桑田佳祐さん「音楽人として東北に向き合い、復興のために活動する」

 人気バンド「サザンオールスターズ」の桑田佳祐さん(65)が東日本大震災の発生10年に合わせ、河北新報社のインタビューに応えた。「音楽人として東北に向き合い、復興のために活動することが第一のプライオリティー(優先順位)だと思っている」と述べ、今後も被災地支援に力を注ぐ考えを示した。

 桑田さんは、震災直後に遺体安置所となった宮城県総合運動公園(グランディ21、利府町)の総合体育館で2011年9月10、11日、「宮城ライブ~明日へのマーチ!!~」を開催した。前年には食道がんの手術をし、復帰後初のコンサート会場に宮城を選んだ。

「デビューして43年、一番印象に残っているコンサートはこのライブ」と語り、「集まった東北の皆さんから、ステージで放った『一緒に元気になろうね』という言葉を引き出された気がした」と振り返った。

 また、被災地を気遣い「福島をはじめ、今でも復興したと言い切れる所ばかりではないと思う。本当の意味での復興ライブをグランディでやれたらいい」と述べた。

 桑田さんは20年1月、東京五輪・パラリンピック開催に向けて楽曲「SMILE~晴れ渡る空のように~」を発表した。新型コロナウイルスの世界的流行で、大会が1年延期されたことに触れつつ「復興五輪というのが、被災地でライブをさせてもらった僕らには一番染みる」と強調した。

 桑田さんは11年4月、所属事務所のメンバーで「チーム・アミューズ!!」を結成し、楽曲の配信や収益の寄付といった物心両面で被災地を支援した。

 11年9月のライブに加え、ツアーのたびにグランディを公演会場に選定。宮城県女川町の臨時災害放送局「女川さいがいFM」が閉局となる16年3月には、現地でライブを開催した。

「宮城のグランディで、本当の意味での復興ライブをやりたい」と話す桑田さん

悲しみを共有するときこそ、歌でしょう<インタビュー>

<10年前の3月11日、NHK(東京・渋谷)の楽屋でテレビ番組出演の準備中だった>
 2010年に食道がんの手術をし、休業明けでテレビに出始めた。医師が横にいて、点滴をして着替えて出ようかというときに「ガーッ」と揺れた。すごく揺れたから一瞬、病気明けの目まいかと思った。彼女(妻の原由子さん)が僕を支えてくれた。「長く、大きかったね」と言い合った。

<所属事務所の仲間と共に「チーム・アミューズ!!」を4月に結成。チャリティーソングのリリースなど、被災地支援に当たった>
 報道を見て東北が大変なことは分かっていたが、具体的な行動までは思考が回らなかった。タイムラグがあり、スイッチが入った。なりわいの音楽で食べさせてもらっている。手紙を頂いたりラジオ番組で電話をしたりするファンが、東北にもいっぱいいる。

 右往左往しながらも、チーム・アミューズで何かをやろうと。福山雅治君たちと「歌を作るしかないな」と話した。時間とともに何人かがアイデアを持ち寄って行動すれば勇気が出る。一人じゃやっぱり動けないし、考えられなかった。

<遺体安置所として使われた宮城県総合運動公園(グランディ21)の総合体育館で震災半年後の9月10、11日、ライブを開催した>
 その前の5月、名取市閖上へ行った。日和山から見た光景に言葉は出なかった。カメラが回っていたこともあり、気の利いたことの一つも言いたかったが、どんな言葉も追い付かない。音楽で気持ちをぶつけるしかないと思った。

 8月、コンサート会場のグランディを訪れた。ひびが入ったり、傾いたりと傷んでいる。公演をやるか、やらないかというやりとりもあったが「ぜひ、やらせてください」と話した。

 10年に病気と手術、11年に震災があって迎えたライブ。デビューから43年で最も印象に残っている。もちろん、プレッシャーがないわけではなかった。俺でいいのかなとか、病気をしてライブが務まるかとか。

 東北、宮城の皆さんも本当は大変だけど、一見するといつもと変わらぬようだった。自然に出たのが「一緒に元気になろうね」。言葉が引き出された感じがした。「元気になろうぜの会」と言ったら、「わー」とお客さんが沸いてくれたので、ひと安心したのを覚えている。

 <このコンサート以来、「歌は楽しいからではなく、悲しいから歌う」と思うようになる>
 当時、自分の体調も絶好調ではなかったし、目の前にいる皆さんはそれ以上に大変。悲しみを共有するときこそ、「歌でしょう」と気付かされた。言葉には出ないけど、歌には言霊を乗せやすくなる力があることを痛切に信じるようになった。

 本質的に、喜怒哀楽の「哀」があるから歌う行為になる。そこから「ちょっとリラックスしませんか」という波長が出ればいい。われわれの役目としてピエロのように喜んで踊る。いつも通りに歌って踊る、しゃべるというのがエンターテインメントだと思う。

 唱歌の「故郷(ふるさと)」を演奏した時がハイライトだったかな。「ウサギ追いし、かの山」の部分で観客とステージがぎゅっと共鳴した感じがした。グランディは忘れられない、大事な場所になった気がする。

 新型コロナウイルスの収束を鑑みながら東北に通い、皆さんの前でまたライブをしたい。いつか本当の意味での復興ライブをやれたらいい。

 <宮城県女川町の臨時災害放送局「女川さいがいFM」の閉局に合わせ、16年3月に現地で自身のラジオ番組の生放送に臨んだ>
 被災地に行くことで、逆にいろいろなことを教えてもらう。ねぎらいと言うと失礼だけど、われわれが忘れていないというアピールではなく、忘れないようにしようという自分への念押しの意味合いが大きい。

 <東京五輪・パラリンピックの開催予定だった20年1月、新曲「SMILE~晴れ渡る空のように~」を公開。アスリートらを応援する歌詞が盛り込まれた>
 新型コロナに打ち勝つ五輪になりかけているが、今も復興五輪と思っている。グランディでの経験があって、一番染みる言葉。五輪は前向きなものだけど、やっぱり1回後ろも向かないといけない。

 被災地はコロナも重なって本当に大変かと思う。われわれはバブル世代でのうのうと生きてきた。地方創生や環境問題が叫ばれるようになり、世の中は10年前に変わった。音楽人として東北に向き合うことにプライオリティー(優先順位)がある。われわれは東北復興世代として活動したい。

(聞き手は末永秀明、吉江圭介)

[くわた・けいすけ] 1956年2月、神奈川県茅ケ崎市生まれ。78年、サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」でデビュー。日本レコード大賞、ゴールデン・アロー賞音楽賞など音楽分野の受賞は多数。

女川さいがいFM閉局を前に、公開放送の会場に詰め掛けたリスナーと盛り上がる桑田さん(右から2人目)ら=2016年3月26日