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眩暈(めまい) 〈改装版〉 単行本 – 2014/10/9
ノーベル賞作家カネッティの長編小説。万葉の書に埋もれた一東洋学者が非人間的な群衆世界の渦に巻き込まれ、発狂して自己と書庫とを破壊するにいたる異常の物語。「群衆と権力」をテーマに錯綜する狂気と錯乱の風景を描き、解し難く浅薄な「現代」を深く烈しく抉り、トーマス・マンにその氾濫する想像力と構想筆致を驚嘆させた二十世紀ドイツ文学を代表する傑作。
- 本の長さ510ページ
- 言語日本語
- 出版社法政大学出版局
- 発売日2014/10/9
- 寸法13.6 x 2.8 x 19.6 cm
- ISBN-104588120204
- ISBN-13978-4588120206
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商品の説明
著者について
(Elias Canetti)
1905年、ブルガリアのスパニオル(15世紀にスペインを追われたユダヤ人の子孫)の家庭に生まれ、少年時代をヨーロッパ各地で過ごし、ヴィーン大学で化学を専攻、のちイギリスに亡命し、群衆・権力・死・変身をテーマにした著作をドイツ語で発表。代表作に、ライフワークであり、著者自ら「物語る哲学」と呼ぶ、哲学と文学の境界を取り払った独創的な研究『群衆と権力』(1960)、カフカ、H.ブロッホ、ムージルと並んで今世紀ドイツ語文学を代表する長篇小説『眩暈』(35、63)がある。また、30年代に書かれ不条理演劇の先駆をなす2篇と戦後の逆ユートピア劇1篇を収めた『戯曲集』(64)、モロッコ旅行記『マラケシュの声』(68)、ドイツ散文の珠玉と評されるアフォリスム集『人間の地方』(73)・『時計の秘心』(87)、戦後の文学的代表作となった自伝三部作『救われた舌』(77)・『耳の中の炬火』(80)・『眼の戯れ』(85)などがある。1994年8月14日チューリッヒで死去、89歳。1981年度ノーベル文学賞受賞。
1940年兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。主な著書に、『見知らぬオトカム──辻まことの肖像』、『海山のあいだ』(講談社エッセイ賞)、『二列目の人生』、『恩地孝四郎』(読売文学賞)など。訳書に、J.アメリー『罪と罰の彼岸』、ゲーテ『ファウスト』(毎日出版文化賞)など。
1905年、ブルガリアのスパニオル(15世紀にスペインを追われたユダヤ人の子孫)の家庭に生まれ、少年時代をヨーロッパ各地で過ごし、ヴィーン大学で化学を専攻、のちイギリスに亡命し、群衆・権力・死・変身をテーマにした著作をドイツ語で発表。代表作に、ライフワークであり、著者自ら「物語る哲学」と呼ぶ、哲学と文学の境界を取り払った独創的な研究『群衆と権力』(1960)、カフカ、H.ブロッホ、ムージルと並んで今世紀ドイツ語文学を代表する長篇小説『眩暈』(35、63)がある。また、30年代に書かれ不条理演劇の先駆をなす2篇と戦後の逆ユートピア劇1篇を収めた『戯曲集』(64)、モロッコ旅行記『マラケシュの声』(68)、ドイツ散文の珠玉と評されるアフォリスム集『人間の地方』(73)・『時計の秘心』(87)、戦後の文学的代表作となった自伝三部作『救われた舌』(77)・『耳の中の炬火』(80)・『眼の戯れ』(85)などがある。1994年8月14日チューリッヒで死去、89歳。1981年度ノーベル文学賞受賞。
1940年兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。主な著書に、『見知らぬオトカム──辻まことの肖像』、『海山のあいだ』(講談社エッセイ賞)、『二列目の人生』、『恩地孝四郎』(読売文学賞)など。訳書に、J.アメリー『罪と罰の彼岸』、ゲーテ『ファウスト』(毎日出版文化賞)など。
登録情報
- 出版社 : 法政大学出版局 (2014/10/9)
- 発売日 : 2014/10/9
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 510ページ
- ISBN-10 : 4588120204
- ISBN-13 : 978-4588120206
- 寸法 : 13.6 x 2.8 x 19.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 142,630位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2011年6月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
20世紀ドイツ文学を代表する傑作の一つ、と評される本作だが残念ながら名作には遠い。まず文体の粘着的短さとがダイナミックな流れを失わせているため非常に読みずらく、読了迄に物凄く疲れた。かつ作品全体が教養至上主義に基づいた二元論的な個と社会の構図と認識が非常に浅薄で、「こんな浅いな認識でいいの・・・?」と呆れてしまった。エリアス・カネッティ自身がどんな人物でどんな思想をもっていたのか、本書以外読んでいないので知らない。だが、本書から伺われるのは、教養原理主義と言っても過言ではない偏狭な思想が垣間見える。物凄い知識人VS無教養で浅薄な世間という構図は文明人VS未開人といった図式を思わせ「一体いつの時代の人なんだろう・・・?」と思える。更に作劇に関して付け加えるならば、その短いセンテンスと主格が混濁した書き方は長編の文体として成立していない。一般の出版社が何処も手をつけず、大学の出版局から¥4,500.-という高額で販売されている事からも、本書は残念ながらオールド・パラダイムのつまらない小説だと物語っているように思える。
2017年7月14日に日本でレビュー済み
しかし、これを文学と呼ぶことは正しくないかも知れない。小説の形式をとってはいるが、フィクションというにはあまりにも人間性の本質に踏み込んでいるし、思想書というほどの自己表出もない。もちろん書かれた時代とか国籍とか言語などという線引きも無意味である。もっとも近いと思われるのは記録だろうが、ドキュメンタリーでもない。まったく特異な作品である。そもそもカネッティとは何者だろうか。おそらく彼自身、自らを文学者とか思想家などとは思っていなかったのではないか。書くものも体系化されないものばかりで、執筆にあたっても特定のカテゴリーに属することを避けてきたカネッティだが、これが小説という形式をとった唯一の作品であるところに、何らかのヒントがありそうに思われる。彼がこの後ライフワークとされる群衆の研究に没頭し、終生人間を見つめ続け、人間についての文章を書き続けたということから考えると、この作品は彼が人間について小説という形式で書きとめておきたかったものであることは確かだろう。彼はこの作品で人間が行動する際に取捨選択されるはずの想念を細大漏らさず書き込むことによって、理性というものの本質を探ろうとしたのだと思う。肥大化し続ける自意識は現代のネット文化における問題点とも相通じるが、カネッティは群衆と同様、周囲から孤絶した個の世界が孕む危険性をも見通していたのだろうか。この作品の怖さは、自分の「こだわり」というものの愚劣さをえぐり出したところにある。決して読みやすい作品ではないかも知れないが、まるで自己の醜態を写し見るような第二部を乗り越えられれば後は順調に読み進められると思う。
2005年2月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
変わった人が出てくる小説が好きだが、「カラマーゾフ」以上の個性人が揃う。本好き、書籍愛好家を自負する人は、果たして主人公の「キーン」に勝てるかどうか、ぜひ自分と比較して読んでみると面白いのでは?私は「負けた」と思いました(ーー;)。「孤独の人」と呼ばれた作者にも、きっと「テレ―ゼ」のモデルになるような女性が側にいたのではないか?「夫の愛を確認できない主婦なんて、家政婦以下」と考えたことがあるが、「テレ―ゼ」の考え方はまさしくそれ。「退屈な読書好きの主婦」には、「そうよね~」と共感できるところ多々。普通の男には絶えられない世界かも。「群集」について考えつづけた人だけあって、中盤は圧巻。
2011年3月18日に日本でレビュー済み
ブッダがインドの王子であったという記述があり
聖徳太子を思い出す。
聖徳太子は厩戸王子と呼ばれ
厩で生まれたという説話はキリスト教の影響ではないかとか
実在しなかったのではないかという説もある。
日本で仏教の教義を積極的に学んだ聖徳太子は
ブッダと似せて王子とされたのか。
聖徳太子を思い出す。
聖徳太子は厩戸王子と呼ばれ
厩で生まれたという説話はキリスト教の影響ではないかとか
実在しなかったのではないかという説もある。
日本で仏教の教義を積極的に学んだ聖徳太子は
ブッダと似せて王子とされたのか。
2008年2月15日に日本でレビュー済み
20数年ぶりに再読。
これは20世紀を代表する世界文学であり、ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』や武田泰淳の『富士』を凌ぎ、トーマス・マン『ファウスト博士』『ブッデンブロークス』、大岡昇平『俘虜記』、大西巨人『神聖喜劇』、ジョイス『ユリシーズ』、プルースト『失われた時を求めて』に匹敵する。
私見ではカフカの『城』は本作品の足元にも及ばない。にも拘らず、本作は継子扱いされているとしか思えない。版元の数年前の復刊には喝采を惜しまないが、一部の巨大書店にしか置いていない。しかも、致し方ないにせよ高額すぎる。とは言え、小説好きは何をおいても確保に急ぐべし。
これは20世紀を代表する世界文学であり、ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』や武田泰淳の『富士』を凌ぎ、トーマス・マン『ファウスト博士』『ブッデンブロークス』、大岡昇平『俘虜記』、大西巨人『神聖喜劇』、ジョイス『ユリシーズ』、プルースト『失われた時を求めて』に匹敵する。
私見ではカフカの『城』は本作品の足元にも及ばない。にも拘らず、本作は継子扱いされているとしか思えない。版元の数年前の復刊には喝采を惜しまないが、一部の巨大書店にしか置いていない。しかも、致し方ないにせよ高額すぎる。とは言え、小説好きは何をおいても確保に急ぐべし。
2007年7月1日に日本でレビュー済み
訳あって週に一度図書館に行き、その都度約二時間、だいたい三ヶ月で読了となりました。いたしかたなかったとはいえ、そして先が気になるもどかしさに悶々と身を捩らされることにもなりはしましたが、結果としてはそうした読み方をしたことがあるいはよかったのでは、と今では思われます。というのもこの物語は、強烈な残像を残さずにはおかない簡潔な単文節の精緻な折り重なりによって語られていくのですが、それは少なくともわたしには、一週間のブランクを空けることによってようやく咀嚼しうるものであったように思われるからだし、その筆鋒は他に類を見ないくらい、じつに鋭利だったからです。「現代最高の中国学者キーン」及びその周辺の人びとの口を借り、まさに情け容赦のないそのペンによって自らが切り刻まれていく過程は、実際恐怖に近いものがありました。と同時に、言うまでもなくそれはある種の「ほどけ」を伴う愉悦でもあった。何かしら福音めいたものが訪れるわけではありませんが、一種の危機的状況に対し極めて有効に働く回路としての物語、一読した今はそんな印象を持っています。次に読む際には自分がどう感じるか、それがとても楽しみです。