顕彰館 |
教育に関する 嘆かわしい 事件が続発する 昨今 ではあるが、昔、蔵王町宮に、“ 小野さつき ”という優秀な教師がいた。彼女が、自分の担任する生徒を連れて、白石川に 写生 に行ったとき、誤って川に流された生徒を助けようとして、その生徒とともに彼女は 溺死 してしまう。 当時、このニュースは日本中に知れわたり、全国から二万円、現在の金額にして三千三百万円の寄付金が集まったという。彼女の教育に対する責任感と情熱を 後世 に残すために、遺品・資料などを展示した“ 顕彰館 ”が設置された。 |
小野さつき訓導の殉職 |
大正 十一年四月、“ 小野さつき ”という女性が、宮城県 女子師範学校 を卒業し、この里にある宮 尋常高等小学校 の教師となった。 同年七月七日、彼女は、五時間目の授業のとき、自分が担任していた四年生の生徒を連れて、白石川の河原で 写生 をさせた。しかし、そのとき、暑さに 耐え かねた 数人の生徒が川遊びを始め、その内の三人の生徒が川に流されてしまった。 彼女は、生徒たちを助けるため、危険を 省み ずに川に飛び込み、まず、三人の内の二人を助け出した。さらに、彼女は、最後の一人を助けようと、川に飛び込もうとした。 疲労 でフラフラになっている彼女を見た生徒たちは、「 先生!もう、やめて! 」と 制止 したのだが、それでも、彼女は、 溺れて いる生徒を助けようとして、生徒たちの制止を 振りきって 川に飛び込んだ。 そして、何とか溺れている生徒のところに 辿りついた のだが、そこで 力尽き 、生徒を優しく抱いたまま、白石川の 激流 に飲み込まれて、生徒とともに 溺死 してしまったという。 現地で採集した情報
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顕彰館 探訪 |
これが、小野
訓導
。
顕彰館は、蔵王町の宮小学校の構内にある。上の写真は、宮小学校の入口。赤丸は、小野訓導殉職記念碑。 これが、宮小学校。
これが、顕彰館。
右の赤丸が、厳しいと評判の父である政治さん。左の赤丸が、兄の義勝さん。 これは、当時の職員の方たち。
これは、小野訓導が担任していた児童の卒業記念写真。
どの新聞かは不明であるが、当時の新聞の 切り抜き らしい。 上の写真は、多くの 弔辞 の中の一つ。明らかに誤りとわかる部分もあるが、 原文 のまま記述することにする。 コノオカネハ、ワタクシノ、オヤツヲ、十カノアイダ、パンニシテ、ノコシタ、オカネデス、コノオカネデオノウセンセンノ、オハカサンヱ、オハナヲアゲテクダサイマセ 九月九日 マシママサトシ
( このお金は、十日の間、私のおやつをパンだけにして残したお金です。このお金で、小野先生のお墓にお花をあげてください )
サクバン。オトウサンカラセイト、ヲタスケテ。ジブンガシンダ。オハナシヲ、キキマシタ。ボクハカナシクテナリマセン、オコズカイガ、一円アリマシタカラセンセイニ、アゲテクダサイ 七月十一日 横須賀諏訪小學校 二年生 磯部正夫
小野先生
( 昨晩、お父さんから、生徒を助けるために死んでしまった小野先生の話を聞きました。私は悲しくてなりません。 小遣い銭 が一円ありますので、小野先生にあげてください ) これも、多くの弔辞の中の一つ。
私の村は刈田郡白石より明治四年に百四戸の人が移住してきて、今は千戸ばかりの大きな村となりましたので、 刈田の白石ということを聞くにつけてなつかしい気持がして、 お父さんから立派な先生のお話をききまして感心をいたしました。 多くの人はその先生の様に自分の職務を重んじなければならぬと思います。 私は先生やお父さんからいつもきいておりますが、人は同情の心がなければならぬ、 人の喜びを喜び人の悲しさを悲しむのが、立派な人であるという事をきいております。 おこづかいに貰うてためてあるお金が少しありますから、 五十銭はおぼれて死んだ先生を弔うお線香に五十銭は死んだ児童のお墓に今見事に咲いているお花を買うてあげるように兄さんか姉さんの人に渡して下さい、 少しばかりですかどうか笑わないでお受取り下さい。 札幌郡白石村白石尋常高等小四年生
阿部久一郎
( 私の里は、明治四年、白石から移住してきた者たちの里です。“ 白石 ”という言葉を聞くと、何か
懐かしい
気持ちがいたします。今回も、お父さんから小野先生の話を聞いて、たいへん
感心
いたしました。先生たちは、小野先生のように、自分の仕事に責任を感じなければいけないと思います。私は、いつも、先生やお父さんから、『 人間には、
同情
の心がなければいけない。他人の喜びを自分の喜びとし、他人の悲しみを自分の悲しみとする人間こそが、立派な人間である 』と聞かされています。
小遣い銭から少しずつためたお金がありますから、五十銭は、死んだ小野先生を
弔う
お
線香
に、残りの五十銭は、死んだ生徒のお墓に
供える
花に使ってください。ほんとうに少しばかりのお金ですが、どうか笑わないでお受け取りください )
これは、衆議院野副重一さんの弔辞。
これは、宮城県会議長の弔辞。
これは、刈田郡長の弔辞。
これは、国語辞典“ 大言海 ”の編者である 大槻文彦 さんからの手紙。 御校訓導小野さつき殿殉難の報を聞き衷心感涙にむせびし、遺霊に供し度、些少ながら香資五拾圓送上申し然るべく御取計らひ之儀よろ敷く 大正十一年七月十五日 東京 大槻文彦
( 貴校の教師である小野さつき殿が
殉職
したとの知らせを聞き、心の底から悲しみを感じ、涙を流しております。少ない金額ではありますが、さつき殿の
遺霊
に供えていただきたく、
香典
として五十円を送付いたします。お
取り計らい
のほど、よろしく御願いいたします )
小野訓導生家の
謝辞
。
謝辞の原文と意訳を読みたい方。
これは、校務のために使用していた事務用品と教科書。
これは、夜、小野訓導が勉強のために使用した石油ランプ。
これは、小野訓導が愛用していた弁当箱と
箸
。
これは、小野訓導が愛用していた 懐中時計 。この時計は、午後1時36分23秒で止まっている。そのため、小野訓導が 遭難 した正確な時間を知ることができた。 この 袴 は、当日、小野訓導が 着用 していたもの。白石川に飛び込んで二人の生徒を助けた小野訓導が、三人目の生徒を助けようとしたとき、この袴の 結び目 がとけて 裾 が体にからまってしまった。そのため、泳ぐことができなくなり 溺死 した。 宮小学校の殉職報告書。
殉職報告書の原文と意訳を読みたい方。
宮小学校の構内の“ 顕彰館 ”で取材
平成19年7月25日(水)掲載
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