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戦士の戦史・おまけで自衛隊ネタ話 | 古志山人閑話

戦士の戦史・おまけで自衛隊ネタ話

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 自衛隊の帽章、階級章、徽章などの由来
現在の陸海空自衛隊の正帽(略帽に対する正帽です)の帽章についてです。
陸は桜の花を桜の葉で囲む形ですが、これは帝国陸軍の近衛師団の帽章のデザインを踏襲しています。ただし、近衛師団は桜の花ではなく星ですが。
海は帝国海軍の完全コピーかと思いきや意外にも手直しされていて、先ず錨の形が商船と共通の形状から軍艦用に変更され、囲む葉もオリーブから桜になっています。
空は武者がかぶる兜の鍬形を意味する翼に鷲(鷹と言う説もある)、星、月を配して大空をイメージしていますが、最初はこの鍬形の部分に小さな雲が入っていたのを洗練させるためなくしました。そして、以前は幹部と曹士では大きさが違いましたが今は大量量産してコストを下げるため共通になりました。
陸・空の幹部の階級章の星は「桜星(おうせい)」と言って、よく見ると花びらの端に切れ込みを入れて桜らしくしてあります。、
ちなみに税関職員の階級章もほぼ同じデザインですが、採用したのはアチラが先で、しかも一番下の者が3尉の階級章をつけています(戦時国際法上、戦闘中に軍人として射殺されても文句は言えません)。
ところで海外では昔の軍服の襟に金色の生地が多かったため、目立つ銀色が上位の場
合が多く、米軍でも少尉は金、中尉が銀のバー、少佐、中佐は同様の葉です。
ついでに米軍の話をすれば、士官の階級章は少尉・中尉が木の幹、大尉が枝、少佐・中佐は葉と上に登り、大佐は鷲で空を飛び、将官は星になっていまうのだそうです。
そう言えば昔は陸・空幕僚長の階級章は陸・空将と同じ星3個だったのですが、源田実航空幕僚長が海外出張した時、3個では中将扱いされるため勝手に4個付けたの
が報道されて問題になり、「何とかならんか」と言われた空幕の担当者がアレコレ調べ
た結果、海上保安庁長官の階級章が違うことを見つけ、何とか変更にこぎつけたの
だそうです。
海はほぼ世界共通ですが、階級章を付け替えると袖に縫い跡が残るため、昇任する
と制服を新調しなければならないそうです(付け替えを頼むとミシン屋に呆れられ
るらしい)。
それから意外に知られていませんが、帝国海軍の紺の詰襟の軍服にも襟の階級章のか袖にも同様の階級章が黒で縫いつけてありました。
陸・空の「曹」の階級章は、昔の武者が戦場に立てていた板の盾を意味していて、盾1枚
に武者が10名程度控えていた歴史的経緯に基づいています。
昭和56年に曹長が出来た時、1曹の階級章の桜の花の下に無理やり線を入れたためデザインがアンバランスになっていまい、「曹長は おハナの下に 髭がつき」と言う川柳が作られました。
陸・海・空の「士」の階級章は、戦後しばらく警察官の巡査、巡査長、巡査部長の階級章が三角を袖に縫い付けるもので(尖った方が上)、これを逆にして桜の花をつけたのが自衛隊の階級章になったのだそうです。ただ、私は2士の階級章が初心者マークに見え、1本線が増えればようやく1人前と思っていました。
ちなみにアメリカ陸軍、空軍、海兵隊の兵から下士官の階級章は同じデザインで線が減らないのが年輪のような成長の過程を表していると言っていました。
最近、陸、空は職種徽章などが増えて制服が賑わっていますが、ほとんどが米軍の徽章に少し手直ししただけのコピーで、陸の施設科などは米軍の工兵科の石積みの城砦を日本の城の天守閣にした珍品です。
一方、アメリカ海兵隊は「海兵隊員であることが特殊技能(スペシャリスト)である」と
言う誇りと美学の下に、陸軍のような空挺やレンジャー、射撃などの徽章はなく、さらに部隊章も多国籍軍などで必要とされた場合を除き、迷彩服の右胸のポケットに「USMC(合衆国海兵隊)」と染めてあるだけです。
どうですシンプルも格好いいでしょう。

 歩哨犬の話
航空自衛隊では警備用の犬のことを「歩哨犬」と呼んでいます。
犬種としてはシェパードかどーベルマンになっていますが、入間基地で購入し、基本的な訓練を施した後、各基地には配置されます。
ただ、一部には各基地に寄付と言う形で入隊してくる犬もあり、浜松基地でもOBが飼っていたシェパードを「大きくなり過ぎて(体重54キロ)を持て余したから」と引き取ったことがありました。この犬は訓練中に死んでしまい、それをOBに伝えに行く時は戦死通知を届けに行く従軍牧師の気分を味わいました。
さらに市内のシェパードの種付け業者から寄付を申し込まれたことがあったのですが、その犬は1頭2千万円。ドイツの旧貴族の家で飼われていた犬の血統で、1回の種付け料は百万円になり、それを2十数回繰り返せば儲けも出るのですが、あまり血統が増え過ぎると価値が下がるので、適当なところで去勢して売りに出すか、それもせずに殺すのだそうです(こちらの方が一般的)。
私もその犬と面接をしたのですが体形は美しく、立ち姿、動作にも品があり、流石は貴族の「お犬様」と言う感じでしたが、犬としての躾は全くされておらず、年齢から考えて歩哨犬にするのは無理と考えて断りました。するとその電話の直後に業者が自分で毒を与えて殺したそうです。合掌
またある時、新聞に米軍の警備犬の記事が載っていたのですが、その犬種は「ベルジャンマラノイ」と言って、ペット百科にもないモノでした。
そこで私は横田基地へ研修に出かけたのですが、米軍と航空自衛隊では歩哨犬・警備犬の運用が全く違うことを学びました。
自衛隊では重要施設にランニングチェーンでつなぎますが、米軍は犬単独での使用は禁じられており、むしろ武器が使用できない時の威嚇、攻撃などに威力を発揮していると言っていました。
ちなみに犬は殺傷目的に作られた道具ではないので、例え相手を殺し、負傷させても武器使用にはならないそうです(日本の警察に確認)。
米軍が採用したベルジャンマラノイはこの目的に適合した犬で、顎の力はシェパードの3倍あって標識も噛み折ることができ、闘争心はドーベルマン以上のものがあるそうです。
何よりもシェパードは改良のための交配を重ね過ぎて身体が弱く、心臓病などシェパードだけの病気が多く、特にヘルニアはある年齢になると100パーセント患います。
さらにヨーロッパで作られた犬種であるため高温多湿の気候に弱く、ベトナム戦争でも多くが病死し、これを受けて犬種の研究が始まり、ベルギー王室で飼われていたベルジャンマラノイ(現在、日本ではベルギー・シェパードと呼ばれている)を選んだのだそうです。
この研修には入間基地の歩哨犬訓練所の教官もドライバーとして同行しましたが、米軍の警備犬訓練や運用方法に大いに関心を示し、侵入者に唸る犬を見せながら「この犬は貴方を噛み殺し、重傷を負わせる可能性がある」と警告することなどは自衛隊でも取り入れたいと言っていました(浜松基地でも航空祭などで採用した)。
その後、歩哨犬の話は脱線し、フランス外人部隊が砂漠の戦場では草を食べて自活し、高い声で鳴く山羊を配置すると知り、元フランス防衛駐在官の群司令に資料をお願いしたのですが、「日本国内でその必要はないだろう、まったく何でもありだな」と笑われてしまいました。
さらによく訓練されてシェパードは命令がないと吠えないため自衛隊の運用に合う犬種の研究も始めまし
た。友人の動物学者の「番犬なら縄張り意識が強い日本犬が適している」との意見を受けて、秋田犬、紀州犬の採用を要望したのですが、根拠不明確として却下されました。
これは怪僧・モリノ2尉が作した歩哨犬顕彰碑の碑文です。
「軍用警備犬、通称歩哨犬、其祖出独逸国、生於日本国之各所、徴用皇国空軍了訓練武蔵野、配属当基地、以来任基地重要施設警備、極寒酷暑中遂行任務也、彼等濫不吐弱音責任放棄尤悪、好跳走興一至追獲物、古人曰猫亦佛性有、然生軍務倒軍務死軍務、軍用警備犬是軍神如何(軍用警備犬は歩哨犬と通称されている。その祖は独逸(ドイツ)国に出る。日本国の各所に於いて生まれ、皇国空軍(航空自衛隊)に徴用され、武蔵野(入間)に於いて訓練され、当基地に配属され、以来基地重要施設の警備を任として、極寒酷暑の中を任務遂行する也。彼等は濫りに弱音を吐かず、責任の放棄を尤も悪(にく)む、好んで跳び走り、興一至れば獲物を追う。古人曰く『猫にも亦佛性がある』、然らば軍務に生き、軍務に倒れ、軍務に死す、軍用警備犬の是を軍神とすることや如何に)」
※旧軍では軍用犬は伍長だと言われていますが(真偽不明)、自衛隊では「高価格品」つまり物品です。
※横田基地の犬舎でウチの隊員が犬に「ジョン、ジョン」と呼び掛けたところ、案内の米兵が「イエス サー」と返事をしました。
横田憲兵隊
横田憲兵隊・左端がジョン上等兵です。
ベルジャン・マラノイ
ベルジャン・マラノイ(ただし海兵隊員です)
 航空自衛隊武道大会での銃剣道再発について
最近、航空自衛隊の現役幹部の友人から耳を疑うような愚かしくも情けない話を聞いて、呆れ果て嘆いています。それは防府南基地で行われる航空自衛隊武道大会で、すでに徒手格闘の採用で廃止になっていた銃剣道が復活したと言うのです。
銃剣道は大日本帝国陸軍のお家芸ですが、そもそも長い30式歩兵銃(日露戦争当時の制式銃)に、これも長い長ーい30年式銃剣(40センチもあった)をつけて槍のようにした銃を持って刺突するだけの極めて限定された格闘技術です(槍でも振り回す技がありますが銃剣道では反則です)。
現在、銃剣道と称して武道に名を連ねていますが、元来はフランスから輸入された格闘術でフェンシングの兄弟に当ります。明治の創軍期、銃剣術の導入に当り士族が多かった陸軍首脳には「外来の格闘術よりも日本古来の槍術を演練すべし」と主張する者が多く、体育訓練を研究していた陸軍戸山学校の担当者が元久留米藩士であっため、若い頃に藩で学んだ宝蔵院流を取り入れて槍のような銃剣術ができ上がりました。全日本銃剣道連盟はこの史実を以って銃剣道が日本古来の槍術の系譜にある=武道であると主張しています。
しかし、銃剣を閃かしての万歳突撃は日露戦争の旅順要塞攻撃でも機関銃による掃射で犠牲ばかりが大きく時代遅れであることが指摘され、第1次世界大戦の青島攻撃でも同様であったにも関わらず、これを改めることなく太平洋戦争でも繰り返され、さらに現在の陸上自衛隊でも未だ銃剣道に励んでいる。
冷静に考えれば30式歩兵銃の長さの木銃を使っての銃剣道が89式小銃で役立つ否かは自明の理で、ましてや航空自衛隊員が銃と銃剣を持つことがどれほどあるのか?
だからこそ素手で戦う徒手格闘の有用性を認めてこれを採用する英断を下したのにも関わらず役にも立たぬ敗軍の遺物をワザワザ復活させるとは・・・また教育幹部が得意とする裏工作があったのです(あえて断定します)。
全日本銃剣道連盟は退官した陸上幕僚長を理事長に就任させたことがあり、各都道府県支部も地元部隊OBが固める典型的な天下り団体であり、航空教育隊もその恩恵を預かっているのです。
航空教育隊にとって銃剣道は、新隊員などの教育課程で形式的な審査を受けて手数料を払えば漏れなく「初段」をくれ、「昇段」させてくれる有り難い武道で、公式戦への出場経験がない野僧でさえ5段の元公式審判員です(形は体育学校仕込みで模範的ながら)。
銃剣道連盟にとっても年間、数千人の多額の審査料は貴重な定期収入であり、さらに有段者は愛好者の実績とできるのですから、これを維持することは死活問題なのでしょう。
しかし、ほかの武道(柔道、拳法)では血と汗に塗れた精進努力の結果、黒帯になったことを思うと銃剣道5段はあまりにも軽く、単に個人訓練の練成基準を達成するために買わせる銃剣道初段に何の意味があるのかと、あまりの御都合主義に怒り心頭です
戦闘員に必要なのが段位認定ではなく格闘技術であることも弁えぬ輩が教育に当たっているようでは航空自衛隊には武装組織としての未来はないのかも知れません。
尤も、第1次イラク派遣の主力部隊になった名寄の陸上自衛隊第3普通科連隊も番匠連隊長の頃に廃止した銃剣道を再開したそうですから、こうなると最早、自衛隊を蝕む遺伝性の病気でしょうか。
ちなみに航空自衛隊に銃剣道が入り込んだのは、創設メンバーに大日本陸軍航空士官学校出身者が多く(海軍出身者はスタンドプレイヤー・源田実を嫌って海上自衛隊に走ったと言われています)、警察予備隊、保安隊の流れを受ける陸上自衛隊以上に陸軍の気風を持ち込んだためと言われています。その点、海上自衛隊は武道がもたらす弊害に着目して、江田島の幹部候補生学校では訓練課目から外したそうですから流石です。
航空自衛官に相応しい格闘技の問題について野僧は現役時代から研究を重ね、そのため色々な種目に手を出し、段位はしめて17段です(ただし中身のない銃剣道5段を含む)。
今回、航空自衛隊に再発した悪性腫瘍=銃剣道は刺突だけの極めて限定された格闘技と言うよりもビリヤードに近いものですが、アメリカ軍のバイオネット・ファイティング(銃剣格闘)では刺突だけでなく主に頭部への打撃も重視しており、試合はフットボールのヘルメットをかぶり両端に大きなクッションがついた棒での叩き合いです。
また刺突も、銃剣道では昔の槍術そのままに剣を立てて足の踏み切りと合せて真っ直ぐに突き出しますが、バイオネット・ファイティングでは銃剣を寝かせて腕で振るように突き出します。
アメリカ海兵隊員にその理由を訊いたところ「肋骨の形を考えれば剣は寝かせた方が刺さりやすい」「この方が銃床での打撃に続けやすい」とのことでした。
アメリカ人と日本人では腕力が違いますからアメリカ式をそのまま導入しろとは言いませんが、銃剣道は長い銃と銃剣があって成立する格闘術であることは間違いなく、自動小銃の時代では有効性がとうに失われているのです。
では徒手格闘はどうかと言えば、これは本来、柔術の流れをくむ日本拳法に対武器などの技を加えて発展させたもので、試合は防具、グローブをつけての殴る蹴る、掴む投げる、締める関節を極めると何でも有りですが、これも戦闘技術であれば当然です。
また柔術の流れだけに、殴る蹴るの当身技と組みついての投げ技、関節技が両立しており、むしろ相手を転ばして当身技でとどめを刺すことを基本としています。
実際、当身技で相手を倒すには上手く急所に当てるか、それだけの破壊力をつけなけらばならず、かなりの修練が必要であり、投げ技で抵抗を封じて急所を突くことは理に適っています。
一方、野僧は自衛隊体育学校格闘課程に入校している時、改善意見を求められたので「現在の金属の面や硬いプラスチック製の胴を強化プラスチックの面、クッション入りの柔らかい胴に替えるべきだ」と回答しました。そうすれば手にはめる大きなグローブを拳サポーターにすることができ、投げ技も容易になって少林寺拳法の演武のように関節技さえ試合で使えるようになるからです。しかし、体育学校も所詮は「先例大事」「上意下達」の陸上自衛隊であって下からの新たな発想は採用してもらえませんでした。
野僧は警備小隊長時代には格闘技として相撲を奨励していました(ただし土俵なしで転ばすまでのモンゴル相撲ルールでしたが)。
相撲の頭から当たる破壊力は拳や足での当身技以上の衝撃があり、柔道で言う自護体から身体で押しながら態勢を崩す投げ技は実戦性が極めて高いのです(ただし、足技は掛けて押す相撲よりも刈る柔道の方が正しい)。しかも組み合う態勢は機動隊の盾の動作に通じ、警備小隊員には極めて有用でした。
しかし、先ず為すべきは何の種目にしろ武道の一本勝ちを止めて、ボクシングやレスリングのように時間内戦い続け、ポイントの累積で勝敗を決するようにルールを改めことです。
現代の航空作戦は戦闘機や攻撃機による戦闘だけでなく、打ち漏らした敵をミサイルで迎え撃ち、救難機で人員を救助し、輸送機で物資を運ぶ総合戦であり、1本勝ちの発想はそれを損なう惧れが大なのです。それで海上自衛隊は課目から外したのですから。