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それでも親子

将棋棋士・斎藤慎太郎さん 師匠に手紙、両親の勧めで

2018/12/14

1993年奈良市生まれ。小学1年生で将棋を始め、2004年にプロ棋士養成機関の奨励会に入会。18歳でプロに。今秋、第66期王座戦で中村太地王座(現七段)に勝ち、初タイトル獲得。

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は将棋棋士の斎藤慎太郎さんだ。

――お父さんは事業をされているそうですね。

「カレーハウスCoCo壱番屋のフランチャイズ加盟店のオーナーで、大阪で複数店舗を経営しています。小さい頃は忙しく、顔を合わせて食事したり遊んだりするのは週に1、2回あるかどうかでした。たまの休日にはトランプを教えてくれました。3~4歳の頃の遊び場は店の休憩室。私は変な子どもで、1カ月の勤務シフトを見るのが好きで暗記していたそうです」

「父は控えめなタイプで、どちらかと言えば寡黙。私は父の性格を受け継いだと思います。母は正反対で、明るくてお気楽。家族3人でいると、母がずっとしゃべっている時があります」

――将棋を始めた時、色々応援してくださったとか。

「最初は『興味があるなら教室に行ってみる?』と言い、東京で開かれるような将棋大会にも連れて行ってくれました。将棋に限らず、色々と可能性を広げてくれたと思います。ドラムも習っていました。少しでも私が興味を持ったことには機会を与えてくれようとしていました」

「やりたいことを否定されたことは一度もありません。棋士を目指すと決めた時もそうです。小学4年生の時、学習塾にも通っていましたが『将棋が一番やりたい』と直訴。子どもなりに大きな決断で、きちんとお願いしなくてはと思いました。両親は驚いたようですが、父は『失敗した時は店を継げばいいから』と送り出してくれました」

「師匠の畠山鎮七段に弟子入りをお願いする時も『手紙を出したら』と言われました。子どもでは考えつかないことで、今思えば両親が道を示してくれたのだと思います」

「ありがたかったのは、将棋について干渉されなかったこと。修業中は本気の勝負に負ける厳しさも経験しますが、暗い顔で帰っても何も言わず見守ってくれました。結構、放任主義でしたね」

――デビュー後はどんなサポートを。

「プロになった後は友人のような関係ですが、身だしなみについては教えてもらうことが多いです。両親と一緒にスーツを買いに行くこともあります。一人で服屋さんに入るのはまだ恥ずかしいので、安心します。先日も一緒に行ったところです。対局動画がインターネットなどで中継されることがあるので、整った姿でいてほしいようです」

――今年、王座戦で初タイトルを獲得しましたね。

「翌日にLINEで『お疲れさま』とか他愛もないやりとりをしたくらい。プロ入りの時も『良かったね』と言う程度でした。勝負は自分だけでなく相手もいる世界。勝って気を引き締めなければ、との考えが両親にもあるのかもしれません。家族では食事会をしただけなので、旅行にでも招待しようかと思います」

[日本経済新聞夕刊2018年12月11日付]

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