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悲傷の追想――『コギト』編集発行人、肥下恒夫の生涯 (シリーズ知の港) 単行本 – 2012/10/21

5.0 5つ星のうち5.0 3個の評価

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★没後50年、はじめてその生の全像を記す★  昭和初期の日本文学史に重要な役割を果たしたにもかかわらず、沈黙して帰農、最期には自死した肥下恒夫。戦前から戦後へ転じる価値激変のなか、誠実に生きんとしたために悲劇へと傾斜していったその生の内実を、残された本人の日誌ほか一次資料をもとに追った労作。日本ナショナリズムや日本浪曼派研究の基礎文献となる書であるとともに、一知識人の特異な生涯を描いた良質のノンフィクションである。肥下作品集、年譜、保田與重郎小論を付す。
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商品の説明

レビュー

★日本浪曼派の淵源をさぐったドキュメント  昭和戦前期のナショナリズム運動として若者の心を広くとらえ、戦後に橋川文三『日本浪曼派批判序説』などで激しく批判された日本浪曼派。保田與重郎を中心としたこのグループが日本思想史にもたらしたものについては、その後もさまざまな論争・研究が行なわれてきた。そして、日本浪曼派は昭和の重要な文学運動でもあった。このグループからは保田與重郎、亀井勝一郎、伊東静雄、太宰治、檀一雄といった文学者が、大小の関わりをもって登場するとともに、既成の文学者からも佐藤春夫や萩原朔太郎らが参集している。周辺を含めれば三島由紀夫も数えられる。人材的にいえば、日本浪曼派は日本文学のきわめて豊富な水脈だといってよい。  保田與重郎もいうように、日本浪曼派は文学雑誌『コギト』の主張を展開する形ではじまった。『コギト』こそ日本浪曼派の淵源にあったものである。若き学生たちの雑誌として初発し、昭和戦前期日本の非常時・戦時のなか12年半、実に146号にわたって継続刊行され、日本浪曼派の運動の母胎であり続けた『コギト』。しかし、一貫してその編集発行人の立場にあった肥下恒夫のすがたは歴史に隠された。肥下恒夫は帰農したうえ、沈黙を守ったまま戦後16年7か月を生き、やがて自ら生命を絶つという道を辿ったからである。  内実が充分に解明されたとはいえず、いまだ日本思想史、文学史上の謎ともいえる日本浪曼派。そこへのアプローチを試みようとするとき、肥下恒夫の悲傷の生を追い、それが意味するものをみつめた本書『悲傷の追想』が、21世紀の読者に問いかけるものはたいへん大きい。(ライトハウス開港社)

著者について

表現学者、淑徳大学教授。1960年東京生まれ。千葉大学人文学部卒。文学博士(千葉大学、論文博士)。中央公論社・中央公論新社に勤務し、新書・選書の編集長を長年務める。その一方で、社外にて思想誌『ひらく』の編集委員長を任じてきた。2020年より現職。著者としては、『文藝春秋』などに執筆したのち、2010年に2冊の単著を上梓して本格的に活動開始。本名・横手拓治。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ ライトハウス開港社; クラシックエディション版 (2012/10/21)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2012/10/21
  • 単行本 ‏ : ‎ 256ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4905200040
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4905200048
  • 対象読者年齢 ‏ : ‎ 15 歳以上
  • 寸法 ‏ : ‎ 1.8 x 12.8 x 18.8 cm
  • カスタマーレビュー:
    5.0 5つ星のうち5.0 3個の評価

著者について

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澤村 修治
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淑徳大学教授。1960年東京生まれ、千葉大学人文学部卒。博士〔文学〕(千葉大学、論文博士)。中央公論社・中央公論新社に勤務したのち現職。2010年に2冊の単著を上梓して活動をはじめる。また本名・横手拓治名義の共著として、アイデア編集部編『現代日本のブックデザイン』、日本出版学会編『パブリッシング・スタディーズ』、出版文化産業振興財団編『JPIC読書アドバイザー養成講座1/本が手に届くまで』(改訂版第4版)がある。

カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2015年3月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 先日ふと思ひ立って、田中克己先生と杉山平一先生との対談記録(雑誌『文芸広場』昭和59年)を、ホームページに上すべくテキストにおこしてゐた時のことです。対談中、何度となく“同情を禁じえない”といふ態度で話題に上ってゐた、肥下恒夫氏について、なんとなく気になったのでインターネットで検索してゐたら『悲傷の追想―『コギト』編集発行人、肥下恒夫の生涯 』といふ書下ろしの新刊本が、2012年に刊行されてゐることを思ひがけず発見したのです。コギトの名を冠したホームページを運営してをりながら、全く迂闊なことですが、著者の澤村修治といふ方はこれまで全く存じ上げない未知の方でありました。
 早速注文して到着したのが肥下氏の御命日前日のこと。一連の行動が御霊に呼ばて行ったもののやうに思はれてならず、祥月命日の一日、粛然とした気持ちで繙いてをりました。

 「政治的なものから意図的にずれようとした・若き不良知識人たち(同24p)」がつどった同人雑誌『コギト』。雑誌を経済的に支へ、編集雑務の一切を引き受け、『コギト』の母ともいふべき役回りを自ら演じたのは、同人中の奇特な地主素封家であった肥下恒夫でした。「協同の営為」に生涯を捧げた彼の運命はしかし、戦後を境に暗転します。

軍の協力者という誤解を含んだ否定項と、地主という戦後改革での明確な否定項をともに引き受けることになった肥下は、一方で繊細な知識人であった。(『悲傷の追想』53p)

 繊細なばかりではない、至って正義感の強い人でありました。
 本書はその悲劇的な最期に報ずるため、御遺族の協力によって得られた新資料をもとに書きおろされた伝記。前半を割いて戦後の後半生に迫った「胸中恒に花あり」(12-119p)を眼目としてゐます。

 農地改革を受け、売渡式の「祝辞」まで書いて手放した土地が、只同然で取り上げられたことより、時代とともに農地以外の貌に変っていったことの方がむしろ彼にとって不本意なものではなかったかといふ指摘(同54p)にはハッとさせられます。自ら鍬を握り、残った土地で始めた農業が立ち行かず、さりとて学校の教員にもなれず(裕福ゆゑ無理に大学を卒業しなかった)、折角得た病院事務の仕事も内部の不正に耐へられず辞めてしまふ。かつての盟友と会ふことにも気後れが生じ始めるといった条りには、彼を自殺に追ひ詰める複線が一本また一本と張られていくやうで、胸に詰まるものを覚えます。

 本書には、既出資料では大妻女子大学紀要にまとまって公開された「肥下恒夫宛保田与重郎書簡」、それから田中克己先生の回想文がしばしば引用されてゐます。が、なんといっても肥下家に遺された日記と、養女里子氏からの聞き書きといふ、フィールドワークの成果が大きい。戦後となって、訪問のたびにお土産を持ってきてくれた田中先生のことを「ニイタカドロップのおっちゃん」と懐かしく回想されるなど、肥下家と親戚関係※にあった田中先生とは気の置けない交友が続いてゐた様子を窺はせる箇所も数多見受けられるのを嬉しく拝見しました。 (※大阪高校教諭全田忠蔵夫妻それぞれの甥に当たる)

 読みながら、斯様な『コギト』伝を書けるものならば書きたかった自分の菲才を省み、また最晩年の田中先生の知遇を忝くしておきながら、もっといろんなことを聞いておいたらよかったのにと、怠慢の責にも苛まれてゐるところです。

 さうして本書は、「心を盤石の如くおし鎮め」沈黙に甘んじ沈黙を強いた、謎の多い『コギト』の裏方の実像に迫る優れた伝記であると同時に、初期『コギト』に掲載された肥下恒夫の詩・小説・編集後記を併載して、中断された彼の志を留めた作品集を兼ね、さらに『コギト』の実質的な実体であった保田與重郎、その褒貶さだまらぬ文学史的位置に対しても、もはや政治的な思惑から解放され、時代相を客観的に見つめられる世代から突っ込みを入れてゐる優れた保田與重郎論でもあるのが特徴です。といふより、それが後半の論考「協同の営為をめぐって(122-170p)」、さらに巻末に付載された「情念の論理(237-246p)」に至って特化して全開するのです。――いったい「やや翻訳調で自問自答しながら螺旋状に進んで行く(同136p)」、かの悪文(名文)から衒学的要素を剥ぎ取ったところに残るものは何なのか。

筋道を辿って「わかる」ということが、文章にとって、そもそも“いいこと”でも必要なことでもない。「わかる」は正理を強いて抑圧的だ。「わからない」こそ、飛躍がもたらす混沌の自在に開かれる豊饒な言語体験ではないか。――こういった、いささか倒錯的な理解に自分の頭を馴染ませようとしてしまう。これが保田與重郎の「危険な」ところであり、また魅力でもある。(同237p)

 このやうに愛憎意識を語る著者二十年来のモチベーションこそ、本書を著し使めた真の理由であることは間違ひないと思はれるのです。

 正当な理解を遠ざけ、かえって事態をややこしくしてしまうことを、なぜ保田は選択するのか。たとえ誤解に見舞われたとしても、それを余ってあるほどに、概念や範疇で述べることでは到達しないことがらは重要なのだ、と保田は考えていたと思うしかない。(同243p)

 評論対象に「惚れ」こむことを先行的な第一義とし、古典の甲殻を身に纏ひ、同人誌(非商業)精神に開き直ったドグマの城郭上からイロニーの槍を振り翳す。反俗を掲げ、評者と評されるものと共犯関係を築いて時代相に斬り結ばんとする保田與重郎のロマン派評論は、「おおむね、“書き始めてから”、いささか成り行き任せと思われる調子で行われ(243p)」、一種の「憑依」「酩酊」ともいふべき、むしろ詩作に等しいものであることが了知されます。

「真実獲得を昂然と主張する。ひときわ高くから見下ろす。堂々と高みにたつ。高くから見て何が悪いのだ、という開き直りすら保田にはある。その覚悟によって不純を斬り、ひとを殺す(151p)」

 彼はそのやうな覚悟を以て、英雄の日本武尊を、詩人のヘルダーリンを語りました。
本書が刊行される一年ほど前、私は保田與重郎が肥下恒夫に送った最初の著作集『英雄と詩人』の署名本を手に入れました。これ以上考へられないやうな、全くの極美状態で保存された函カバー付の原本を手にした時、私はこれがどのやうに保存されてきたのか、言葉を失ったことを思ひ出します。(画像参照)

「反ディレッタントをいい、真実追究の訴えをしても、それは階級的なものを考えるのではない。真実を明らかにするというのは、左派のいう社会主義リアリズムへの道では断じてない。また、肉親関係とか愛慾相の暴露剔抉から起こる社会的関係といったものでは断じてない。すなわち、自然主義リアリズムのことをいっているのでもない。」(同149p)

 評伝作家としてすでに宮澤賢治や自然主義リアリズムの徳田秋声について単著をものしてゐた著者ですが、肥下恒夫を合せ鏡に見立てたこの度の伝記兼評論の最後に、保田與重郎の思想について「ある部分は間違いなく死滅するが、ある部分はむしろ正当に生き残るであろう。(246p)」と締め括られてゐます。その死滅するのが政治的に、であり、生き残るのが古典として、であることを思へば、さきに当掲示板で紹介した決定版の解釈書『保田與重郎を知る』(2010前田英樹著)と併せて読まれるべき、新しいスタンダードな研究書の登場を、(二年以上も前の刊行ですが)遅まきながら言祝ぎたい気持でいっぱいです。著者が私と同世代1960年生であるところにも起因するのでせう、保田與重郎の文章を分析中(240p)に発せられた「は?」といふ語句の隣に、顔文字(゜Д゜)を頭に思ひ浮かべてゐる自分が居りました。(笑)
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2012年11月16日に日本でレビュー済み
まず何より肥下恒夫の評伝が出たこと自体に驚いた。時々名前は目にするが、詳しい人物像は書かれずじまいだった。日本浪曼派の浅野晃もかつて『随聞・日本浪曼派』で肥下について、この人のことは全く知らないと言っている。生前ですら実像が判らなかったうえ自死後五十年も経っている。それが今日の時点で読めるようになった。この本はしかも、発掘した本人自筆の日誌を元にして戦後も含め生きた姿を再現している。周辺情報も含めて虫眼鏡で調べるように丹念に調べ尽されており、少しでも疑問に見えたら資料を洗い直している。その細やかな姿勢はあまり他書に例がなく、それでいて読み物として迫真のものがある。文芸関係の秘話ドキュメントとしては久し振りに現れた重要な本であると思う。若者たちの純粋な文学運動が政治に呑みこまれていった姿は、戦争の時代に同人雑誌が辿った運命を描き学問的にも考えさせられるものがあった。編集者の話であることも珍しい。
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