リチャードさんからのお話しが聞かせてもらって、本当に良かったです。夢の中の人間には、目覚めてる人が言ってくれないと分からない。“こればかりは解放が起きないとわかりっこないんだよ”と正直に仰っられるのが全然いい!聞いておくと違いますから。これは筆者の目覚めて間もない2006年の第1段で'興奮のまま筆を走らせた'のだそうで、この後の「解放については全てを出し切った」という2011年の第3段まで 日本語訳での出版をお願いいたします。
このあとどうするかって?
さて夢の中で何しよう¨¨ ♪
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早く死ねたらいいね! ― <私はいない>を願う人への非二元と解放の言葉 (覚醒ブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2017/5/17
リチャード・シルベスター
(著),
村上 りえこ
(翻訳)
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「解放」が現れ、探求が終わった!
非二元の痛快なる一書!
人はいない。誰もいない。すべては意識。
タイトルは著者がトニー・パーソンズから受けた祝福の一言。
「解放」のことがとてもわかりやすく描写されているだけでなく、
「目覚め」の体験やそこから解放が起きるまでの期間の苦しみついても、
ごく自然な流れの中で盛り込まれています。
「解放はまったく特別なものではない」ということへの認識が、自然に深まっていく内容です。
トニー・パーソンズ、ネイサン・ギル、大和田菜穂、リック・リンチツ の語り口が好きな方、
非二元のメッセージをすでに知っていて、共感している方、
目覚め(一瞥)の体験はあるけれどまだ「自分」が残っている方、
「個」であるがゆえの分離の苦しみ・探求を終わらせたいと切に願う人方 におすすめです。
「解放についてのもっとも多い誤解、 それは個人がそれを成し遂げることができるという思い違いだ。
解放とは失うこと――解放のために何かを選んで行動している、 分離した個人がいるという感覚を失うことだ。
分離などないということがわかると、 個人に付着している脆弱性や恐れの感覚は剥がれ落ち(中略)
ようやく人生はただ経験されるものとなり、くつろぎが生まれる。 なんだっていいのだという安心感と、
何かにすがろうとすることの終焉がそこにある。」
(本文より)
非二元の痛快なる一書!
人はいない。誰もいない。すべては意識。
タイトルは著者がトニー・パーソンズから受けた祝福の一言。
「解放」のことがとてもわかりやすく描写されているだけでなく、
「目覚め」の体験やそこから解放が起きるまでの期間の苦しみついても、
ごく自然な流れの中で盛り込まれています。
「解放はまったく特別なものではない」ということへの認識が、自然に深まっていく内容です。
トニー・パーソンズ、ネイサン・ギル、大和田菜穂、リック・リンチツ の語り口が好きな方、
非二元のメッセージをすでに知っていて、共感している方、
目覚め(一瞥)の体験はあるけれどまだ「自分」が残っている方、
「個」であるがゆえの分離の苦しみ・探求を終わらせたいと切に願う人方 におすすめです。
「解放についてのもっとも多い誤解、 それは個人がそれを成し遂げることができるという思い違いだ。
解放とは失うこと――解放のために何かを選んで行動している、 分離した個人がいるという感覚を失うことだ。
分離などないということがわかると、 個人に付着している脆弱性や恐れの感覚は剥がれ落ち(中略)
ようやく人生はただ経験されるものとなり、くつろぎが生まれる。 なんだっていいのだという安心感と、
何かにすがろうとすることの終焉がそこにある。」
(本文より)
- 本の長さ160ページ
- 言語日本語
- 出版社ナチュラルスピリット
- 発売日2017/5/17
- ISBN-104864512388
- ISBN-13978-4864512381
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商品の説明
著者について
リチャード・シルベスター Richard Sylvester
三十年に及ぶスピリチュアルな探求を経て、ある夏の夜、
セントラル・ロンドンのチャリング・クロス駅で
「自分」という感覚がすっかり消える目覚めの体験をする。
その約一年後、探求の完全なる終焉―解放を迎える。
現在は、ロンドンほかヨーロッパ各地にて非二元(ノンデュアリティ)に関するミーティングを開催している。
イギリス、西ケントとイースト・サセックスの境に在住。
ホームページ http://www.richardsylvester.com
三十年に及ぶスピリチュアルな探求を経て、ある夏の夜、
セントラル・ロンドンのチャリング・クロス駅で
「自分」という感覚がすっかり消える目覚めの体験をする。
その約一年後、探求の完全なる終焉―解放を迎える。
現在は、ロンドンほかヨーロッパ各地にて非二元(ノンデュアリティ)に関するミーティングを開催している。
イギリス、西ケントとイースト・サセックスの境に在住。
ホームページ http://www.richardsylvester.com
登録情報
- 出版社 : ナチュラルスピリット (2017/5/17)
- 発売日 : 2017/5/17
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 160ページ
- ISBN-10 : 4864512388
- ISBN-13 : 978-4864512381
- Amazon 売れ筋ランキング: - 362,529位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年6月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本を読んで、ある言葉を思い出しました。「坊主臭い者、未だ坊主に非ず」という言葉です。「全ては無だ、何をするのも虚しい、と枯れ木のようになっている者がいる。当人は全てを見通し、分かっているつもりでいるが、それはまだ悟りの入り口に立っているにすぎないのだ」という意味だそうです。
著者のリチャード氏が語る中で、いくつか気になる点があります。例えば瞑想に関してですが、瞑想が解放(目覚め?)をもたらすことはない、と言います。確かに仏陀も、修行と信じて身体を痛めつけるような行為を続け「こんな事をしても何の意味もない」と気づき、他の方法も知らず「もう為す術がない」と諦め、全てを投げ出した瞬間に悟った、と聞いています。しかし、仏陀は悟った後に禅のスタイルを作り、瞑想に励んだのではないでしょうか。瞑想に意味を見出さないリチャード氏、目覚めた後に瞑想に励んだ仏陀、その違いは何でしょう。
リチャード氏は本書やネット上の発言で、時折禅の言葉を引用し非二元を説明しています。禅の言葉は禅僧によって語られたものでしょう。禅僧は禅を組みます。禅を組んで何をするのか? 私は遠い昔、仏教系(禅宗)の高校に通っていたのですが、その時の経験から言うと、禅を組んで行うのは瞑想です。リチャード氏は瞑想を無意味としながら、禅僧が禅という瞑想を通して得た言葉を用いて説明をしています。
詳しくは知りませんが、非二元を語る人達は二つに分かれるように思います。一つは、根元を知り、それまでの世界観が崩れ、衝撃が冷めないまま「無だ、無だ」とひたすら繰り返す人。もう一つは、ワンネスが見ているこの創造世界に大きな意味を見いだし、新たな世界観に対応して「(今まで思っていたような世界は)存在しない。しかし(新たな世界観として、この世界は確かに)存在する」として、その喜びを伝えようとする人。これが「坊主臭い者」と本当の「坊主」の違いなのではないでしょうか。
アニー・ケイガン氏、著「アフター・ライフ」に「すべての生物は同じ一つの源から生まれるけど、それぞれが、それぞれの花を咲かせることが創造の楽しさにつながっているんだ」という言葉があります。これを「すべての生物は一つの源が見ている幻想だ。本当は生物など存在しない」と捉えれば、素晴らしい世界が一転して虚しい無意味なものに思えてきます。要は、理解度の差による解釈の違いではないでしょうか。
エベン・アレグザンダー医師は、著書「プルーフ・オブ・ヘヴン」の中で「脳は受信器であると同時にリミッターでもある」と言っています。
また、最近、瞑想は医学界から「マインドフルネス」という別名を貰い、その効果が注目されているそうです。瞑想によって、脳の構造、遺伝子の活動が良い方向へと変化し、その効果は研究者達も驚くほどのものだそうです。
しかし、非二元を説く人の中には「〇〇とは何ですか? そのようなものは存在しないのです」で押し通す人もいるでしょう。ですが「この分離した世界で生きている」という幻想の状態でいる時「脳、身体という幻想の制約」を受けざるを得ないのは事実でしょう。リチャード氏も「空腹」という幻想には「食事をとる」という幻想で対応するでしょう。
アレグザンダー医師の言う通りなら、受信器である脳の精度を上げなければ「真理が分かった」と思っても、それはまだ精度の低い状態での受信器(脳)が受信した、広い世界である真理のごく一部を垣間見ただけなのかもしれません。おもちゃの望遠鏡で見た宇宙と、ハッブル宇宙望遠鏡で見た宇宙が違うように。
そこで現代医学のマインドフルネスの考え方を取り入れると、受信器(脳)の性能を上げ、より正確に真理を受信し理解する手段、それが「瞑想」ということになりそうです。もしかすると仏陀は、はるか昔にこの事に気づいていたのかもしれません。
しかし「この世界は、ワンネスが“真の自己”を忘れるたらどうなるかを経験するためにつくった」と聞いたことがあります。とてもしっくりする考え方です。つまり、いくら頑張ってもこの次元では「真実=本当の自分」には辿り着けない、ということになります。ここでは、私たち一人ひとりは小さなカップに過ぎず、真理という大海を全てその中に収めて理解することは叶わないと思います。従って「真理に辿り着いた」という人がいても、それを鵜呑みにして自分の価値観や人生を明け渡すべきではないでしょう。
追記
ステファン・ボディアン氏の著書を読めば、リチャード・シルベスター氏は一度目覚めは経験したものの、再びエゴの巧妙な策略に支配され、少なくともこの著書を執筆している時点では、その事実に気づいていないことがよく分かります。
著者のリチャード氏が語る中で、いくつか気になる点があります。例えば瞑想に関してですが、瞑想が解放(目覚め?)をもたらすことはない、と言います。確かに仏陀も、修行と信じて身体を痛めつけるような行為を続け「こんな事をしても何の意味もない」と気づき、他の方法も知らず「もう為す術がない」と諦め、全てを投げ出した瞬間に悟った、と聞いています。しかし、仏陀は悟った後に禅のスタイルを作り、瞑想に励んだのではないでしょうか。瞑想に意味を見出さないリチャード氏、目覚めた後に瞑想に励んだ仏陀、その違いは何でしょう。
リチャード氏は本書やネット上の発言で、時折禅の言葉を引用し非二元を説明しています。禅の言葉は禅僧によって語られたものでしょう。禅僧は禅を組みます。禅を組んで何をするのか? 私は遠い昔、仏教系(禅宗)の高校に通っていたのですが、その時の経験から言うと、禅を組んで行うのは瞑想です。リチャード氏は瞑想を無意味としながら、禅僧が禅という瞑想を通して得た言葉を用いて説明をしています。
詳しくは知りませんが、非二元を語る人達は二つに分かれるように思います。一つは、根元を知り、それまでの世界観が崩れ、衝撃が冷めないまま「無だ、無だ」とひたすら繰り返す人。もう一つは、ワンネスが見ているこの創造世界に大きな意味を見いだし、新たな世界観に対応して「(今まで思っていたような世界は)存在しない。しかし(新たな世界観として、この世界は確かに)存在する」として、その喜びを伝えようとする人。これが「坊主臭い者」と本当の「坊主」の違いなのではないでしょうか。
アニー・ケイガン氏、著「アフター・ライフ」に「すべての生物は同じ一つの源から生まれるけど、それぞれが、それぞれの花を咲かせることが創造の楽しさにつながっているんだ」という言葉があります。これを「すべての生物は一つの源が見ている幻想だ。本当は生物など存在しない」と捉えれば、素晴らしい世界が一転して虚しい無意味なものに思えてきます。要は、理解度の差による解釈の違いではないでしょうか。
エベン・アレグザンダー医師は、著書「プルーフ・オブ・ヘヴン」の中で「脳は受信器であると同時にリミッターでもある」と言っています。
また、最近、瞑想は医学界から「マインドフルネス」という別名を貰い、その効果が注目されているそうです。瞑想によって、脳の構造、遺伝子の活動が良い方向へと変化し、その効果は研究者達も驚くほどのものだそうです。
しかし、非二元を説く人の中には「〇〇とは何ですか? そのようなものは存在しないのです」で押し通す人もいるでしょう。ですが「この分離した世界で生きている」という幻想の状態でいる時「脳、身体という幻想の制約」を受けざるを得ないのは事実でしょう。リチャード氏も「空腹」という幻想には「食事をとる」という幻想で対応するでしょう。
アレグザンダー医師の言う通りなら、受信器である脳の精度を上げなければ「真理が分かった」と思っても、それはまだ精度の低い状態での受信器(脳)が受信した、広い世界である真理のごく一部を垣間見ただけなのかもしれません。おもちゃの望遠鏡で見た宇宙と、ハッブル宇宙望遠鏡で見た宇宙が違うように。
そこで現代医学のマインドフルネスの考え方を取り入れると、受信器(脳)の性能を上げ、より正確に真理を受信し理解する手段、それが「瞑想」ということになりそうです。もしかすると仏陀は、はるか昔にこの事に気づいていたのかもしれません。
しかし「この世界は、ワンネスが“真の自己”を忘れるたらどうなるかを経験するためにつくった」と聞いたことがあります。とてもしっくりする考え方です。つまり、いくら頑張ってもこの次元では「真実=本当の自分」には辿り着けない、ということになります。ここでは、私たち一人ひとりは小さなカップに過ぎず、真理という大海を全てその中に収めて理解することは叶わないと思います。従って「真理に辿り着いた」という人がいても、それを鵜呑みにして自分の価値観や人生を明け渡すべきではないでしょう。
追記
ステファン・ボディアン氏の著書を読めば、リチャード・シルベスター氏は一度目覚めは経験したものの、再びエゴの巧妙な策略に支配され、少なくともこの著書を執筆している時点では、その事実に気づいていないことがよく分かります。
2017年5月30日に日本でレビュー済み
これまで『死にながら生きる』という言葉に後ろ向きでネガティブな印象しかなかったが、この本のお陰で意味が反転した。というより、意味もどうでも良いという境地?とは大袈裟だか、そのような感覚を得た。
『自己というエゴ』が『死ぬ』ことによって自分と周りの世界に境界線や分離感が喪失するような経験を、私もかつて数分味わった。その時は、それまでいつも頭にこびりついていたイヤな人間のこと、些末な問題や悩みが、手からこぼれてどうでもよくなる感覚になり、体が肉体の感覚を忘れて軽くなった。むしろ、馴染んでいた問題や悩みたちが離れて、物足りなく思えたことが不思議だった。
今思うと『死んだら』こうなるのでは?と思える体験だった。かといって相変わらず家賃を払う生活は続くが、生きるという人生の演技が映画のスクリーンのなかで繰り広げられ、そのスクリーンを投影しているのは結局は自分なんだと、いつもの結末にたどり着く。たくさんの本を読み漁り理解していたつもりでも、なかなか府に落ちるところまでこなかったが、『早く死ねたら』というこのフレーズはまさに的を射る表現だと思う。
『自己というエゴ』が『死ぬ』ことによって自分と周りの世界に境界線や分離感が喪失するような経験を、私もかつて数分味わった。その時は、それまでいつも頭にこびりついていたイヤな人間のこと、些末な問題や悩みが、手からこぼれてどうでもよくなる感覚になり、体が肉体の感覚を忘れて軽くなった。むしろ、馴染んでいた問題や悩みたちが離れて、物足りなく思えたことが不思議だった。
今思うと『死んだら』こうなるのでは?と思える体験だった。かといって相変わらず家賃を払う生活は続くが、生きるという人生の演技が映画のスクリーンのなかで繰り広げられ、そのスクリーンを投影しているのは結局は自分なんだと、いつもの結末にたどり着く。たくさんの本を読み漁り理解していたつもりでも、なかなか府に落ちるところまでこなかったが、『早く死ねたら』というこのフレーズはまさに的を射る表現だと思う。
2020年12月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
学びも発見もなかった。
丁寧な描写とも感じない。
他のネオの本と同じ。構成も本の薄さも、どこか小馬鹿にした書き方も。
この手の本を沢山読んできたなら買ける内容。
定価じゃなく古本で買えば良かった。。。
このレベルが理解できる探求者ならラメッシが書いた「ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの」を読む事を強くオススメする。
全て書かれている。
この本とは比べ物にならないくらい何段階も理解が深まるだろう。
本物を読もう。
丁寧な描写とも感じない。
他のネオの本と同じ。構成も本の薄さも、どこか小馬鹿にした書き方も。
この手の本を沢山読んできたなら買ける内容。
定価じゃなく古本で買えば良かった。。。
このレベルが理解できる探求者ならラメッシが書いた「ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの」を読む事を強くオススメする。
全て書かれている。
この本とは比べ物にならないくらい何段階も理解が深まるだろう。
本物を読もう。
2017年5月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
トニー・パーソンズの系譜の方のようです。
トニーと言ってることは一緒ですが、表現がより丁寧親切という印象です。
自分が読んだスピ系本の中では現時点でベストですね。
トニーと言ってることは一緒ですが、表現がより丁寧親切という印象です。
自分が読んだスピ系本の中では現時点でベストですね。
2017年8月27日に日本でレビュー済み
私は幼少のころから生きることに虚無感を持っていて、精神疾患を機会に少しずつ形而上学の世界に入ってきました。
本当に本当にたくさんのセラピー、ワーク、ヒーリングをやりました。
本当に本当にたくさんの先生、ヒーラー、セラピストと呼ばれる方に会ってきました。
それでも消えない分離感と虚無感の日々の中で、あるワークに参加しました。
誰にもできるほど簡単で、
なぜこれが?という内容を胡散臭い先生に習い帰宅するときのことです。
おそらくこの本の中にある"解放"が起こりました。
ワークショップへの参加は解放の前置きとして必要だったのだと思います。
解放が起こっても日常は起こり続ける、そんなことご書いてありますが、今まさにその中にいます。
なんでしょうか?かつてこんなに安らかというか、そんな状態であったことはありませんでした。
私はスピリチュアルは大好きです。
ですがそれらを今は単純に、楽しむ対象として見ています。
なので、この本は読むタイミングが違うと全くわけの分からないものになってしまうと思います。私だって、1ヶ月前だったら途中で捨てていたかもしれません。
他の方のレビューなどを参考にされ、静かに惹かれるものがある方が手にするべきです。
進んで読むものではありません。
しかもこれはタイミングやどんな生き方を選ぶかの問題であって、
理解できるのが優れているといったようなことでは全くありません。
本当に本当にたくさんのセラピー、ワーク、ヒーリングをやりました。
本当に本当にたくさんの先生、ヒーラー、セラピストと呼ばれる方に会ってきました。
それでも消えない分離感と虚無感の日々の中で、あるワークに参加しました。
誰にもできるほど簡単で、
なぜこれが?という内容を胡散臭い先生に習い帰宅するときのことです。
おそらくこの本の中にある"解放"が起こりました。
ワークショップへの参加は解放の前置きとして必要だったのだと思います。
解放が起こっても日常は起こり続ける、そんなことご書いてありますが、今まさにその中にいます。
なんでしょうか?かつてこんなに安らかというか、そんな状態であったことはありませんでした。
私はスピリチュアルは大好きです。
ですがそれらを今は単純に、楽しむ対象として見ています。
なので、この本は読むタイミングが違うと全くわけの分からないものになってしまうと思います。私だって、1ヶ月前だったら途中で捨てていたかもしれません。
他の方のレビューなどを参考にされ、静かに惹かれるものがある方が手にするべきです。
進んで読むものではありません。
しかもこれはタイミングやどんな生き方を選ぶかの問題であって、
理解できるのが優れているといったようなことでは全くありません。
2017年8月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
全然読んでも無駄だと思った。
アドヴァイタ系の本を読んでも思考によってまた新たなパターンを作り出すだけで意味がわからない。
あれこれ意見してくるのはエゴなのだから目の前の与えられた体験をよく味わってみた方が良いのでは?
アドヴァイタ系の本を読んでも思考によってまた新たなパターンを作り出すだけで意味がわからない。
あれこれ意見してくるのはエゴなのだから目の前の与えられた体験をよく味わってみた方が良いのでは?
2019年5月21日に日本でレビュー済み
誰もいない、ということよりも、意識だけが実在である、ということに重点がおかれて読まれるべき書である。p.151にあるよに、本当のあなたは意識である、ということがこの書のポイントである。波ではなく海に重点を移行する。そうすると、波である私(エゴ)か消える。そして、安らかさが現成する。そういうことである。興味深い書である。苦しみの元凶である「あなた」が消えますように。