古い文学書なので読みづらいが、ストーリーはおもしろい
「精神勝利法」という脳内変換による勝利は弱男の思想そのものだが、
共感できる自分もそういう思想の持主なのだろう
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阿Q正伝・狂人日記 他十二篇: 吶喊 (岩波文庫 赤 25-2) 文庫 – 1981/2/1
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- ISBN-10400320252X
- ISBN-13978-4003202524
- 出版社岩波書店
- 発売日1981/2/1
- 言語日本語
- 寸法10.5 x 1.5 x 14.8 cm
- 本の長さ248ページ
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年5月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
"それになんと間抜けな死刑囚ではないか。あんなに長いあいだ引き廻されながら、歌ひとつうたえないなんて。"近代中国文学の祖である著者による短編集である本書は【無知蒙昧な架空の一市民を主人公に】周囲の一喜一憂する人間模様を描いた阿Q正伝他、やりきれないシニカルさが印象的。
個人的には随分昔に読んだきりで、すっかり内容を忘れていたので再読したわけですが。冒頭の"あのことがあって以来、私は医学など寛容ではない、と考えるようになった。(中略)そして、精神の改造に役立つものといえば、当時の私の考えでは、むろん文芸が第一だった。そこで文芸運動をおこす気になった。"からは【自国の現状に対する熱い想い】が伝わってきて当時の時代を考えさせられます。
また表題作であり著者の代表作でもある阿Q正伝、狂人日記以外にも収録されている作品は総じて読みやすく、中でも『故郷』は年末年始と久しぶりの人たちと再会しては、変わらない懐かしさと、否応なく【気づかされる互いの変化】を感じてしまうタイミングだったので、何ともしっとりと感じるものがありました。
中国文学の最初の一冊に、また様々に影響力を強めつつある隣の大国について考えたい誰かにオススメ。
個人的には随分昔に読んだきりで、すっかり内容を忘れていたので再読したわけですが。冒頭の"あのことがあって以来、私は医学など寛容ではない、と考えるようになった。(中略)そして、精神の改造に役立つものといえば、当時の私の考えでは、むろん文芸が第一だった。そこで文芸運動をおこす気になった。"からは【自国の現状に対する熱い想い】が伝わってきて当時の時代を考えさせられます。
また表題作であり著者の代表作でもある阿Q正伝、狂人日記以外にも収録されている作品は総じて読みやすく、中でも『故郷』は年末年始と久しぶりの人たちと再会しては、変わらない懐かしさと、否応なく【気づかされる互いの変化】を感じてしまうタイミングだったので、何ともしっとりと感じるものがありました。
中国文学の最初の一冊に、また様々に影響力を強めつつある隣の大国について考えたい誰かにオススメ。
2017年11月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
初めての中国文学で多少緊張しましたが、すいすいと読めました。
2019年7月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
我々にとって魯迅とは何者であろうか?
多くの人にとっては中学の教科書で彼の作品「故郷」に触れる程度である。
私にとってもその程度で、故郷の中で纏足なのに速く走れた人がいる、その程度の認識だったし、そこからプラス何かを教育の中で覚えるかと言うと、せいぜい辛亥革命の時に名前が出てくるだけなのである。
何故辛亥革命の時に名前が出てくるか、それは彼が記した著作は文学ではなく一種の革命運動、思想としての物だからである。参考書には確かにそう言った解説があるが、私を含めた日本人にとってはせいぜい昔の中国の小説家、と言う認識で間違いはなかろう。
第一、この本を手に取るまで彼は長編を書いた事が無いとは知らなかった。
阿Q正伝くらいは学校教育を受けた者なら名前くらいは聞いた事があるだろう、しかし読んだ事のある人は回りにいただろうか?多くの人はいないと答えるだろう。日本人にとってはそれくらいマイナーなのである。
繰り返しになるが魯迅は革命思想家である。
元々は執筆をする気等は無かったと序文である吶喊(とっかん)に書いてある、表題にもなっている狂人日記を始め、渋々と筆を取り、強烈に中国の抱える民衆と社会の病巣をこれでもかと彼は綴っている。
それは収録作品である狂人日記、薬に見られる人肉食の習慣であったり、学が無いと言う事を皮肉にする端午の季節だったり、教育水準が西洋に比べ遅れている事を皮肉にする孔乙己、白光や先に述べた故郷であったりする。
そんな中国の抱える民衆、社会の病巣を救いのないレベルで書いた集大成が阿Q正伝とも言えるだろう。
こうして見ると彼は文筆家と言うよりやはり思想家と評した方がいいかもしれない。
収録作品は全て短編なので、本気で読めば1日で終わってしまう量なのも物足りない。
しかし魯迅が吶喊内で既に民衆と自分の人生に対して諦めの境地に至っていると書いているから、物足りなさを感じるのは根本的な理由は、そこなのかも知れない。
多くの人にとっては中学の教科書で彼の作品「故郷」に触れる程度である。
私にとってもその程度で、故郷の中で纏足なのに速く走れた人がいる、その程度の認識だったし、そこからプラス何かを教育の中で覚えるかと言うと、せいぜい辛亥革命の時に名前が出てくるだけなのである。
何故辛亥革命の時に名前が出てくるか、それは彼が記した著作は文学ではなく一種の革命運動、思想としての物だからである。参考書には確かにそう言った解説があるが、私を含めた日本人にとってはせいぜい昔の中国の小説家、と言う認識で間違いはなかろう。
第一、この本を手に取るまで彼は長編を書いた事が無いとは知らなかった。
阿Q正伝くらいは学校教育を受けた者なら名前くらいは聞いた事があるだろう、しかし読んだ事のある人は回りにいただろうか?多くの人はいないと答えるだろう。日本人にとってはそれくらいマイナーなのである。
繰り返しになるが魯迅は革命思想家である。
元々は執筆をする気等は無かったと序文である吶喊(とっかん)に書いてある、表題にもなっている狂人日記を始め、渋々と筆を取り、強烈に中国の抱える民衆と社会の病巣をこれでもかと彼は綴っている。
それは収録作品である狂人日記、薬に見られる人肉食の習慣であったり、学が無いと言う事を皮肉にする端午の季節だったり、教育水準が西洋に比べ遅れている事を皮肉にする孔乙己、白光や先に述べた故郷であったりする。
そんな中国の抱える民衆、社会の病巣を救いのないレベルで書いた集大成が阿Q正伝とも言えるだろう。
こうして見ると彼は文筆家と言うよりやはり思想家と評した方がいいかもしれない。
収録作品は全て短編なので、本気で読めば1日で終わってしまう量なのも物足りない。
しかし魯迅が吶喊内で既に民衆と自分の人生に対して諦めの境地に至っていると書いているから、物足りなさを感じるのは根本的な理由は、そこなのかも知れない。
2015年5月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
息子が、欲しいというので購入しました。面白いそうです。・・・・・・・・・・・。
2017年6月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
近大中国文学の祖と呼ばれる魯迅。
しかし古典と言って思い浮かべる、日本のそれとは比較にならない。
ざっくり乱暴に言ってしまうと、話の筋や純粋な娯楽性、レトリック等の技術が、同時代の日本の文豪らよりもかなり''遅れている''のだ。
つまらない、と一言で断じてしまうにはあまりに歴史的な価値があるので、時代考証も含め、そういう方面に興味がある人は読む価値があるだろう。
しかし古典と言って思い浮かべる、日本のそれとは比較にならない。
ざっくり乱暴に言ってしまうと、話の筋や純粋な娯楽性、レトリック等の技術が、同時代の日本の文豪らよりもかなり''遅れている''のだ。
つまらない、と一言で断じてしまうにはあまりに歴史的な価値があるので、時代考証も含め、そういう方面に興味がある人は読む価値があるだろう。
2013年12月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
魯迅は多作な作家ではない。
但し、残しているものは、どれも珠玉の名作といえる。
この代表作は是非吟味して読み込みたい一冊である。
但し、残しているものは、どれも珠玉の名作といえる。
この代表作は是非吟味して読み込みたい一冊である。
2012年10月22日に日本でレビュー済み
魯迅はJ.ジョイスのダブリナーズを読んでいたのだろうか?
ダブリナーズが世に出たのは1915年。
一方で、この本に収められた短編のうち最初となる「狂人日記」発表は1918年。
ダブリナーズは短編15編から成り、幼年、思春期、成人、老年といったあらゆる階層のダブリン人を題材とし、
人間の欲望や宗教観など、目に見えない人それぞれの精神的な内面について、
ダブリン人の日常から切り取り抽象化することで普遍性を描き出そうと試みている。
ジョイスがダブリン人に執着したのは、その底流にダブリン人共通の「パラリシス=知的麻痺」から発散される
「腐敗の特殊な臭い」を見出したからだという。
だがジョイスはダブリン人から湧き上がるような鬱々さだけを描きたかったのではない。
彼が「エピファニー」と言うところの「言葉や所作が俗悪であっても、その中から突然姿を見せる精神的顕示」に注目し、
「美の最高の特質を見出すのは、まさにこのエピファニーにある」と述べている。
一方で、魯迅のこの短編集の多くは、辛亥革命前後の中国民衆の日常的風景が題材にされ、
纏足、辮髪、科挙といった旧弊の悪習をはじめとして、
民衆の迷信、我欲、現状への盲従などの否定的要素がこれでもかと書かれている。
序文で魯迅は、中国人民の文化的覚醒の必要性を痛切に感じ、この作品集を出したというが、
あまりに文化的に停滞した人民の姿(つまり目をそむけたい人間の陰の部分)が次々と出てくるため、
「故郷」を読みたくてこの本を手にした人の多くを戸惑わせ、魯迅不信に陥らせるのではと心配さえしてしまう。
中国の精神上の進歩を目指すという序文での強い意志と、民衆のありのままの、ある意味下卑た面の描写と、
どちらが魯迅の“本心”かを図りかねていたが、
「屈折に満ちた文学」という文字をある時目にして、腑に落ちた。
きれい事や説教じみた、文学的に“整った”作品なら、作家自身はそれで満足なんだろうけど、
そんな“お高い”作品が、清濁相持つすべての人心の進歩をもたらすなんて簡単にいくと思えない。
そう考えると魯迅の一連の作品は、まるで一見泥だらけの中国人の精神の中に手を突っ込み、
そこに埋もれて見えない光源を取り出そうとしているように思える。
泥を探って光を掘り出すには、自らが泥にまみれる覚悟がないとできない。
魯迅の泥臭いとも思える作品群は、見た目からも魯迅の心情面からも、屈折という言葉が言い得ている。
しかしいくら魯迅が光を抽出しても、読む側が光を光と感じられるだけの“心の鏡”を磨くこと、
つまり、真実に対して謙虚で、受け入れるだけの豊かな態度がなければ、見えてこないだろう。
出版後90年近くを経たこの作品から、今の私たちは光を感知するだけの心の鏡を持ちえているのだろうか?
まるで阿Qのように他人の尻馬に乗って騒ぎを起こし、
そして隣国を罵り否定して満足し、そんな愚かな方法でしか自分の優位性を見出しえない現代人
(もちろん中国人の話だけではない!)は今一度、魯迅を精読すべき。
そいつらのやっていることの空虚さは、すでに魯迅によって明らかにされている。
(参考文献: ダブリン市民(安藤一郎訳) ・新潮文庫解説、
「新・魯迅のすすめ」(NHK人間講座)」 藤井省三著)
ダブリナーズが世に出たのは1915年。
一方で、この本に収められた短編のうち最初となる「狂人日記」発表は1918年。
ダブリナーズは短編15編から成り、幼年、思春期、成人、老年といったあらゆる階層のダブリン人を題材とし、
人間の欲望や宗教観など、目に見えない人それぞれの精神的な内面について、
ダブリン人の日常から切り取り抽象化することで普遍性を描き出そうと試みている。
ジョイスがダブリン人に執着したのは、その底流にダブリン人共通の「パラリシス=知的麻痺」から発散される
「腐敗の特殊な臭い」を見出したからだという。
だがジョイスはダブリン人から湧き上がるような鬱々さだけを描きたかったのではない。
彼が「エピファニー」と言うところの「言葉や所作が俗悪であっても、その中から突然姿を見せる精神的顕示」に注目し、
「美の最高の特質を見出すのは、まさにこのエピファニーにある」と述べている。
一方で、魯迅のこの短編集の多くは、辛亥革命前後の中国民衆の日常的風景が題材にされ、
纏足、辮髪、科挙といった旧弊の悪習をはじめとして、
民衆の迷信、我欲、現状への盲従などの否定的要素がこれでもかと書かれている。
序文で魯迅は、中国人民の文化的覚醒の必要性を痛切に感じ、この作品集を出したというが、
あまりに文化的に停滞した人民の姿(つまり目をそむけたい人間の陰の部分)が次々と出てくるため、
「故郷」を読みたくてこの本を手にした人の多くを戸惑わせ、魯迅不信に陥らせるのではと心配さえしてしまう。
中国の精神上の進歩を目指すという序文での強い意志と、民衆のありのままの、ある意味下卑た面の描写と、
どちらが魯迅の“本心”かを図りかねていたが、
「屈折に満ちた文学」という文字をある時目にして、腑に落ちた。
きれい事や説教じみた、文学的に“整った”作品なら、作家自身はそれで満足なんだろうけど、
そんな“お高い”作品が、清濁相持つすべての人心の進歩をもたらすなんて簡単にいくと思えない。
そう考えると魯迅の一連の作品は、まるで一見泥だらけの中国人の精神の中に手を突っ込み、
そこに埋もれて見えない光源を取り出そうとしているように思える。
泥を探って光を掘り出すには、自らが泥にまみれる覚悟がないとできない。
魯迅の泥臭いとも思える作品群は、見た目からも魯迅の心情面からも、屈折という言葉が言い得ている。
しかしいくら魯迅が光を抽出しても、読む側が光を光と感じられるだけの“心の鏡”を磨くこと、
つまり、真実に対して謙虚で、受け入れるだけの豊かな態度がなければ、見えてこないだろう。
出版後90年近くを経たこの作品から、今の私たちは光を感知するだけの心の鏡を持ちえているのだろうか?
まるで阿Qのように他人の尻馬に乗って騒ぎを起こし、
そして隣国を罵り否定して満足し、そんな愚かな方法でしか自分の優位性を見出しえない現代人
(もちろん中国人の話だけではない!)は今一度、魯迅を精読すべき。
そいつらのやっていることの空虚さは、すでに魯迅によって明らかにされている。
(参考文献: ダブリン市民(安藤一郎訳) ・新潮文庫解説、
「新・魯迅のすすめ」(NHK人間講座)」 藤井省三著)