【荒川】
一級河川荒川右岸の塩谷集落はかつて現在地より500m内陸寄りの字古屋敷(ふるやしき)にあった。塩竃(しおがま)神社縁起によれば享保16年(1731)頃現在地に移転した。
建長7年(1255)関東下知状案によれば同5年頃荒河(あらかわ)保地頭荒河景秀の代官が塩屋を建て、小泉(こいずみ)庄牛屋(うしや)条地頭の色部公長方がこれを破壊したとあり、この塩屋が建てられた場所が字古屋敷と考えられる。
近世は村上藩領。寛永年間(1624~44)に西廻航路が開かれたのち、対岸の桃崎浜、海老江とともに重要な湊として発展した。天保国絵図には荒川河口に「此湊荒磯ニ而船掛り不罷成候 波風なく候ヘハ 二百石船入申候」とある。塩や海産物などの移入品は米沢城下まで荒川の舟運を利用し、小国(現山形県小国町)を経由して4日で運ばれ、米沢藩の城米も荒川を川下げされ江戸に送られた。
鎮守の塩竃神社は承安3年(1173)古屋敷に創立され、享保16年(1731)現在地に移されたと伝える。境内社は稲荷神社と金比羅神社。曹洞宗高泉(こうせん)寺、真言宗智山派円福(えんぷく)寺も同年現在地への移転を伝える。