「あのころは『アウス医者』がたくさんおった

西日本新聞

 「あのころは『アウス医者』がたくさんおった。お産は受けずに、アウスだけ1日に10人、20人と繰り返して…」

 アウスは医療用語で人工妊娠中絶のこと。1948年、中絶を認める優生保護法が成立すると、食糧難で「家族が増えたら困る」という女性たちが殺到。50年代に年間中絶数は、今の出生数にほぼ相当する100万件を超えた。「中絶だけで収入になるから、福岡市に専用医院が林立した」と90代の産婦人科医。

 その陰で、〈不良な子孫の出生防止〉という同法のもう一つの目的のため、無理やり「産めない体」にさせられてきたのが障害者たちだった。

 恥ずかしいことに、昨年末に被害者が訴え出るまで、私は同法を「女性が産む産まないを自己決定できるようになり、女性の生き方を解放した良い法律」とだけ認識していた。無知とは罪だ。反省もあり、同法と優生思想を考える企画をくらし面で展開中。最終回は18日。 (下崎千加)

=2018/09/15付 西日本新聞朝刊=

PR

デスク日記 アクセスランキング

PR

注目のテーマ