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新潟県ホーム の中の農林水産業の中の荒川漁港(第1種 村上市管理)
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荒川漁港(第1種 村上市管理)

2010年11月22日
荒川漁港
荒川漁港 平成11年11月撮影
こちらをクリックすると、漁港の詳細なデータが表示されます(PDF形式  161 キロバイト)

漁村の歴史

【荒川】
 一級河川荒川右岸の塩谷集落はかつて現在地より500m内陸寄りの字古屋敷(ふるやしき)にあった。塩竃(しおがま)神社縁起によれば享保16年(1731)頃現在地に移転した。
 建長7年(1255)関東下知状案によれば同5年頃荒河(あらかわ)保地頭荒河景秀の代官が塩屋を建て、小泉(こいずみ)庄牛屋(うしや)条地頭の色部公長方がこれを破壊したとあり、この塩屋が建てられた場所が字古屋敷と考えられる。
 近世は村上藩領。寛永年間(1624~44)に西廻航路が開かれたのち、対岸の桃崎浜、海老江とともに重要な湊として発展した。天保国絵図には荒川河口に「此湊荒磯ニ而船掛り不罷成候 波風なく候ヘハ 二百石船入申候」とある。塩や海産物などの移入品は米沢城下まで荒川の舟運を利用し、小国(現山形県小国町)を経由して4日で運ばれ、米沢藩の城米も荒川を川下げされ江戸に送られた。
 鎮守の塩竃神社は承安3年(1173)古屋敷に創立され、享保16年(1731)現在地に移されたと伝える。境内社は稲荷神社と金比羅神社。曹洞宗高泉(こうせん)寺、真言宗智山派円福(えんぷく)寺も同年現在地への移転を伝える。
(出典:新潟県の地名 平凡社刊)