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ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム 大手出版社が沈黙しつづける盗用・剽窃問題の真相 (宝島NonfictionBooks) 単行本 – 2013/4/22

3.6 5つ星のうち3.6 24個の評価

今、ひとりの「カリスマ」が、業界構造の頂点から転げ落ちようとしている。カリスマの名前は佐野眞一氏。近年では書籍『あんぽん 孫正義伝』が、十数万部も売れたベストセラー作家にして、大宅賞作家だ。人は彼のことを「ノンフィクション界の巨人」と呼ぶ。しかし「巨人」は「虚人」だったことが、2012年10月に起きた佐野氏による『週刊朝日』の連載記事「ハシシタ 奴の本性」の人権侵害問題を契機に、いみじくもバレてしまった。

実は「ハシシタ 奴の本性」が表のメディアで騒動となっていたのと同時期、佐野氏のかつての仕事仲間、猪瀬直樹・現東京都知事のツイートをきっかけに、27年間にもわたる「盗用・剽窃」行為が、ネットメディアの精緻な調査によって次々と暴かれた。ネット発、前代未聞の「大量盗用スキャンダル報道」に、大手週刊誌も追従するものと期待された。しかし……一部の報道を除けば、いまだにこの一件は黙殺されている。

本書は27年前に佐野氏から盗用の被害を受けたノンフィクションライター溝口敦氏の発案によって誕生した。

佐野氏は「ハシシタ 奴の本性」問題、さらには『ガジェット通信』荒井香織記者の追及に対して、『週刊ポスト』『創』誌上で釈明文を公表してきた。佐野作品を「商品」として頒布する版元は、この釈明文によって「禊(みそぎ)」とする腹積もりのようだが、だからといって27年間にわたる盗用行為に“恩赦"が与えられる道理はない。

本書では、出版界内部からの自浄作用を促すことを目的に、佐野作品に発覚した140件以上の盗用・剽窃箇所(ネットメディアではまだ指摘されていない盗用を多数発掘)および、その疑惑をすべて公開するとともに、佐野氏の釈明がいかに欺瞞に満ちたものなのか、徹頭徹尾、指弾する。

溝口敦氏の切れ味するどい批判論考を中心に、佐野取材班として活動してきたジャーナリストの安田浩一氏・今西憲之氏×断筆派のジャーナリスト西岡研介氏の激論座談会、佐野ブランドが週刊誌ジャーナリズムの「てっぺん野郎」に上り詰めた業界構造の解析、盗用被害者の手記、告白、そして新たに発見された「無断引用」への佐野氏の詫び状公開など、内容は盛りだくさん。

全出版人、マスコミ関係者、取次ぎ、書店関係者、そして何よりも「佐野文学ファン」必読の書! 読者はこうして27年間、欺かれてきた!
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商品の説明

著者について

溝口 敦 (みぞぐち あつし) プロフィール
1942年東京・浅草生まれ。65年早稲田大学政経学部卒。ノンフィクション作家、ジャーナリスト。主として日本社会の暗部である暴力団や新宗教に焦点をしぼってジャーナリスト活動を続 けている。2003年、同和利権を暴いた『週刊現代』での連載「食肉の王」とそれに加筆した単行本『食肉の帝王―巨富を掴んだ男浅田満』(講談社)で編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞の大賞、日本ジャーナリスト会議のJCJ賞、第25回講談社ノンフィクション賞の3賞同時受賞を果たした。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 宝島社 (2013/4/22)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2013/4/22
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 239ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4800207649
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4800207647
  • 寸法 ‏ : ‎ 15 x 1.8 x 21.1 cm
  • カスタマーレビュー:
    3.6 5つ星のうち3.6 24個の評価

著者について

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溝口 敦
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1942年、東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、出版社、広告代理店勤務を経て作家に。2003年には『食肉の帝王―巨富をつかんだ男 浅田満』(講談社)で第25回講談社ノンフィクション賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 山口組 五代目帝国の内なる敵 (ISBN-13:978-4812441763)』が刊行された当時に掲載されていたものです)

カスタマーレビュー

星5つ中3.6つ
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上位レビュー、対象国: 日本

2013年9月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
佐野さんは姑息な人なのか?ジャーナリストだと思っていたのに少々がっかりもしました。でも、2000年前に「すでに書くことはなくなった」と、どこかに書いてありました。テレビを視聴しているとドラマも音楽も模倣だらけ、佐野さんは立派な著作もあります。ですから佐野さん「挨拶」を忘れないようにしましょう!
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年5月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
怒る気も起こらない人物。剽窃の横行する業界だからです。「阿片王」の中で「噴飯もの」と書かれた証言は私のものらしい。
本人が取材に来ず、まったく無知の記者が来て対応に困った記憶がある。使いっぱしりの記者の態度も人様の話を聞く態度ではなく、
楽しい演説をしてくれた記憶があります。初出でもない資料を初出と言うのも佐野さんの困ったところ。読者は江戸時代の見世物小屋にタイムスリップ。「六尺豊かなおおいたち」は、小屋に入ってみれば大きな板に血がついているだけ。新発見!は三十年前、のこととか? 
ちなみに私の証言は九段高校に電話一本入れれば裏付けが取れますよ、佐野さん。
溝口さんがこんなに怒る姿を見た記憶がありません。刑事で告発する人がいてもいいのではないでしょうか。この業界自体が終わりなのかもしれないですね。
36人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2014年3月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 同世代の人間として、佐野眞一さんの作物はよく読んできました。「誰が本を殺したか」・「カリスマ」・「東電OL事件」等の作品は、誠に面白く、やはり「読ませる」との感想を持ちました。同時にいくつかの作品には、特にその文体面から、「これが本当に同一の作者の筆になるものか?」と疑問を持ったこともありました。

 その視点に立って見ると、この書物の内容にもある面で納得は出来ます。著者の「文章の比較と分析」はある面で見事ですし、その結果が本当に「剽窃」というものならば、読者としては佐野氏の今までの著作に対して残念な気持ちです。なんにしても、それをこのように雑誌という形態で、それであるから一層多面的に指摘したのは、ある意味で貴重な作物であると思います。

 ただ、これでは著者の言いっぱなしになってしまっているので、叶わぬことながら佐野氏の反論が掲載出来ていれば、雑誌として完璧なものであったと思われますが、日本のジャナリズム事情としては無理な願いなのかもしれません。
 
 
25人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年6月17日に日本でレビュー済み
あまりの盗作疑惑の羅列のすごさにヘロヘロになる。よくぞ調べあげたと感心するどころか開いた口が塞がらない。「東電OL」など、佐野節を敢えて飛ばして興味を持って読めたりしていたので、あまりの酷さ(盗作癖?)にはかなりのショックを受けてしまう。全体として、これでもかというほどの取材攻勢が続き、容赦ない徹底的な糾弾が続く。
しかし・・・。
読み終えた後、奇妙な気持ち悪さが残るのはなぜだろう。
確かに、彼はとんでもない盗作魔かもしれないし、それを立証する取材も綿密だ。
しかし、気持ち悪い・・・。
その理由の一つは、佐野糾弾だけに終始しているからだろう。背後にある大きな構造(長期の盗作を許してきた出版社や編集者など)に迫りきれていない。ボンヤリは出てくるけど、取材を詰めきれていない。さらに、張本人である佐野自身にも迫れていないので、彼が盗作の道へと足を踏み入れていき、それを繰り返していった心情等にはまったく手が届いていない。やはり、ご本尊にグリグリと迫ってこそノンフィクションではないだろうか。
そもそも「バクロ本」に徹すればよいのかもしれない(確かに綿密なデータには価値がある)が、それ以下でも以上でもないというのが本書であり、興味本位の人や佐野憎しの読者からは大絶賛だろう。
だが、これを一つの材料として、何に踏み込むのか・・・、もっと奥深い出版界または作家の闇が見たかったというのは欲張りだろうか。
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年6月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 わたしは、佐野眞一の書いた本が好きで文庫本、単行本併せて十数冊は読んだ。克明な描写、わかりやすい説明が感じがよく、ノンフィクションは足で稼ぐとまでおしゃっていた。その言葉に共感をして、ファンレターまで出した。ここにコピーがある2011年3月21日、大震災直後のことで、佐野眞一は東北に取材・出張をしていて、忙しく当然のことながら返事(ハガキ等)、メールはいただいていない。
 そこまで興味のあった佐野眞一を、「佐野眞一が殺したジャーナリズム」というタイトルをみてびっくりした。すぐ購入。この人はこんなことを過去にしていたのか?わたしは知らなかっただけ、ショックも大きく初めは信じられなかった。ノンフィクション界、いや、文学に携わるすべての業界では珍しいというか、ショッキングな出来事である。
 読み返すと過去に2回にわたる「おわび状」が掲載されている、動かしようのない事実。世間に公表されたのだから、責任を取り「断筆宣言」だと思います。また、出版各社にも原因のひとつがある、ノンフィクションの巨人だから、簡単にはできない理由がわかるが、適当な処置をしていると、第3のわび状が出る可能性がある。
19人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2015年6月9日に日本でレビュー済み
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巨悪、虚構を暴いてきた佐野眞の一連の著作を高く評価している。ただ、老いたりと言うべきか「あんぽん」など最近の著作では対象の出自や血のつながりに必要以上にこだわり、かっての冷静な分析やウィットに富んだ比喩表現が少なくなりより感情的、直截的な記述が多くなっている。結果、「ハシシタ」事件につながったのだと思う。本書は大仰なタイトルがつけられているが中身はワイロ男猪瀬や創価学会まで登場しての佐野氏に対するやっかみと誹謗中傷で満ちている。どだい「ノンフィクション」に著作権や職業的倫理を厳格に適用する必要があるのだろうか。重箱の隅までチェックし引用記述があふれる文書など読みたくもない。そんなものは大手のメディアに任せ(やらないだろうが)ておけばよい。野にいるジャーナリストにはそれなりのリスクを覚悟しての役割があるはずだ。
つまらないことにかかわる暇があるなら自身の仕事に力を注ぐべきである。
16人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年6月8日に日本でレビュー済み
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佐野氏の著作は余すことなく、読んできたファンの一人として、こんなにも多くのそして、長きにわたって盗作が行われてきたことに唖然とした。
実は最近の著作、中でもエッセイ的な要素の強い”新・忘れられた日本人”や”劇薬時評”などに見られる”俺サマ”的な姿勢にかなり辟易していた。「日本を代表する」、「巨人」などと冠され、天狗になってしまった感があり、「本業」のノンフィクションに悪影響をもたらさなければよいが、などと思っていた矢先の”ハシシタ”事件と”盗作暴露”であった。

原著の誤りまで「忠実」に盗用している事例を列挙されると、本書で引用されている佐野氏自身の言葉、
「よく参考資料を”孫引き”しただけの本を見かける。これは絶対にやってはいけない。なぜなら、参考資料に引用された”孫引き”は、間違っていることがよくあるからである。」(目と耳と足を鍛える技術・ちくまプリマー新書)などは、一体どのような”面の皮”で書いたのだろうかと唖然とする。
ただ、盗用しているとはいえ、事実の捏造などはなく、著作の内容に関しては実に得るところの多い佐野本であるのも事実である。これを持って、佐野本と訣別するには躊躇せざるを得ない。

本書の難点は、盗用対照やコメントなど重複する箇所が非常に多くまとまり感が欠け、大急ぎで作り上げた感が否めない。
しかしながら、”巨人は虚人だ”と初めて公にした意義は非常に大きい。
95人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年5月26日に日本でレビュー済み
※文中敬称略

ノンフィクション作家・佐野眞一の盗用疑惑を検証した本。

盗用問題の構造を把握するためには,本書222ページ以下にある喜田村洋一弁護士の論考を最初に読んで,内容をしっかり理解しておくのが便宜である。これによれば,盗用については,まず著作権法上の問題が生じるが,ノンフィクションの場合,さらに「著作権法とは別の重大な問題」(p.228)が存在する。つまり,2つの異なる問題があるわけだ。これを私の理解で図式化すると,次のようになる。

 [A] 著作権侵害―著作権者が被害者―法律上の問題
 [B] 職業倫理違反―読者が被害者―社会生活上の問題

この区別は重要である。というのも,我々はふだん,この違いを意識せずにパクリ,盗用,盗作,剽窃などと呼んでいるからだ。だが内実も性質も異なる2つの「責任」をごっちゃにしても,話は混乱するだけである。

たとえば,盗用を追及された者は,[B] を無視して [A] についてだけ釈明し,「法律上は問題ない」と開き直るかもしれない。実際,
『創』2013年4月号 掲載の佐野の釈明は,これに近いものがある。

これとは逆に,追及する側も,本来は [B] に属する問題を,より厳格な責任が問われる [A] の問題にすり替えて,不当な糾弾を加えるかもしれない。これは,本来救済されるべき読者( [B] における被害者)を無視しているという点でも問題である。そして,結論を言えば,本書はまさに,この愚を犯している。

具体例を挙げよう。編者の一人である溝口敦は,何が何でも [A] の問題で論じたいらしく,佐野の "著作権法上は問題ない" との釈明(『創』前掲号p.111)に対しても,

 ・著作権法を精緻に読み込めば,彼の理解が間違っていることが分かる。(p.22)

と言う。ところが喜田村弁護士は,溝口と同じ箇所を引用して

 ・ここに記載されている内容は,著作権法の解釈としては正しい。(p.231)

さて,読者は,一体どちらを信じたら良いのだろう? そもそも,本来「著作権侵害」あるいは「著作権法違反」と書くべきところを,「著作権法の侵害」(p.22)と書いちゃう溝口の法解釈など,読者に提供する価値があるのだろうか(本書には同様の誤記が206,207ページにもある)。

もう一人の編者である荒井香織に至っては,[A] [B] の区別すら付いていないのかと思えるほどだ。荒井は,佐野の過去の著作を検証しているが,ここでは問題点を2つ指摘できる。第1に,何をもって「盗用」というのかについての基準が打ち立てられていない。そしてその結果として,第2に,疑惑の濃淡に応じた対応を欠いている。

たとえば
『日本のゴミ』 が, 山根一眞の著作 を盗用していると書かれているが,版元も(pp.207-208)佐野も(『創』前傾号pp.110-111),盗用に当たるとは考えていない旨述べている。私は,この主張はそれなりに筋が通っていると思うが,荒井は具体的な反論もせずに,版元も共犯者だと意味不明なことを書いている(p.214)。だが「検証」とは本来,白黒をつけることだろう。相手方の言い分に反論できないのならシロと考えて武器を収めればよいのであり,それで何の問題もない。不明だった事実が明らかになったのだから,荒井の努力が無駄だったわけでは全然ない。自説に固執する方が,よほど醜悪だ。

もしも本書が著作権侵害の問題で佐野を追及したいのならば,専門家に意見書を書いてもらえばよかったのだ。それが誠実な批判というものだろう。もっとも,断言しても良いが,これをやると表紙にある「140件の盗用」といったふざけた数字は出てこない。もっとシビアな数字になったはずである。有り体にいえば本書は,正確さよりも面白さ,過激さを目指しているのである。

溝口らは法律家ではなくてライターなのだから,本来ならば [B] を論じるべきだろう。これはある意味 [A] よりも難しい。法律のような明確な基準もないし,裁判所のような権威もないからだ。しかし,人に責任を問うのであれば,規範と制裁の内実を,できるかぎり明らかにしなければならないはずである。本件に即して言えば,他人の着想を拝借して良いのか,エア取材(p.171)は許されるのか,科されるべきペナルティは何かといった点をきちんと論じなければならない。にもかかわらず,こういった検討が何一つない。単なる楽屋話に終始しているのである。つまりこの問題の被害者である読者への視点を欠いている。その他若干の疑問点を明記しておく。

 ・佐野の悪質なところは盗用を「何度も」繰り返していることだ
 →盗用は一発アウト,新聞記者や大学教員ならクビになっても不思議ではない。なぜライターだけ再犯が許されるのか?
 ・ 佐野の盗用を看過した編集者にも「不作為の罪」がある(p.200)
 →盗用されながら27年も公にしなかった溝口にも「不作為の罪」があるのでは?
 ・株式会社文藝春秋の編集者は,佐野の盗用を知りながら大宅壮一ノンフィクション賞を与えた(p.193)
 →賞の授与が作品の出来以外の「大人の事情」に左右されること自体は容認しているようにみえるが,それで良いのか?

言ってみれば本書は,威勢がいいばかりで中身がない。なぜこんなに粗雑な作りになったのか。差し当たり,次のような理由が想像できる。

 1. 単なる力量不足あるいは時間不足
 2. 佐野にトドメを刺すよりも,細々と生き永らえさせつつ批判を継続した方が,商売になる
 3. 真剣に追及すると,自身にも累が及ぶおそれがある

盗用を知りつつ27年間公にせず(つまり読者に何も知らせず),結果的に佐野を擁護していた溝口が,自身の行いを省みていないのは3. に属する問題だが,他にも次のような事情がある。

言うまでもなく,盗用は佐野の専売特許ではない。今から6〜7年前にも,ある評論家の盗作が発覚したことがあった。そして,その問題の書籍の「あとがき」には執筆協力者として「荒井香織」の名前がある。つまり本書の編者であり,佐野追及の急先鋒に立つ荒井は,別のところでは同じような疑惑に関わっていた(かも知れない)わけだ。詳細についてはネットで検索すると出てくる。

この件については数日前にツイッターで荒井自身が言及しているが,まるで要領を得ない。「疑惑」についてブログを書いているとある読者に対しては"関心があるなら取材に来い" などと言いながら,別人からのツイッターでの「取材」に対しては "ただの末端スタッフの一人だから詳細は知らない" "版元に取材しろ",あげく,自身の発言と盗用本記載事項との齟齬を指摘されると,だんまりを決め込んで一方的に相手をブロックである。真相はいまだ藪の中だが,これでもし潔白だというなら,荒井は絶望的に釈明が下手な人間ということになるだろう。

"佐野がジャーナリズムの信用を損ねた" というのが本書の論調である。しかし,ジャーナリズム不信の元凶は,むしろメディアと読者との間の「情報の非対称性」にあると見るべきだろう。責任の所在を明らかにしない無署名記事,誤報を訂正しない不遜な態度,イエロージャーナリズム,揉め事を内輪で解決して外部に漏らさない体質。盗用問題もこれに属する。なぜ佐野の盗用が本になったかといえば,それが商売になるからで,それ以上の理由はない。これが末端のライターだったら記事にすらならないだろう。本書が考えている以上に,問題の根は深い。

※2013/5/27追記:誤記をあらためたほか,ちょっとだけ加筆しました。

※2013/6/8追記:ネット上の言論サイト「REAL-JAPAN.ORG」に,

 ・盗作事件史から考える佐野眞一の盗作疑惑事件

という記事が掲載されている(2013年6月8日付)。執筆者の栗原裕一郎は『
<盗作>の文学史 』という著書も出している,いわばこの道の "権威" である。同記事の冒頭の栗原の断り書きが興味深い。

これによると,同記事は『ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム』(=本書)の執筆依頼に応じて書いたものの,「他の執筆者への仁義にもとるから」との理由でボツになった。だがヘンなことを書いたつもりもないし,役にも立つと思っているので,「REAL-JAPAN」編集部に相談して掲載してもらった,とのことである。

「仁義にもとる」とはよく言ったもので,栗原のこの論考は,洞察力・説得力ともに,溝口,荒井のそれと比べて数段高い位置にある。言ってみれば本書は,読者に質の高い情報を提供することをせずに,レベルの低い方へ足並みを揃えたわけだ。喜び勇んで本書を購入した読者こそ,いい面の皮である。
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