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満奇の洞 千畳敷の蝋ろうの火の あかりに見たる顔を忘れじ――――与謝野晶子(1929年)
岡山県新見市の鍾乳洞「
あたり一帯は、阿哲台と呼ばれるカルスト台地。石灰岩が長い年月をかけて雨水などで浸食され、崖やアーチ、そして洞窟と、多様な景観を形作っている。
それらは作為なき自然の産物だが、意味を与えるのは人間であり文化である。
洞門、唐獅子、五重の塔、
同市井倉には井倉洞という、満奇洞と並び称される鍾乳洞がある。満奇洞も元は「
与謝野鉄幹・晶子夫妻は岡山県内を隅々まで旅しているが、夫妻来訪の記憶をここまで大切にしている地は見当たらない。新見市商工観光課は「命名者というのが大きい。洞内で撮影した夫妻と地元の方々との記念写真が現存しており、地域を挙げた歓待が行われたようです」とする。満奇洞に展示されたその写真には、20人ほどの人に囲まれた夫妻の姿があった。
「私
与謝野夫妻と岡山の関係に詳しい就実短期大(岡山市)の加藤美奈子教授(日本近代文学)は晶子の歌を読み解く。「歓待に対する謝意を込めたのでしょう。ここにいる皆さんのお顔を忘れないつもりです、と」
晶子が「
与謝野晶子
(よさの・あきこ)
1878~1942年。歌人、詩人。1901年、第1歌集「みだれ髪」が反響を呼び、鉄幹(1873~1935年)と結婚。岡山は鉄幹が少年期を過ごした時期がある。また、夫妻は岡山出身の正宗敦夫、薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)、中山梟庵(きょうあん)などの文学者と交流があった。岡山への旅では、1929年秋に備中松山城、宇土渓、鬼ヶ嶽、薬師温泉、満奇洞を訪れ、33年初夏には瀬戸内海、下津井、神庭の滝、湯原温泉、院の庄、奥津温泉、津山、後楽園などを訪れている。
文・清川 仁
写真・中村光一
100年の文化、流行が凝縮
文学から映像へ。そして、今は“映え”の時代。現地に飾られていた写真では、若い女性たちはツノを付けて金棒を担いだり、着物姿で扇子や和傘を携えたり。相当な凝りようを見せている。
新見市は2014年にLED照明を設置して洞内を幻想的に彩り、近年は女子旅やコスプレの企画を行っているという。晶子たちが
あんぐりと口を開けたような岩の迫力に目を見張った。満奇洞から車で15分ほどの位置にある、羅生門だ。高さ約40メートルという威容。元の姿は、満奇洞と同様の洞窟で、浸食が進み、天井部分が崩落したのだという。自然の力、年月の重みを感じるが、この地にも新たな魅力が加わった。
「羅生門をまもる会」が10年前、近くに700本の桜を植樹し、昨年から「さくらまつり」が開かれている。「元は果樹園だったが、獣害に悩まされて経営者の方が手放した。どうせなら様々な種類を楽しみたいと、ソメイヨシノ、カンザンなど10種を植えてみた」と西村和夫会長(64)。3月下旬から1か月間、それぞれの見頃が続くという。
車を東北方面に走らせ、高さ110メートルの神庭の滝へ。カルスト台地はこの真庭市にも及び、鬼の穴という洞窟もあった。
さらに東北へ。川沿いに湯が湧く野趣あふれる湯原温泉、鳥取県が目前に迫る奥津温泉まで足を延ばした。岡山の広さ、奥深さを感じたが、与謝野夫妻もいずれの地も訪れ、歌を残している。
●ルート 東京駅から新幹線で岡山駅まで約3時間20分。満奇洞へはJR岡山駅から井倉駅まで約1時間20分、満奇洞行きのバスで約40分。
●問い合わせ 新見市商工観光課=(電)0867・72・6136、満奇洞管理事務所=(電)0867・74・3100
[味]和紅茶とタルト疲れ癒やす
羅生門から車で数分の所に喫茶店「オトノハ」((電)0867・74・2017)がある。渋みが少ない国産の「和紅茶」=写真=に力を入れる。
隣接する食料品店を営む黒川京子さん(60)が約2年半前に開店。土・日・月曜だけ営業する。メニューには、新見市の南隣、
和紅茶と、岡山産フルーツをたっぷり使った自家製タルトとの相性は抜群。でも、店主は至って謙虚だ。「ケーキは自己流、子供たちにも作ったことがなかった」「店名は何となく。響きの良さですね」――。そんな奥ゆかしさも、旅の疲れを癒やしてくれた。
ひとこと…命名説に疑問も
満奇洞の晶子命名説には疑問も残る。晶子の「満奇の洞――」の歌は、1933年の豊永村誌には明記されているものの、30年に夫妻が出した同人誌「冬柏」では「真木の洞――」と始まる。また「北備渓谷の秋」で晶子は、鏡川など他の土地の命名に言及しているが、満奇洞を名付けたという記述は見当たらない。