現在位置:
  1. 2009総選挙
  2. 地方ニュース
  3. 茨城
  4. 記事

〈激突 09同日選〉大高氏「もう議員には」 衆院解散、在職65日

2009年7月22日

印刷印刷用画面を開く

写真両院議員懇談会を終え、会議室から出る大高松男氏(中央)=東京・永田町の自民党本部

 在職期間65日。解散時点で478人いた衆院議員の中で、2番目に短い大高松男氏(66)=比例北関東ブロック=の議員生活が、幕を閉じた。城里町に生まれ、30年余り自民党職員として県連の裏方を支えてきたが、05年衆院選で自民が大勝した余波により、今年5月18日、自身も「想像すらしなかった」という繰り上げ当選を果たした。4年前とは百八十度異なり、逆風に追い込まれて衆院が解散した21日、大高氏の「最後の一日」に密着した。(岡村夏樹)

 「あっという間だったな」。午後1時3分、衆議院の本会議が開かれ、河野洋平議長が解散詔書を読み上げると、最前列の大高氏には無事にやりとげたという安心感と、「もう少しやりたかったな」という寂しさが交錯したという。

 どこからともなく「万歳」がわき起こるのが聞こえた。「なんで万歳するのか」といぶかしがった。「首相の政策は間違っていない。経済対策に重点を置き、底打ち宣言が出ているのに。それなのに批判ばかりだ」。そんな思いがあったからだ。しかし、気がつけば、自分も両手を挙げていた。本会議上独特の雰囲気に流されてしまったという。

 この日、大高氏が公の場に現れたのは、午前11時15分。小雨が降りしきる中、党両院議員懇談会に出席するため、東京・永田町の党本部に長谷川大紋参院議員と一緒に姿を見せた。報道陣が大挙する間をすり抜け、エレベーターで懇談会が開催される9階へ。

 大高氏は麻生派に所属している。懇談会で、都議選などを総括し謝罪する麻生氏の言葉を、目をつぶり黙って聴いていた。そして、麻生氏が「全員がこの場に戻ってくることが大切だ」と訴えると拍手を送った。「あれは良かった。一致団結できたんではないかな」

 75年に党職員になって34年間、自民公認候補の当選が最大の喜びだった。自分も赤絨毯(じゅうたん)を踏めたのは、「小泉旋風」のたまものだ。同ブロックの中森福代氏が3月、さいたま市長選に立候補するために、衆院議員の辞意を表明。次点の大高氏に出番が回ってくることになった。

 本心は「国会議員なんて不相応」と乗り気ではなかった。断れるわけはないが、長年仕えた県連の山口武平会長に意見をうかがった。「こっち(県連)のことは気にせず、気持ちよくいってこい」。その言葉でバッジを着ける覚悟を決めた。

 7月8日に内閣委員会で質問に立った。骨太方針09の社会保障費問題を尋ね、国際原子力機関(IAEA)の支部を東海村に作ったらどうかと提案もした。また、改正臓器移植法案では可決されたA案を支持。「大切な命を扱う法案を作ることができた」。国会議員の「だいご味」を体感した。「任期満了まで務めたかった」との思いも生じ始めていた。

 8月投開票の衆院選でも、比例北関東ブロックの候補者に並ぶ。だが、「この逆風では、もう議員にはなれないね」と見透かしている。選挙区から立候補しないのかと尋ねると、「体力がないからね」。22日からは事務局長専属として、裏方に戻る。

検索フォーム