
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
ウィトゲンシュタインの講義 ケンブリッジ1932-1935年 (講談社学術文庫) 文庫 – 2013/10/11
アリス・アンブローズ
(編集),
野矢 茂樹
(翻訳)
「言語ゲーム」論はこうして熟していった!
中期から後期に向かうウィトゲンシュタインの生々しい哲学の現場を読む!
ある語の使い方を知っていることはチェスの駒の動かし方を知っていることに似ている。では、規則はいかにしてゲームをプレイすることの内に入り込むのか。――たとえば一九三二―三三年の講義でこう語りかける。言語、意味、規則といった主要テーマを行きつ戻りつ考察し続け、ウィトゲンシュタインにとっても画期となった時期の魅惑の哲学を味わう。
ボールを用いてプレイしている人々を見て、そしてそのようなゲームを百回見たあとで、そのゲームの規則を書くように言われたとしよう。しばらく見たあとならばその規則を書くこともできるだろうというのは、確かにふつうのゲームの場合であればその通りであるに違いない。さて、規則に従ってゲームをプレイすることと、たんに遊んでいることとの間にあらゆる種類の中間的事例がある。そしてそれはわれわれの言語においても同様である。――<本書「1934年-35年 ミカエル祭学期 講義3」より>
※本書の原本は、1991年、勁草書房より刊行されました。
中期から後期に向かうウィトゲンシュタインの生々しい哲学の現場を読む!
ある語の使い方を知っていることはチェスの駒の動かし方を知っていることに似ている。では、規則はいかにしてゲームをプレイすることの内に入り込むのか。――たとえば一九三二―三三年の講義でこう語りかける。言語、意味、規則といった主要テーマを行きつ戻りつ考察し続け、ウィトゲンシュタインにとっても画期となった時期の魅惑の哲学を味わう。
ボールを用いてプレイしている人々を見て、そしてそのようなゲームを百回見たあとで、そのゲームの規則を書くように言われたとしよう。しばらく見たあとならばその規則を書くこともできるだろうというのは、確かにふつうのゲームの場合であればその通りであるに違いない。さて、規則に従ってゲームをプレイすることと、たんに遊んでいることとの間にあらゆる種類の中間的事例がある。そしてそれはわれわれの言語においても同様である。――<本書「1934年-35年 ミカエル祭学期 講義3」より>
※本書の原本は、1991年、勁草書房より刊行されました。
- 本の長さ552ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2013/10/11
- 寸法10.8 x 2.3 x 15 cm
- ISBN-104062921960
- ISBN-13978-4062921961
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
著者について
アリス・アンブローズ
1906年、アメリカ生まれ。1932年から1935年までケンブリッジ大学でウィトゲンシュタインに学ぶ。スミス・カレッジ名誉教授。
野矢 茂樹
1954年生まれ。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。専攻は、哲学。『論理学』(東大出版会)、『心と他者』(勁草書房→中公文庫)、『哲学の謎』『無限論の教室』(いずれも講談社現代新書)、『哲学・航海日誌』(春秋社→中公文庫)、『新版 論理トレーニング』(産業図書)、『語りえぬものを語る』(講談社)、『大森荘蔵―哲学の見本』(講談社)など著書多数。わが国で、もっとも注目される哲学者の一人。
1906年、アメリカ生まれ。1932年から1935年までケンブリッジ大学でウィトゲンシュタインに学ぶ。スミス・カレッジ名誉教授。
野矢 茂樹
1954年生まれ。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。専攻は、哲学。『論理学』(東大出版会)、『心と他者』(勁草書房→中公文庫)、『哲学の謎』『無限論の教室』(いずれも講談社現代新書)、『哲学・航海日誌』(春秋社→中公文庫)、『新版 論理トレーニング』(産業図書)、『語りえぬものを語る』(講談社)、『大森荘蔵―哲学の見本』(講談社)など著書多数。わが国で、もっとも注目される哲学者の一人。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2013/10/11)
- 発売日 : 2013/10/11
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 552ページ
- ISBN-10 : 4062921960
- ISBN-13 : 978-4062921961
- 寸法 : 10.8 x 2.3 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 504,438位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,469位講談社学術文庫
- - 3,350位哲学 (本)
- - 4,915位その他の思想・社会の本
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
星5つ中4.9つ
5つのうち4.9つ
5グローバルレーティング
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2019年7月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ウィトゲンシュタインの初期の代表作『論理哲学論考』と後期の代表作『哲学探究』を繋ぐ重要講義の翻訳である。翻訳は『論考』(岩波文庫)を手掛けた野矢氏である。訳は素晴らしく、各講義には見出しが付いていて、検索に便利である。
本書の核心的主張は、語の意味が規則を決めるのではなく、規則が語の意味を決めるということである。チェスの場合、駒の動かし方がゲームの規則を定めるのではなく、ゲームの規則が駒の動かし方を決めるということだ。「~~P=P」という数学的命題の意味を決めるのは論理学の規則である。この数学的命題は、「否定の否定は肯定」、すなわちPではないを否定するとpになるという意味であるが、~~という論理規則の使用が、Pの意味を決めるのであって、最初からPの意味が決まっていたのではない。したがって言語の使用が規則に従って為された場合、それは、言語ゲームになるのである。言語ゲームの規則とは、状況・文脈(コンテキスト)を踏まえて、それに適合するように、言語を用いることである。それが言語ゲームの規則なのだ。規則を逸脱して用いられた言語の意味はナンセンス(無意味)になる。本書で語るウィトゲンシュタインの講義は、言語ゲーム論であり、既に後期の思想である。講談社学術文庫では、本書と併せて『数学の基礎編』も出版されている。古書で入手することが可能である。後期ウィトゲンシュタインを知りたい人には必読の文献だ。講義なので、比較的読みやすく、しかも話は面白い。お勧めの一冊だ。
本書の核心的主張は、語の意味が規則を決めるのではなく、規則が語の意味を決めるということである。チェスの場合、駒の動かし方がゲームの規則を定めるのではなく、ゲームの規則が駒の動かし方を決めるということだ。「~~P=P」という数学的命題の意味を決めるのは論理学の規則である。この数学的命題は、「否定の否定は肯定」、すなわちPではないを否定するとpになるという意味であるが、~~という論理規則の使用が、Pの意味を決めるのであって、最初からPの意味が決まっていたのではない。したがって言語の使用が規則に従って為された場合、それは、言語ゲームになるのである。言語ゲームの規則とは、状況・文脈(コンテキスト)を踏まえて、それに適合するように、言語を用いることである。それが言語ゲームの規則なのだ。規則を逸脱して用いられた言語の意味はナンセンス(無意味)になる。本書で語るウィトゲンシュタインの講義は、言語ゲーム論であり、既に後期の思想である。講談社学術文庫では、本書と併せて『数学の基礎編』も出版されている。古書で入手することが可能である。後期ウィトゲンシュタインを知りたい人には必読の文献だ。講義なので、比較的読みやすく、しかも話は面白い。お勧めの一冊だ。
2015年5月24日に日本でレビュー済み
ウィトゲンシュタインの講義ノートをまとめた一冊、哲学史の価値は高い。
2014年4月23日に日本でレビュー済み
この本はウィトゲンシュタインの講義を聴講した編者らがウィトゲンシュタインの講義ノートなどを交えながら文章化したものであり、決してウィトゲンシュタインの著作などではない。
本書はウィトゲンシュタインの考え→編者の解釈→訳者の解釈→読者の解釈と何重もの解釈が入ってしまい、あくまで参考書程度で読むのが無難か。
この本の中に貫かれているメッセージは「常識を疑え」ということであろうか。
1+1=3は間違えで、1+1=2で「なければならない」という具合に「〜でなければならない」と私たちは考える。それが常識である。
黄色の色見本を誰かに見せて、「これと同じものを持って来て」とその人に対して机の上にあるレモン、リンゴ、キュウリを指差す。もしリンゴを持ってきたら、私たちは「違うよ、レモンでしょう」と普通言うであろう。
対応に関して、星型3つと円形2つあった場合、星型が1つ余分と考えてしまう。
でもそれぞれがいろいろなゲームであると考えるとその常識は崩れる。
ある人にとっては1+1=3という規則のゲームなのかもしれない(そもそも1とは何か。「=」のうしろに来るものの意味は何か?)。
黄色の色見本を見てリンゴを選んだのはその人にとっての規則なのかもしれない。
一対一対応ではなく、星2つと円形1つの対応もありという規則も考えられる。
要するに「答え(1+1の答えは2、黄色はレモン、対応は一対一)は先になければならない」「答えはもともとあるもの」という常識を打ち破ろうとしたのがウィトゲンシュタインなのだ。
本書は『論考』なんかに比べると断然読みやすい(ただし読みやすいとわかりやすいは別問題)。
しかし分厚く、全部読むのに1ヶ月以上かかった。ボリュームがあるため、議論のつながり、関連性をつかむのがかなり難しい。
卑近な例を多用しているが、あまり明確な結論を出していないところが多くてわかりにくい。
読んでみての感想は「もとの講義は恐らく超難解で、編者らは聴講した内容を彼らなりに理解&解釈した事をノートし、それをまとめたのだが、そのまとめた内容も難しい。どこまでがウィトゲンシュタインの言っていることなのかわからないが、ウィトゲンシュタインの著作として読むのではなく、参考書として読むと良いかも」。
本書はウィトゲンシュタインの考え→編者の解釈→訳者の解釈→読者の解釈と何重もの解釈が入ってしまい、あくまで参考書程度で読むのが無難か。
この本の中に貫かれているメッセージは「常識を疑え」ということであろうか。
1+1=3は間違えで、1+1=2で「なければならない」という具合に「〜でなければならない」と私たちは考える。それが常識である。
黄色の色見本を誰かに見せて、「これと同じものを持って来て」とその人に対して机の上にあるレモン、リンゴ、キュウリを指差す。もしリンゴを持ってきたら、私たちは「違うよ、レモンでしょう」と普通言うであろう。
対応に関して、星型3つと円形2つあった場合、星型が1つ余分と考えてしまう。
でもそれぞれがいろいろなゲームであると考えるとその常識は崩れる。
ある人にとっては1+1=3という規則のゲームなのかもしれない(そもそも1とは何か。「=」のうしろに来るものの意味は何か?)。
黄色の色見本を見てリンゴを選んだのはその人にとっての規則なのかもしれない。
一対一対応ではなく、星2つと円形1つの対応もありという規則も考えられる。
要するに「答え(1+1の答えは2、黄色はレモン、対応は一対一)は先になければならない」「答えはもともとあるもの」という常識を打ち破ろうとしたのがウィトゲンシュタインなのだ。
本書は『論考』なんかに比べると断然読みやすい(ただし読みやすいとわかりやすいは別問題)。
しかし分厚く、全部読むのに1ヶ月以上かかった。ボリュームがあるため、議論のつながり、関連性をつかむのがかなり難しい。
卑近な例を多用しているが、あまり明確な結論を出していないところが多くてわかりにくい。
読んでみての感想は「もとの講義は恐らく超難解で、編者らは聴講した内容を彼らなりに理解&解釈した事をノートし、それをまとめたのだが、そのまとめた内容も難しい。どこまでがウィトゲンシュタインの言っていることなのかわからないが、ウィトゲンシュタインの著作として読むのではなく、参考書として読むと良いかも」。