと、人情に厚い日本人のよさを、お風呂という共通の文化を通じて描いていきたい」

(2010年4月19日付、朝日新聞朝刊)

受賞コメント

 2年前、テルマエ・ロマエの1話目が商業誌に掲載されると決まった時、私と家族は大喜びでリスボン市内にある滅多(めった)に行かない日本料理屋でお祝いをしました。

 「こんなマニアックな漫画を掲載してくれる懐の広い雑誌があった事に万歳!」と水で乾杯したのはついこの間の事だったように思うのですが……。

 そんなわけで今回の受賞は、私はもとより家族にとってもとんでもない衝撃だったようで、寝る時も「火の鳥」を手放さない手塚作品の大ファンである息子は、この恐れ多い事態に「頼むからこれを機にもっと素晴らしい漫画を描いてくれ、そうしないと手塚治虫先生に示しが付かない」と私に深刻な表情で忠告してきました。本当に私もそう思います。

 いろいろと複雑な思いはあれど、取りあえず今まで諦めずに絵を描き続けていてよかった。漫画という道を選んでよかった。受賞の喜びがもたらしてくれたのはこの二つの大変有難(ありがた)い自覚です。

 距離があっても常にそばにいてくださった編集者の方々、この漫画を手にとって下さった読者の方々、ご支持くださった全ての方々に心から感謝いたします。

 本当にありがとうございました。

(2010年の贈賞式小冊子から)

  • テルマエ・ロマエ
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  • テルマエ・ロマエ
  • テルマエ・ロマエ

テルマエ・ロマエ©ヤマザキマリ/KADOKAWA全6巻

ヤマザキマリヤマザキマリさん1967年、東京都生まれ。幼少期を北海道で過ごした後、17歳で単身渡伊。フィレンツェの美術学校で油絵を専攻しつつ11年間を過ごす。96年、イタリアでの暮らしをつづったエッセー漫画でデビュー。現在漫画作品としては「スティーブ・ジョブズ」(W.アイザックソン原作)、「プリニウス」「リ・アルティジャーニ」(どちらも、とり・みき氏と共作)を連載中。エッセーなどの文筆作品も多数。 (2016年1月14日現在)

特別賞

特別賞米沢嘉博さん

マンガ研究の基礎資料の収集と評論活動などの幅広い業績に対して

米沢嘉博さん 米沢嘉博さん

少女・SF・ギャグで3部作

 大学時代から評論活動を始め、「少女」「SF」「ギャグ」の3分野を対象とした「戦後マンガ史」3部作を1980年代初めに発表した。並外れた読書量でマンガ文化を俯瞰(ふかん)した。肺がんで06年に53歳で亡くなるまで雑誌に連載していた「戦後エロマンガ史」が今月下旬に出版される。

 同人誌即売会コミックマーケット(コミケ)の準備会代表を80年から務め、数十万人が集まる巨大イベントの運営に尽力した。パロディーが多い同人誌は著作権問題というグレーゾーンを抱えるが、コミケはコスプレやボーイズラブ(男同士の恋愛もの)など新たな文化を発信し、多くのマンガ家が生まれる土壌ともなっている。

 コミケのほかに残したもう一つの財産が14万冊の蔵書だ。昨年10月、母校の明治大学が寄贈・寄託を受け「米沢嘉博記念図書館」を開設した。現在約7万冊を閲覧できる。順次整理を進めて公開点数を増やしていく。

 本が増える度に広い家に移る「ヤドカリ生活」をともにした妻の英子さんは「コレクションの全体像は私にも分からない。私の知らない米沢嘉博がこれから現れるかも、と思うと楽しみ」と話す。

 「図書館が今後のマンガ研究の核になってくれれば、米沢も喜ぶと思います」

(2010年4月19日付、朝日新聞朝刊)

  • 戦後SFマンガ史

戦後SFマンガ史

米沢嘉博米沢嘉博さん1953年3月21日熊本市生まれ。明治大学在学中より批評集団「迷宮」の活動に参加。ライター・編集者などを経て80年より「戦後マンガ史三部作」を刊行、以後マンガ評論を中心に大衆文化関連の評論を行う。日本マンガ学会の設立にも参画し、理事を務めた。『別冊太陽・発禁本』で99年第21回日本出版学会学会賞、『藤子不二雄論 Fと(A)の方程式』で2002年第26回日本児童文学学会賞を受賞。同人誌即売会コミックマーケット創立メンバーの一人(75年)。80年から06年までコミックマーケット準備会の代表を務め、現在の同人誌即売会・コミックマーケットの理念を形作った。06年10月1日肺がんにて逝去。享年53。07年星雲賞特別賞を受賞。(2010年の贈賞式小冊子から)