現在の日本人は、そこまで同文同種と思っていないような気がするが、
両者をよくご存じの著者による分析で興味深く読みました。
(でも結構似たり寄ったりだったりするんですけどね。)
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥2,000以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
新品:
¥902¥902 税込
ポイント: 28pt
(3%)
無料お届け日:
3月31日 日曜日
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
新品:
¥902¥902 税込
ポイント: 28pt
(3%)
無料お届け日:
3月31日 日曜日
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
中古品: ¥207
中古品:
¥207

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
日本人と中国人――〝同文同種〟と思いこむ危険 (祥伝社新書 487) 新書 – 2016/11/2
陳 舜臣
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥902","priceAmount":902.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"902","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"ZbTuqbTxxgRaRwgukzmbHqgg3MRXBPzKub3jHj%2BYpSow9MdqslnWa5t7kGPOEEOCCMVP8PFwn2ycQm4ly6DuYhF7MPdvoRb%2FCTlp2R%2FXVDanRNs%2FeDLw6GvQp7uzWgBWwNRDusoiaSU%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥207","priceAmount":207.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"207","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"ZbTuqbTxxgRaRwgukzmbHqgg3MRXBPzKsIKFN0zzaeAXl%2BK6gAqbAIgVOWP8Rl3bfq%2Fj%2Fpg8DtbRK%2BbB09HKLEy%2B%2BeI%2B7Vhk%2FQeIfTazVmVJZ0d%2F34biBiihRroSneOxQiWitAjzDM06NG0K4vngDMkriO9GnUPKbbuKgYuhkE2q30%2BEJ52LtQ%3D%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
名著・復刊! 中国を知り、日本を知る最良の入門書
同じ黄色人種であり、漢字や食文化などの共通性から、日本人は日本と中国を「同文同種」と考えやすい。しかし著者は、日本人と中国人は「似て非なる存在」であり、
中国の多様性を十分に理解しない日本人は誤解の陥穽に陥りやすいと言及。両国の違いについて、具体的事例を用いて、比較・検証する。
本書の初版は1971年だが、時事的要素を避け、歴史や古典を基にすることで、本質をとらえることに成功している。現在の日中関係を考えるうえでも、大いに参考になるだろう。
<以下、目次から>
どうでもよかった隣人/旗のままに/猫も杓子も/胡服騎射/おなじ根/この差/同文同種に甘えるな/尊血主義/文明は中原より/文明の周辺/決定的なもの/
シンメトリー(相称性)/人間さま/自殺の作法/政治すなわち文化/名と実/竜と鳳
同じ黄色人種であり、漢字や食文化などの共通性から、日本人は日本と中国を「同文同種」と考えやすい。しかし著者は、日本人と中国人は「似て非なる存在」であり、
中国の多様性を十分に理解しない日本人は誤解の陥穽に陥りやすいと言及。両国の違いについて、具体的事例を用いて、比較・検証する。
本書の初版は1971年だが、時事的要素を避け、歴史や古典を基にすることで、本質をとらえることに成功している。現在の日中関係を考えるうえでも、大いに参考になるだろう。
<以下、目次から>
どうでもよかった隣人/旗のままに/猫も杓子も/胡服騎射/おなじ根/この差/同文同種に甘えるな/尊血主義/文明は中原より/文明の周辺/決定的なもの/
シンメトリー(相称性)/人間さま/自殺の作法/政治すなわち文化/名と実/竜と鳳
- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社祥伝社
- 発売日2016/11/2
- ISBN-104396114877
- ISBN-13978-4396114879
よく一緒に購入されている商品

対象商品: 日本人と中国人――〝同文同種〟と思いこむ危険 (祥伝社新書 487)
¥902¥902
最短で3月31日 日曜日のお届け予定です
残り1点(入荷予定あり)
¥902¥902
最短で3月31日 日曜日のお届け予定です
残り4点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
著者について
陳 舜臣(ちん しゅんしん)
1924年、兵庫県神戸市生まれ。1943年、大阪外国語大学印度語科卒業。同校西南亜細亜語研究所助手を経て、家業の貿易業に従事。
1961年、『枯草の根』で江戸川乱歩賞を受賞し、作家生活に入る。1969年、『青玉獅子香炉』で直木賞受賞。
以後、日本推理作家協会賞、毎日出版文化賞、大佛次郎賞、吉川英治文学賞、朝日賞、日本芸術院賞などを受賞。
著書に『阿片戦争』『小説十八史略』『中国の歴史』『諸葛孔明』『琉球の風』など。2015年1月、逝去。
1924年、兵庫県神戸市生まれ。1943年、大阪外国語大学印度語科卒業。同校西南亜細亜語研究所助手を経て、家業の貿易業に従事。
1961年、『枯草の根』で江戸川乱歩賞を受賞し、作家生活に入る。1969年、『青玉獅子香炉』で直木賞受賞。
以後、日本推理作家協会賞、毎日出版文化賞、大佛次郎賞、吉川英治文学賞、朝日賞、日本芸術院賞などを受賞。
著書に『阿片戦争』『小説十八史略』『中国の歴史』『諸葛孔明』『琉球の風』など。2015年1月、逝去。
登録情報
- 出版社 : 祥伝社 (2016/11/2)
- 発売日 : 2016/11/2
- 言語 : 日本語
- 新書 : 272ページ
- ISBN-10 : 4396114877
- ISBN-13 : 978-4396114879
- Amazon 売れ筋ランキング: - 591,110位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

1924(大正13)年、神戸に生まれる。大阪外語大学印度語部卒業。同校西南亜細亜語研究所助手を勤めるが終戦によって辞職し、家業の貿易に従事。 1961年、『枯草の根』により江戸川乱歩賞を受賞し作家生活に入る。69年、『青玉獅子香炉』により直木賞、70年、『玉嶺よふたたび』『孔雀の道』に より日本推理作家協会賞、71年、『実録アヘン戦争』により毎日出版文化賞、76年、『敦煌の旅』により大佛次郎賞、89年、『茶事遍路』により読売文学 賞(随筆・紀行賞)、92年、『諸葛孔明』により吉川英治文学賞、93年、朝日賞、さらに95年、「作家としての業績」により日本芸術院賞をそれぞれ受賞 する。日本芸術院会員(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『秘本三国志(六) 』(ISBN-10:4122052157)が刊行された当時に掲載されていたものです)
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2021年9月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
書かれたのがだいぶ前なので古典として読んだが、論拠に偏りがあり(古典文学からの国民性の推論が9割、論も抽象的でふわっとしている)、どちらが良い・悪いではないとは繰り返し述べられてはいるものの結局日本と比較して大陸の優位性に持論をお持ちなような文体で、中立性を感じられず、鼻についた。
2018年4月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本の初版は昭和46年(1971)に世に出たという。
著者は、あとがきとして、2005年7月に『本書に訂正すべき箇所はほとんどないとわかり、時事を避けたことは正解』と書いているが、全くその通りだと思う。
『明治以前の両国は、文物や伝聞を通じてしかまじわっていない。 膚 と膚を接して、たがいの体温をかんじるような接触の仕方をしたのは、きわめて稀れであった。』と著者が言うように、日本人は、つい百数十年前まで書物を通して中国の理念しか見ず、中国人は日本のことなんか全く興味がなかったのだと思う。それが、ここ最近の双方がなければ経済的に成り立たないような関係になり、それこそ、膚と膚を接した交流が増えてきてはいるものの、まだまだお互いを理解しているとは言えない。どちらかというと、本書は日本人に対して厳しく書いていると感じるかもしれないが、少なくとも、今後の日本のことを考える際に、まず、隣人の中国人のことをもっと大局的に知るべきだと思う。まずは、本書のようにスケールの大きな書物から学んでもよいのではないだろうか。
例えば、『日本はどんなものでも、「役に立つ」とわかれば、それを採り入れるのに敏速であり、かつ熱心だった』一方で、『中国人は「役に立つ」とわかっても、なかなかそれを採用しようとしなかった』と書かれている。西洋文明と出会った際の対応の差異に関しての分析だが、著者は、史記の趙の武霊王が、異族である胡の服装を採用した際の故事で説明しており、なかなか面白い。中国人が文明・文化に関わるものを採り入れる際は、説得するのに時間がかかるというのである。
とは言いながら、昨今の中国の新しいものの取り組みのスピードの速さは、圧倒的だと常々感じている。特にITサービスなどの分野では、中国は、儲かると思えば、まずやってみるという感じで積極的にお金を動かしていくのに対して、日本は、様々な規制があり慎重論が多く、なかなか進まない。このような状況に遭遇すると、著者が『中国人は歩きながら、道しるべを立ててきた民族で、日本人は道しるべを頼りに歩いてきた民族であるといえる。』と手厳しく言っているように、確かに、日本人は、お手本がないような場合、先頭に立って何かを作り出していくことは得意ではないかもしれない。
『生きることで、頼りにしなければならない目盛が百あるとする。中国の場合、そのうちの九十が人間であるとすれば、日本の人間依頼度は五十を割るかもしれない。残りの五十は、本来なら「神」で補塡されるべきものだが、日本人はそこに美意識をはめ込んだ。もののあわれである。』と著者は言う。そういう美意識みたいなはっきりしないものを頼りにするから、「空気」で左右されてしまう傾向があるのかもしれない。
中国はやはり大きな国だ。『書かれた歴史、これから書かれるであろう歴史を、人間生活そのものとして尊重』し、『キリスト教徒が、「神かけて……」というところを、中国人は「歴史にかけて……」というだろう。』と著者は言う。確かに、中国は、十年後、百年後も見据えて国づくりをしているように感じる。中華という世界の歴史観というものがあるからだろう。そういう隣国がある中、お手本のないグローバル社会を生き抜いていかなければならない日本が、今後、どうすべきかと考えるためのスタートラインになる本ではないか。
著者は、あとがきとして、2005年7月に『本書に訂正すべき箇所はほとんどないとわかり、時事を避けたことは正解』と書いているが、全くその通りだと思う。
『明治以前の両国は、文物や伝聞を通じてしかまじわっていない。 膚 と膚を接して、たがいの体温をかんじるような接触の仕方をしたのは、きわめて稀れであった。』と著者が言うように、日本人は、つい百数十年前まで書物を通して中国の理念しか見ず、中国人は日本のことなんか全く興味がなかったのだと思う。それが、ここ最近の双方がなければ経済的に成り立たないような関係になり、それこそ、膚と膚を接した交流が増えてきてはいるものの、まだまだお互いを理解しているとは言えない。どちらかというと、本書は日本人に対して厳しく書いていると感じるかもしれないが、少なくとも、今後の日本のことを考える際に、まず、隣人の中国人のことをもっと大局的に知るべきだと思う。まずは、本書のようにスケールの大きな書物から学んでもよいのではないだろうか。
例えば、『日本はどんなものでも、「役に立つ」とわかれば、それを採り入れるのに敏速であり、かつ熱心だった』一方で、『中国人は「役に立つ」とわかっても、なかなかそれを採用しようとしなかった』と書かれている。西洋文明と出会った際の対応の差異に関しての分析だが、著者は、史記の趙の武霊王が、異族である胡の服装を採用した際の故事で説明しており、なかなか面白い。中国人が文明・文化に関わるものを採り入れる際は、説得するのに時間がかかるというのである。
とは言いながら、昨今の中国の新しいものの取り組みのスピードの速さは、圧倒的だと常々感じている。特にITサービスなどの分野では、中国は、儲かると思えば、まずやってみるという感じで積極的にお金を動かしていくのに対して、日本は、様々な規制があり慎重論が多く、なかなか進まない。このような状況に遭遇すると、著者が『中国人は歩きながら、道しるべを立ててきた民族で、日本人は道しるべを頼りに歩いてきた民族であるといえる。』と手厳しく言っているように、確かに、日本人は、お手本がないような場合、先頭に立って何かを作り出していくことは得意ではないかもしれない。
『生きることで、頼りにしなければならない目盛が百あるとする。中国の場合、そのうちの九十が人間であるとすれば、日本の人間依頼度は五十を割るかもしれない。残りの五十は、本来なら「神」で補塡されるべきものだが、日本人はそこに美意識をはめ込んだ。もののあわれである。』と著者は言う。そういう美意識みたいなはっきりしないものを頼りにするから、「空気」で左右されてしまう傾向があるのかもしれない。
中国はやはり大きな国だ。『書かれた歴史、これから書かれるであろう歴史を、人間生活そのものとして尊重』し、『キリスト教徒が、「神かけて……」というところを、中国人は「歴史にかけて……」というだろう。』と著者は言う。確かに、中国は、十年後、百年後も見据えて国づくりをしているように感じる。中華という世界の歴史観というものがあるからだろう。そういう隣国がある中、お手本のないグローバル社会を生き抜いていかなければならない日本が、今後、どうすべきかと考えるためのスタートラインになる本ではないか。
2017年3月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
おすすめです。出版は1971年と古いですが、日本人の歴史好きが生半可に中国の古文学を引き合いに中国人を述べるのとはまったく違う「根本的な考え方と姿勢」が綴られていて、大変参考になります。根本からいまの中国や中国人を理解し、考える術を持ちたい人には大変役に立つヒントと事例が沢山載っています。
2016年12月5日に日本でレビュー済み
日本と中国は、漢字文化、食文化、黄色人種等の共通性から、一般に「同文同種」「一衣帯水」との間柄と言った表現が用いられますが、現在、日中関係はお互いへの感情が悪く、歴史上最悪の時代を迎えています。
著者の陳舜臣氏は日本生まれの中国人、喫緊の時事問題を避けて、永い歴史を振り返りつつ、日本人と中国人の違いを解説していて、今日の最悪な日中関係を改善する様な議論が多く、その洞察力には感心させられる処が多いと思われます。
著書の初版は1972年で、日中国交正常化がなって、中国ブームが起こっている時期であった。しかし、交流が深まるにつれてお互いの国への感情は悪化したが、初版執筆から30数年、訂正すべき箇所は殆ど無いと分かり、時事を避けたことは正解だと安堵している。(2005年度版あとがき)
例えば、文学や文学者に関しても、考え方の隔たりは大きく、違いを理解しつつ、付き合うことが必要だと言うのです。
日本人は、文学が拘わりを持つのは、「もののあわれ」であって、政治はその反対物として切り離された方が良い。
中国人にとっては、文学者が政治の渦に巻き込まれる、しごく当たり前のことで、弾圧を受けても、当然のことと受け止めているに違いない。
もし、近づくつもりがあるのなら、最低の条件として、相手がこちらと違うと言う点を理解すべきだと言うのである。
20~21世紀でとかく言われる経済的な資本主義・共産主義の違いが大きいと言う前に、お互いの永い国情から培われた本質的な政治体制の違いを認めるべきだと言うのです。
日本では機構或いはしきたりは上の権力2重構造で自己を制御し、中国では理念の2重性と皇帝の交代で蘇生を繰り返した。機構は「実」であり、理念が「名」であることは言うまでも無い。
このように長短相補う様な国家を、互いに隣国として存在させているのは、摂理の様な気がする。どちらが優れ、どちらが劣るかと言う問題ではない。一方が一方を倣って同化してしまっては、その摂理に対する冒涜であろう。
著者の陳舜臣氏は日本生まれの中国人、喫緊の時事問題を避けて、永い歴史を振り返りつつ、日本人と中国人の違いを解説していて、今日の最悪な日中関係を改善する様な議論が多く、その洞察力には感心させられる処が多いと思われます。
著書の初版は1972年で、日中国交正常化がなって、中国ブームが起こっている時期であった。しかし、交流が深まるにつれてお互いの国への感情は悪化したが、初版執筆から30数年、訂正すべき箇所は殆ど無いと分かり、時事を避けたことは正解だと安堵している。(2005年度版あとがき)
例えば、文学や文学者に関しても、考え方の隔たりは大きく、違いを理解しつつ、付き合うことが必要だと言うのです。
日本人は、文学が拘わりを持つのは、「もののあわれ」であって、政治はその反対物として切り離された方が良い。
中国人にとっては、文学者が政治の渦に巻き込まれる、しごく当たり前のことで、弾圧を受けても、当然のことと受け止めているに違いない。
もし、近づくつもりがあるのなら、最低の条件として、相手がこちらと違うと言う点を理解すべきだと言うのである。
20~21世紀でとかく言われる経済的な資本主義・共産主義の違いが大きいと言う前に、お互いの永い国情から培われた本質的な政治体制の違いを認めるべきだと言うのです。
日本では機構或いはしきたりは上の権力2重構造で自己を制御し、中国では理念の2重性と皇帝の交代で蘇生を繰り返した。機構は「実」であり、理念が「名」であることは言うまでも無い。
このように長短相補う様な国家を、互いに隣国として存在させているのは、摂理の様な気がする。どちらが優れ、どちらが劣るかと言う問題ではない。一方が一方を倣って同化してしまっては、その摂理に対する冒涜であろう。