2021年5月13日

“構内食堂”に魅せられて

かつては四国の駅や運転区にいくつかあった構内食堂。鉄道員(ぽっぽや)の胃袋を満たしてきたが、いまやその存在は徳島駅構内をのぞくと皆無となってしまった。愛媛では5年前まで松山運転区に「華食堂」があった。旅情と日常を結ぶ場所のようで、私はなぜか特別な食堂として魅せられていたのだ。愛媛を飛び出し、香川に残る構内食堂を取材した。

(NHK松山放送局 宇和島支局 山下文子)

多度津駅構内食堂。JR予讃線と土讃線が交わる四国鉄道発祥の多度津駅の構内にあり、車掌や運転士、整備士など多くの鉄道員が朝から晩まで通い続けた食堂だ。一般の人も利用できるとあって、鉄道で旅する人びとや地元の人たちも愛用していたが客の7割は鉄道員だ。

髙田芳紀さん(63歳)ん

髙田芳紀さん

営業時間は、朝7時から夜7時まで。たった1人で食堂を切り盛りしていたのは、髙田芳紀さん(63歳)だ。髙田さんは、日曜祝日以外は毎日朝5時に来て、早朝勤務の鉄道員たちのために温かい朝食を用意していた。朝も昼も夜も炊きたて、てんこ盛りの白飯と、熱々のみそ汁。どれだけ多くの鉄道員の体を温めてきたことだろう。

以前からその存在を知り、旅の途中に立ち寄ってはいたものの、私が思いきってこの食堂を取材しようとカメラを持って訪れたのは、2月の雪が降る日だった。まだ暗いうちから厨房に立つ髙田さんの撮影を始めると、体を冷やした鉄道員たちが次々にやってきた。

「きょうは寒いな」「もう完全に体が冷えたで。吹雪やった」。雪が降っても鉄道は動く。線路の切り替えポイントをチェックし、視界の悪い中を運転する。一仕事終えた鉄道員は髙田さんと会話しながらほっと一息をついていた。
食堂は出勤前や勤務合間の制服姿の鉄道員らでいつも一杯だった。髙田さんは、ほとんどの客と顔なじみで一人一人に「はい、いってらっしゃい」「お帰りーお疲れさん」と声をかけていた。

そもそも髙田さんがここで食堂を経営するきっかけになったのは、幼なじみだったJR四国の運転手の一言だったという。

「おまえ、よかったらここで食堂をやってみんか。ワンコインで俺らにあったかいメシ作ってくれんか」

幼なじみは、数年ほど前に亡くなったというが、最初に交わした約束の通り、昼と夜はワンコイン、500円で日替わりの定食を提供し続けてきた。髙田さんは、前の主人から引き継いで13年間、同じスタイルで食堂を続けてきた。
しかし、建物は築90年を超えて老朽化が進んだため、今年3月末での閉店を余儀なくされたのだ。

誰もが閉店を惜しんだ。閉店の噂を聞きつけた昔の常連や、いつか訪れたいと思っていた鉄道ファンもやってきた。ランチの時間には、なじみの鉄道員までもが行列に並ばなければならないほどの盛況ぶりだった。ランチで一番人気だったカレーの日は、わずか45分で鍋が空っぽになり、しょんぼりと肩を落として食堂に入れなかった鉄道員たちの姿もあった。
若い人がいたので声をかけてみた。近所に住む高校生だという。
「テスト期間中だけ食べに来られるんですよ。ここのご飯食べて勉強やるぞって」

髙田さん本人が考えていた以上に、鉄道員や地元の人たちの愛は大きかったのだ。髙田さんは

「構内食堂を始めてからいろんな人と顔なじみになった。若い鉄道員からはお父さんみたいに慕ってもらい、この食堂をやっていて本当に良かったと思う」

と話していた。
そして3月31日、最終日。食堂には、早朝から長蛇の列ができていた。朝定食もランチも早々と完売し、夕方、髙田さんは常連の客に食事を提供した後、静かに暖簾を下ろした。

あれから1か月余りたった5月10日、髙田さんは新たな食堂をオープンした。場所は四国霊場第75番札所善通寺の駐車場のすぐそば、店の名前は「構内食堂」だ。
入り口は再開を祝う花輪で囲われ、そこには「祝開店 多度津運転区有志一同」の文字もある。

午前10時半の開店を待っていたのは、かつての常連たちだった。
「大将に会いに来ました。僕ら鉄道員が再開をどんなに待ち望んでいたことか」と再会を喜んだ。

メニューは以前と変わらず、日替わりの定食500円。カレーの日もある。営業時間は午後2時半までだが、髙田さんは鉄道員のために、夕方は予約制で弁当を作って配達することにしている。

髙田さんは一人一人の顔を見ながらご飯をよそう。なじみの若い男性客には、これでもかというほど茶碗からはみ出んばかりにホカホカのご飯を盛る。私も頂いたのだが、前回お願いしたご飯の量を覚えてくれていて、ちょうどよい小盛によそってくれた。

からあげ定食

初日のメニューは鉄道員が、カレーの次に好きだと口を揃えて言う「からあげ定食」だ。下味がしっかりついた柔らかい肉に、サクサクの衣の食感。いつものみそ汁。おいしかった。構内食堂は、駅や運転区から場所は離れてしまったが、髙田さんを慕う鉄道員や常連の心の距離は変わっていなかった。新たな客層も加わり、きっとこれからも人びとの胃袋と心を温めてくれるにちがいない。

髙田芳紀さん

この記事を書いた人

山下文子(やました・あやこ)

山下文子(やました・あやこ)

2012年から宇和島支局を拠点として地域取材に奔走する日々。
鉄道のみならず、車やバイク、昭和生まれの乗り物に夢中。