村上春樹と濱口監督の共通性 「ドライブ・マイ・カー」制作の裏側
米アカデミー賞で4部門にノミネートされた「ドライブ・マイ・カー」。日本映画初となる作品賞で受賞の可能性があるプロデューサーの山本晃久さんに、制作秘話やコロナ下での決断、濱口竜介監督作の魅力などについて聞いた。
――米アカデミー賞のノミネート発表では、「ドライブ・マイ・カー」の作品賞の受賞者として、プロデューサーである山本さんの名前が読み上げられました
読み上げられるとは思っていなかった。日本映画の歴史で言うと初めてということで、歴史的なこと。そこに自分が連なる感覚が、まだはっきりしない、というのが正直なところです。映画を公開した後って、自分たちのもとを巣立って、お客さんのものになっている感覚に近いので。
――アカデミー賞でここまで高く評価されたのはなぜだと思いますか
濱口さんも話していた通り、一番は村上春樹さんの存在。村上春樹さんの小説を映画化していることが、アメリカの皆さんの注目をまず集めたのかなと思っています。
濱口映画の源泉は、ジョン・カサベテスとかアメリカインディペンデント映画に連なっているところがあるけど、決して大衆的ではない。アメリカこそ、大きな市場でいうと本当に分かりやすくポップカルチャーがシェアを占めているので、(「ドライブ・マイ・カー」の)アプローチがアメリカにはまったという風には言えない。
一方、コロナも環境問題もそうですけど、社会全体で、ある種の分断がさまざまなところで起きていて、人々の心が疲弊しているということは言えるのかなと。だから(「ドライブ・マイ・カー」の物語の)心の仮死状態から回帰、再生してくるところに、第一のお客さんとして見る批評家層が鋭敏に反応してくれたのかなと思う。
村上春樹作品の構想は約10年前から
この作品での回帰や再生は、他者と向き合う、イコール他者を自分の中に受け入れることなのかなと思っている。心のありようが変化する時に、他者がそこにいることを認めるのはすごく大きなこと。そのような物語になっているので、心に響いてくれたのかなと思っています。
――濱口監督とはいつごろからの付き合いなのですか
思い返すと、2012年のたぶん春ごろ、師匠の久保田修というプロデューサーから「同世代の監督、作家を見つけろ」と言われ、同世代の監督の作品を色々見たんですけど、濱口さんの「PASSION」(08年の東京芸大大学院映像研究科の修了制作)がすごく面白くて、複雑な味わいだった。作家性と娯楽性みたいなものの中道にいる気がして。
そこから東北で震災のドキュメンタリーを撮られているとき、神戸で「ハッピーアワー」を撮られているときにもお会いして。会うたびに「気が合いますね」みたいな感じで「何を作りましょうかね」という感じで話していました。
――そして商業デビュー作の「寝ても覚めても」(18年)につながった?
記事の後半では、映画制作者から見た村上作品の映画化の魅力と難しさ、韓国・釜山でのロケを断念した後の広島に決めた経緯などを語ってくれました。
実は一番最初は、2012…