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こんな日本に誰がした: 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状 単行本 – 1995/6/1
谷沢 永一
(著)
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- 本の長さ223ページ
- 言語日本語
- 出版社クレスト新社
- 発売日1995/6/1
- ISBN-104877120297
- ISBN-13978-4877120290
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
「卑怯・卑屈・醜悪-オオエ真理教の教祖は麻原彰晃と同じタイプの人間だ」-日本国憲法の改正に反対し広島・長崎の原爆投下は日本のせいだとし天皇に敵意を抱く男として、著者は大江健三郎を突きまくり切りまくる。
登録情報
- 出版社 : クレスト新社 (1995/6/1)
- 発売日 : 1995/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 223ページ
- ISBN-10 : 4877120297
- ISBN-13 : 978-4877120290
- Amazon 売れ筋ランキング: - 142,153位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 129位日本論
- - 2,627位社会学概論
- - 26,039位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年4月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ボールペンで書き込みがあるならば、そう書いておいて欲しかったです。買わなかった。外見と本の内容は問題ないのですけれど。
2012年5月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
世界に向けて日本及び日本人、天皇陛下をこき下ろす醜怪な文学者、大江健三郎。
呆れた破廉恥な言動の数々を見事に喝破した胸のすく、一冊。
筆者は鬼籍に入って久しいが、反原発を中心とする市民運動にいまだに邁進する「大江健三郎」をたまに目にするたびに私は吐気にも似た悪寒がはしる。
「防大生は日本の恥部だ」
「原爆は日本に責任がある」
「皇太子よ、多くの日本人が天皇制に納得しない」
などなど妄言の数々。
そんな時私は本書を手にとって再読する。
大江の欺瞞性、卑怯な人間性を見事に鋭く突いている。
人の批判は簡単そうでいて実は非常に難しい。
まして何度読んでも納得させられる批判書なんて、そうそうあるものではない。
筆者ならではの正鵠を得た批判の内容は筆者の博学、見識は大江健三郎など、はるかに及びもつかない高みにある。
しかし、安易な題名の軽さに騙されてはいけません。
中身はかなり濃く、薄い本ではありますが、しっかりと「読める」本です。
これだけの良書がいまアマゾンで100円である。
ありがたいやら悲しいやら。
呆れた破廉恥な言動の数々を見事に喝破した胸のすく、一冊。
筆者は鬼籍に入って久しいが、反原発を中心とする市民運動にいまだに邁進する「大江健三郎」をたまに目にするたびに私は吐気にも似た悪寒がはしる。
「防大生は日本の恥部だ」
「原爆は日本に責任がある」
「皇太子よ、多くの日本人が天皇制に納得しない」
などなど妄言の数々。
そんな時私は本書を手にとって再読する。
大江の欺瞞性、卑怯な人間性を見事に鋭く突いている。
人の批判は簡単そうでいて実は非常に難しい。
まして何度読んでも納得させられる批判書なんて、そうそうあるものではない。
筆者ならではの正鵠を得た批判の内容は筆者の博学、見識は大江健三郎など、はるかに及びもつかない高みにある。
しかし、安易な題名の軽さに騙されてはいけません。
中身はかなり濃く、薄い本ではありますが、しっかりと「読める」本です。
これだけの良書がいまアマゾンで100円である。
ありがたいやら悲しいやら。
2012年9月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者谷沢永一氏の「自虐史観もうやめたい」を書く原点が、この「こんな日本に誰がした〜大江健三郎への告発状」であると記されていた。歪んだ、所謂戦後民主主義や反日的言動を糧に戦後社会を生き、具体的な行動はせず、自らは自信が批判する国家・社会の恩恵を享受する輩の代表として、大江健三郎の欺瞞が見事に暴かれている。
2020年9月14日に日本でレビュー済み
本書は大江健三郎を二つの視点から批判的に論じています。
一つは、大江健三郎の様々な場面における反日左翼的な言説です。「天皇制」批判であり、自衛隊批判であり、中国・北朝鮮賛美です。今からすると、韓国をディスり北朝鮮を賛美する大江健三郎の言説は、もはや異常と表現する他ありません。
二つは、大江健三郎の表現者としての姿勢です。大江健三郎は決して国内で、直接的な天皇批判や自衛隊批判をしませんでした。他方、海外では、直接的に、天皇を貶め、日本を貶めることに狂奔しました。国内では「当てこすり」、歯に物の挟まったかのような言論に終始しながら、他国では自国を足様に罵る……。人としていかがなものでしょうか。
とても読みやすい本なので一読を!
一つは、大江健三郎の様々な場面における反日左翼的な言説です。「天皇制」批判であり、自衛隊批判であり、中国・北朝鮮賛美です。今からすると、韓国をディスり北朝鮮を賛美する大江健三郎の言説は、もはや異常と表現する他ありません。
二つは、大江健三郎の表現者としての姿勢です。大江健三郎は決して国内で、直接的な天皇批判や自衛隊批判をしませんでした。他方、海外では、直接的に、天皇を貶め、日本を貶めることに狂奔しました。国内では「当てこすり」、歯に物の挟まったかのような言論に終始しながら、他国では自国を足様に罵る……。人としていかがなものでしょうか。
とても読みやすい本なので一読を!
2009年4月4日に日本でレビュー済み
本多勝一さんのと当書が、大江氏のノーベル賞受賞を待ってました、とばかりに発売されました。両著者ともに大江作品を読まないのは、文学が分からないから・己の人間性の低劣さを認めたくないから。しかし、大江氏への「批判」が、そのまま自らの無知と下劣さとを露出する結果となっています。爆笑請け合いの読み物です。悪意と憎しみとに勝てなかったのでしょう。御両人は、国を憂えるよりも先に、己が人生を憂うべきのようです。関西大学不名誉教授谷沢先生、鬱病いかがですか?金平糖をおひとつどうぞ。
2017年8月12日に日本でレビュー済み
大江健三郎の卑怯・卑劣・卑屈ぶりを、大江自身の講演や著作の引用により実証的に批判・痛罵している痛快の書。
「戦後民主主義者」「進歩的文化人」がいかに、現実を無視し欺瞞に満ちた無責任な言説を撒き散らしているかがよく分かる。
筆者の冴え渡る悪口にも溜飲が下がる。
「戦後民主主義者」「進歩的文化人」がいかに、現実を無視し欺瞞に満ちた無責任な言説を撒き散らしているかがよく分かる。
筆者の冴え渡る悪口にも溜飲が下がる。
2005年10月4日に日本でレビュー済み
私の『古き良き日本人』観を象徴する言葉は『矜持』『誠』『もののあはれ』と『謙虚』である。昔の日本人全てがこれらを体現していたとはいわないが、人として立派でありたいと願う人なら誰でも、少なくとも理想として心の隅に刻み込んであっただろう、と思うのだ。
『日本精神を破壊し日本人を骨抜きにする』東京裁判史観教育を受けた世代の子として生まれ、『しらけ世代』を同級生に、『新人類』を後輩に持ちながら朝日新聞と岩波文庫でサヨクの洗礼を受けた私の心の片隅にも、「人として立派に生きて死ぬべし」という美学はあるし、左翼メディアの「日本はこんなに悪かった」という反日的言動にも「どこかおかしい」と胡散臭さを感じるだけの常識もある。それに「もしかしたら自分の方が間違っているかもしれない」と思うだけの謙虚さもあるつもりであるから、批判はよく調べた上ですべきだということも当然常識のうちだ。
そんな庶民感覚からしても、谷沢氏の「卑怯・卑屈・醜悪」という大江批判は全く正鵠を得ていると思う。
共産主義思想とは、元々卑怯卑屈な人間にとって「悪いのは自分でなく社会だ、制度だ、国家だ・・・」という限りなく続く言い訳を与えてくれる便利なものでしかない。義務や責任は負いたくないが権利だけはきっちり主張する、というのは幼稚な幻想だが、共産主義思想はそういう甘ったれた横着者にとっては「そうだよ、君にはその権利があるんだよ。持ってる奴からは殺してでも奪っていいんだよ。」と囁く悪魔の思想となる。そういう輩に限って、「人類の平等」を謳いながら実は「自分は別格」で「革命後はテクノクラート(という支配階級)に」などと妄想していたりするから始末に負えない。
祖国を愛せない人、祖国の伝統を否定するような人が他国の異質な文化を尊重することなどできるはずがない。そんな根本的矛盾に誠心誠意向き合うことも出来ない卑怯者、それが戦後民主主義者の正体だ。
『日本精神を破壊し日本人を骨抜きにする』東京裁判史観教育を受けた世代の子として生まれ、『しらけ世代』を同級生に、『新人類』を後輩に持ちながら朝日新聞と岩波文庫でサヨクの洗礼を受けた私の心の片隅にも、「人として立派に生きて死ぬべし」という美学はあるし、左翼メディアの「日本はこんなに悪かった」という反日的言動にも「どこかおかしい」と胡散臭さを感じるだけの常識もある。それに「もしかしたら自分の方が間違っているかもしれない」と思うだけの謙虚さもあるつもりであるから、批判はよく調べた上ですべきだということも当然常識のうちだ。
そんな庶民感覚からしても、谷沢氏の「卑怯・卑屈・醜悪」という大江批判は全く正鵠を得ていると思う。
共産主義思想とは、元々卑怯卑屈な人間にとって「悪いのは自分でなく社会だ、制度だ、国家だ・・・」という限りなく続く言い訳を与えてくれる便利なものでしかない。義務や責任は負いたくないが権利だけはきっちり主張する、というのは幼稚な幻想だが、共産主義思想はそういう甘ったれた横着者にとっては「そうだよ、君にはその権利があるんだよ。持ってる奴からは殺してでも奪っていいんだよ。」と囁く悪魔の思想となる。そういう輩に限って、「人類の平等」を謳いながら実は「自分は別格」で「革命後はテクノクラート(という支配階級)に」などと妄想していたりするから始末に負えない。
祖国を愛せない人、祖国の伝統を否定するような人が他国の異質な文化を尊重することなどできるはずがない。そんな根本的矛盾に誠心誠意向き合うことも出来ない卑怯者、それが戦後民主主義者の正体だ。
2003年4月19日に日本でレビュー済み
内容自体は、雑誌『噂の真相』を卑しくした感じです。文章からも沢谷氏の品性が滲み出ており、読後感は最悪です。徹底して単なる無知、八つ当たりに過ぎず、名を書名に利用された大江氏にすればいい迷惑でしょうが、この著者のように、己の傍若無人なる振る舞いを棚上げし、著名人に罵詈雑言を吐くことでストレス解消を図る心貧しい人が多いみたいです。因みにこの本の著者は大江健三郎の小説を読んでいません。しかし流石に気が引けたのか慌てて一冊、『性的人間』といふ小説を読んで、「大江は痴漢をヒーローとして描いている」との感想(妄想)を抱いたそうです。