「奇怪な洞」歓待への謝意…新見市(岡山県)

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満奇の洞 千畳敷の蝋ろうの火の あかりに見たる顔を忘れじ――――与謝野晶子(1929年)

色とりどりのLEDライトに照らされ、幻想的な雰囲気が漂う「満奇洞」。鍾乳石から落ちる水音が響く=岡山県新見市で
色とりどりのLEDライトに照らされ、幻想的な雰囲気が漂う「満奇洞」。鍾乳石から落ちる水音が響く=岡山県新見市で

 岡山県新見市の鍾乳洞「 満奇洞まきどう 」まで車で20分ほどの位置にあるインターチェンジで高速道路を降り、ヘアピンカーブが続く複雑な山道に入る。車ながら、特殊な地形に“足を踏み入れた”感触があった。

安堵とときめき 今も…湖北(滋賀県長浜市、米原市)

 あたり一帯は、阿哲台と呼ばれるカルスト台地。石灰岩が長い年月をかけて雨水などで浸食され、崖やアーチ、そして洞窟と、多様な景観を形作っている。

 それらは作為なき自然の産物だが、意味を与えるのは人間であり文化である。

 洞門、唐獅子、五重の塔、 臥牛がぎゅう 、仁王の脚、鬼の 手水ちょうずばち釣鐘つりがね 、五百羅漢――。満奇洞内に入ると物々しい名がおよそ40も、あちこちの奇岩に付されていた。造形の多彩さを示すと同時に、名付けた人々の発想力にも恐れ入る。

 同市井倉には井倉洞という、満奇洞と並び称される鍾乳洞がある。満奇洞も元は「 まき の穴」と、地名を冠していた。それに「奇に満ちた」洞という字を当てたのは、やや俗ながらも発明である。印象を強め、想像を喚起する。名付け親が著名人であればなおさらだ。

 与謝野鉄幹・晶子夫妻は岡山県内を隅々まで旅しているが、夫妻来訪の記憶をここまで大切にしている地は見当たらない。新見市商工観光課は「命名者というのが大きい。洞内で撮影した夫妻と地元の方々との記念写真が現存しており、地域を挙げた歓待が行われたようです」とする。満奇洞に展示されたその写真には、20人ほどの人に囲まれた夫妻の姿があった。

 「私 たち を鐘乳洞へ案内するために役場は全く空であった」――。晶子は評論集「街頭に送る」所収の「北備渓谷の秋」で、1929年10月に訪れた時の様子をつづっている。

 与謝野夫妻と岡山の関係に詳しい就実短期大(岡山市)の加藤美奈子教授(日本近代文学)は晶子の歌を読み解く。「歓待に対する謝意を込めたのでしょう。ここにいる皆さんのお顔を忘れないつもりです、と」

 晶子が「 冥府よみみち辿たど るやうな奇怪な光景」と評した洞内は、真夏にもかかわらず驚くほど冷気に包まれていた。ポタッ、落ちる水滴。キュキュッ、コウモリの鳴き声。何度も肝を冷やした。だが、晶子の歌に思いをはせると、温かい気持ちになった。

  与謝野晶子 (よさの・あきこ)
 1878~1942年。歌人、詩人。1901年、第1歌集「みだれ髪」が反響を呼び、鉄幹(1873~1935年)と結婚。岡山は鉄幹が少年期を過ごした時期がある。また、夫妻は岡山出身の正宗敦夫、薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)、中山梟庵(きょうあん)などの文学者と交流があった。岡山への旅では、1929年秋に備中松山城、宇土渓、鬼ヶ嶽、薬師温泉、満奇洞を訪れ、33年初夏には瀬戸内海、下津井、神庭の滝、湯原温泉、院の庄、奥津温泉、津山、後楽園などを訪れている。

 文・清川 仁
 写真・中村光一

100年の文化、流行が凝縮

緑濃い山肌に口を開けた「羅生門」=岡山県新見市で
緑濃い山肌に口を開けた「羅生門」=岡山県新見市で

満奇洞の入り口にある与謝野鉄幹、晶子の歌碑
満奇洞の入り口にある与謝野鉄幹、晶子の歌碑

  満奇洞まきどう の入り口に堂々たる与謝野夫妻の歌碑が建てられたのは、1977年のこと。同年、洞内でロケをした映画「八つ墓村」が公開される。その後のリメイク作品でも、満奇洞は欠かせないロケ地になった。

 文学から映像へ。そして、今は“映え”の時代。現地に飾られていた写真では、若い女性たちはツノを付けて金棒を担いだり、着物姿で扇子や和傘を携えたり。相当な凝りようを見せている。

「日本の滝百選」にも選定された「神庭の滝」は水量も豊富。ゴウゴウと音を立てていた=岡山県真庭市で
「日本の滝百選」にも選定された「神庭の滝」は水量も豊富。ゴウゴウと音を立てていた=岡山県真庭市で
鉄幹(右)、晶子(左)夫妻が満奇洞を訪れた時の記念写真=岡山県新見市で
鉄幹(右)、晶子(左)夫妻が満奇洞を訪れた時の記念写真=岡山県新見市で

 新見市は2014年にLED照明を設置して洞内を幻想的に彩り、近年は女子旅やコスプレの企画を行っているという。晶子たちが 蝋燭ろうそく の明かりで巡っていた時代とは趣がだいぶ異なるが、100年の文化、流行が凝縮していてある意味興味深い。

 あんぐりと口を開けたような岩の迫力に目を見張った。満奇洞から車で15分ほどの位置にある、羅生門だ。高さ約40メートルという威容。元の姿は、満奇洞と同様の洞窟で、浸食が進み、天井部分が崩落したのだという。自然の力、年月の重みを感じるが、この地にも新たな魅力が加わった。

 「羅生門をまもる会」が10年前、近くに700本の桜を植樹し、昨年から「さくらまつり」が開かれている。「元は果樹園だったが、獣害に悩まされて経営者の方が手放した。どうせなら様々な種類を楽しみたいと、ソメイヨシノ、カンザンなど10種を植えてみた」と西村和夫会長(64)。3月下旬から1か月間、それぞれの見頃が続くという。

 車を東北方面に走らせ、高さ110メートルの神庭の滝へ。カルスト台地はこの真庭市にも及び、鬼の穴という洞窟もあった。

 さらに東北へ。川沿いに湯が湧く野趣あふれる湯原温泉、鳥取県が目前に迫る奥津温泉まで足を延ばした。岡山の広さ、奥深さを感じたが、与謝野夫妻もいずれの地も訪れ、歌を残している。

 ●ルート 東京駅から新幹線で岡山駅まで約3時間20分。満奇洞へはJR岡山駅から井倉駅まで約1時間20分、満奇洞行きのバスで約40分。

 ●問い合わせ 新見市商工観光課=(電)0867・72・6136、満奇洞管理事務所=(電)0867・74・3100

[味]和紅茶とタルト疲れ癒やす

 羅生門から車で数分の所に喫茶店「オトノハ」((電)0867・74・2017)がある。渋みが少ない国産の「和紅茶」=写真=に力を入れる。

 隣接する食料品店を営む黒川京子さん(60)が約2年半前に開店。土・日・月曜だけ営業する。メニューには、新見市の南隣、 高梁たかはし 市で栽培された「高梁紅茶」のほか、静岡、熊本、宮崎の和紅茶が並ぶ。「私はコーヒー派だったけれど、フレッシュで飲みやすい高梁紅茶に出会って、みなさんに知ってほしいと思った」

 和紅茶と、岡山産フルーツをたっぷり使った自家製タルトとの相性は抜群。でも、店主は至って謙虚だ。「ケーキは自己流、子供たちにも作ったことがなかった」「店名は何となく。響きの良さですね」――。そんな奥ゆかしさも、旅の疲れを癒やしてくれた。

ひとこと…命名説に疑問も

 満奇洞の晶子命名説には疑問も残る。晶子の「満奇の洞――」の歌は、1933年の豊永村誌には明記されているものの、30年に夫妻が出した同人誌「冬柏」では「真木の洞――」と始まる。また「北備渓谷の秋」で晶子は、鏡川など他の土地の命名に言及しているが、満奇洞を名付けたという記述は見当たらない。

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