応援って何? 何度も「やめたい」、たどりついた答え

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 ぐるりと見渡した球場には、一、三塁側の芝生席に数十人ほど。6月21日、野球部が熱戦を繰り広げる下妻市の砂沼球場。応援団や保護者らが声援を送る。下妻一高「応援団リーダー部」の3年生、田川真優(まゆき)さん(17)は声を張り上げた。「頑張れシモコー!」

 試合は、毎年4月末から5月上旬に同校と水海道一高(常総市)が行う定期戦の代替試合。敗戦後の1947年、「生徒のすさんだ心を明るくしたい」と両校の体育教諭が企画し、約70年続いてきた。本来は運動部17種目の対抗戦が一日中あり、全校生徒に加え、OBや地元住民も押し寄せる。2千人超が集まるといい、ついた呼び名は「常総野の早慶戦」。

 両校で交互に開催しているが、今年、コロナ禍で初めて学校での開催を中止し、時期をずらして部ごとに代替試合を行った。

 部活として応援に取り組むリーダー部は60年の伝統を誇る。部員は18人で、ほとんどが女子。チアリーダー部と応援団を結成し、野球を中心に運動部の大会や文化祭、地域のイベントを盛り上げてきた。晴れ舞台の一つが水海道一高との定期戦だ。田川さんは「いつもとは違う形だけど、応援できてよかった」。

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 高校の入学式当日。中学と同じ卓球部に入るつもりだった田川さんは、リーダー部のチラシが気になり見学。独特のしきたりや先輩の勇ましさにわくわくし、勢いのまま入部した。

 練習が始まると、連日「女子らしさが抜けていない」「声が小さい」と怒られた。厳しい上下関係。重い団旗の掲揚や太鼓の練習で、手に繰り返しマメができては潰れた。何度も「やめたい」と思った。

 1年の冬。先輩に尋ねた。「どうしてこの部活を続けてるんですか?」。逆に、「応援したいって気持ちはあるんだよね?」と聞かれた。認められたいあまり、指示をひたすらこなしていただけだったと気づいた。「応援って何なんだ」。改めて考えたが聞くことはできず、先輩も教えてくれはしなかった。

 昨夏の高校野球茨城大会。保護者も生徒も教師も全員で肩を組み、歌った。高まる一体感と興奮。先頭に自分たち「リーダー部」がいて、全員の思いを送り出していた。つらい練習が「見えないひとつの力」になっていると感じた。

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 先輩が引退した昨年8月末、副団長を任された。秋は毎月のように運動部の応援や市民マラソン大会に出向いた。新しい応援曲を吹奏楽部と作り、他校と合同で練習していた3月初旬、コロナ休校が始まった。

 4月29日、1年前の定期戦の動画をSNSに投稿した。先輩のきらきらした姿に「今年ここにいるのは私だったのに」。何も出来ない自分にも、誰も悪くない状況にも、悔しさが募った。

 「今年はもう、応援の舞台はないのかも」。そんな思いが頭をよぎったが、ふと、かつて聞いた言葉を思い出した。「生ぬるい応援を送ったところで、応援される選手はうれしくない」

 応援に勝敗はない。けれど、辛い練習を乗り越えて自分の思い全てをぶつけるからこそ、「見えないひとつの力」が生まれる。応援の意味は、そこにあるんじゃないか。コロナで大変な今こそ、応援するべき人は多い。毎日、自宅で振り付けの練習を続けた。

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 夏の高校野球は独自大会開催が決まった。無観客のため参加できないが、自分のことのようにうれしかった。試合前日に壮行会を開き、エールを送る。県大会に進めたら、試合当日に市内の神社に参拝し、団旗を掲揚する予定だ。

 誰かのためを思って、自分たちができる全力を尽くす。それが「応援」という力だ。思いは必ず届く。

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