都城に縄文時代早期の集落跡 「南九州で貴重な遺跡」

神谷裕司
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 宮崎県都城市教育委員会は26日、同市山之口町の相原(あいはら)第1遺跡で縄文時代早期(約1万1千年前)の集落跡が見つかったとして、報道陣向けの現地説明会を開いた。竪穴建物跡や多数の土器片、石器などが出土しており、専門家は「南九州の縄文時代早期初頭の様相を語るうえで欠かせない遺跡」と指摘している。

 市教委文化財課によると、県営畑地帯総合整備事業に伴い、昨年4月から今年6月までの予定で、約5千平方メートルで発掘調査を行っている。

 地表から2メートルほど掘り下げた地点で、竪穴建物跡13棟、人為的に掘られた穴「土坑(どこう)」52基、食べ物を蒸し焼きにした調理場の跡とみられる「集石遺構」24基などが見つかった。竪穴建物跡は円形(直径2メートル)がほとんどだったが、珍しい楕(だ)円形(長径5メートル、短径2・5メートル)のものも1棟見つかった。市教委は、数十人が暮らしていた集落とみている。

 出土した土器片約4千点のほとんどが「前平(まえびら)式土器」と呼ばれる縄文土器だった。一つの集落跡から単一型式の土器だけが出土する事例は少ないという。前平式土器は口縁部に貝殻などを押し当てて文様を施してあるのが特徴。

 石器も、狩猟や調理に使ったとみられるものなど約1千点が出土。この地域では産出しない黒曜石の石器もあり、他地域との交流がうかがわれるという。

 また、この集落跡より古い地層からも石器や土坑が発見された。市教委は旧石器時代までさかのぼる可能性が高いとしている。

 市教委は今後、遺跡を埋め戻して今年度中に報告書を作成する予定。市のホームページなどでも調査結果を報告するという。

 縄文遺跡に詳しい鹿児島県埋蔵文化財センターの前迫亮一・前所長は「南九州の縄文時代早期初頭の様相を語るうえで欠かせない遺跡(基準遺跡)となることは必至。石器と土器の関係、遺跡の種類や構成など、いずれも貴重な情報だ」と指摘している。(神谷裕司)

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