東日本大震災から10年になる今も、宮城県の被災地を“兵庫出身”のバスが走っている。「ミヤコーバス」(本社・仙台市)に寄贈された「復興支援車両」だ。(中島摩子)
「ミヤコーバス」は、所有していた31台が津波で流されたりして使えなくなった。一方でバスのニーズは震災後、一気に高まった。マイカーを流された人が多く、鉄道は大半の区間で長期間、運行再開の見通しが立たなかったからだ。
だからこそ、全国から寄せられた復興支援車両は通学や通勤、通院の欠かせない足になった。
兵庫から一番早く東北入りしたのは尼崎市営バス(2016年に民営化)だ。売却予定だったノンステップバス5台に支援物資の青果物約700ケースを積み、震災の1カ月後、気仙沼市に向かった。今も2台が現役。塗装がはがれるなどしたためミヤコーバス仕様の白と赤に塗り替え、黒川郡大和(たいわ)町の路線を支える。
姫路市の神姫バス1台も石巻市の路線で活躍中。塗装はオレンジ色が基調の神姫バスカラーのままだ。車内には、寄贈当時に「兵庫から東北へ 想いを届けよう」と書かれた幕が今も飾られている。「多くの笑顔を運べますように」「支えあって生きていきましょう」などの寄せ書きも残る。神姫バス総務部の小森亮介課長(47)は「阪神・淡路大震災を経験したからこそ、大変さが分かる。少しでも役に立ちたい一心だった」と振り返る。
震災の年の12月末から気仙沼市を走った明石市営バス(12年に民営化)の車両は約5年間運行し、16年に引退した。津波と火災に襲われた沿岸のまちで、明石海峡をイメージしたブルーとベージュの車体が目を引いたという。
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現役の復興支援車両は、兵庫の3台と東京都営バス11台のみ。ミヤコーバス石巻登米(とめ)地区支配人の山崎強さん(60)は「今も復興工事が続き、みんなが頑張っているなか、応援車両に励まされている。これからも活躍してもらいたい」と話している。