Dorothy Little Happyとしての8年の日々~高橋麻里インタビュー

Dorothy Little Happyの高橋麻里(筆者撮影)

 Dorothy Little Happy唯一のオリジナル・メンバーである高橋麻里が2018年12月16日に卒業する。

 2010年に宮城県仙台市で結成され、2011年3月16日にメジャー・デビューしたDorothy Little Happyは、東日本大震災以降の日本のアイドル・シーンと歩みをともにしてきた存在だった。

 「デモサヨナラ」「恋は走りだした」など、アイドル・シーンのアンセムを生んできたDorothy Little Happy。一方で、callme(現kolme)の秋元瑠海、富永美杜、早坂香美が2015年に卒業し、2017年には白戸佳奈が卒業するなど、メンバーに残った高橋麻里をめぐる状況は決して穏やかなものではなかった。

 卒業を前にして高橋麻里は何を思うのか。ある秋の日、彼女に話を聞くと、それは子どもから大人になった高橋麻里の物語だった。彼女はときにゆっくりと考えながら、自分が歩んできた道について語ってくれた。

Dorothy Little Happyの高橋麻里(筆者撮影)
Dorothy Little Happyの高橋麻里(筆者撮影)

2010年:メンバーに選ばれると思ってなかったんです

――芸能活動をやりたかったのはなぜだったのでしょうか。

高橋麻里  ちっちゃい頃からアイドルさんが好きで、モーニング娘。さんや松浦亜弥さんにすごく憧れていました。キッズモデル雑誌を見て東京のモデルのオーディションを受けたんですけど、書類審査で落ちてしまって。それから地元の冊子に、地元の事務所のキッズモデル募集が載っていて受けました。

――前事務所に入ったのは小学生のときですね。

高橋麻里  小学校5年生ですね。

――2006年頃ですね。その後、事務所内でB♭(ビィフラット)を結成します。

高橋麻里  最初、「ダンスと表現のレッスンのどちらかを選んでください」って言われて、実はそのときはダンスをやりたくなかったんですよ。それで表現のレッスンを受けていたら、ユニットが決まってダンスを始めたので、すごく苦労しました。ダンスを覚えないといけないし、歌わないといけないし。

――B♭では具体的にどんな活動していたのでしょうか。

高橋麻里  ショッピングセンターでライヴをしたり、ときどきライヴハウスに出たりとかですね。

――2010年にはDorothy Little Happyが結成されます。

高橋麻里  メジャー・デビューして全国で活躍するグループを作ろうと、Dorothy Little Happyが生まれました。でも、そのときはまだ「アイドル・グループを作ろう」とかじゃなくて、ほんとに「グループ」として作った感じでした。私たち、アイドルの意識が本当になかったんですよね。ダンス・ヴォーカル・グループで、ヴォーカルが2人、ダンスが3人という形で、昔のSPEEDさんみたいな感じでデビューしました。

――結成当時は8年もやると思いましたか。

高橋麻里  思わなかったですね。そもそも私、メンバーに選ばれると思ってなかったんです。だからヴォーカルで選ばれたときは、私の歌を評価してくれたんだって、すごくうれしかったです。

――その頃、歌には自信がありましたか。

高橋麻里  ちょっとだけ。でも、今みたいにはなかなか。

――今は自信がある?

高橋麻里  はい!(笑)

――いいですね!

2011年:爪痕を残せたんだ

――2010年8月4日に「ジャンプ!」でインディーズ・デビューをして、2011年3月16日には「デモサヨナラ」がエイベックスから出てメジャー・デビューしましたが、その直前の3月11日に東日本大震災が起きました。あのときは大丈夫でしたか。

高橋麻里  私は大丈夫でした。でも、震災の影響で「デモサヨナラ」は流通がされなかったんですよ。CDショップに並ばなかったり。私も当日の夜は避難所で過ごしたんです。食料を調達するのに必死でした。でも、当日は事態をあんまり把握していなくて、毎日のブログ更新が決まりだったので、心のどこかで「今日ブログってどうするんだろう?」って思っていました。活動再開したのは1か月後ぐらいで、チャリティーライヴとしてインストアでライヴをして募金を集めました。

――活動再開までの1か月間、どんな感覚でしたか。

高橋麻里  メンバーやスタッフさんはもちろん、ファンの方もすごく心配でした。ライヴも全部中止になって、「いつから活動できるんだろう、私たちどうなっちゃうんだろう」みたいな気持ちが大きかったですね。そのとき私の机の上に「デモサヨナラ」のポストカードを飾っていて、それを毎日見ていました。それに「3月16日リリース」と書いてあって、「私たちのデビュー、どこにいっちゃったんだろうな」って。みんなに会えない時期にブログを再開して、そこにみんなへのメッセージを書いていたんですけど、ちゃんと伝わっているのかなとすごく不安でした。あの当時って、「元気だよ」って自分が言っても、そういう状況じゃない人もたくさんいるんだろうなって思うと、どう発信していいのかすごく悩んだ時期でもありましたね。1か月後にライヴを再開したとき、どうやってステージに立つか、すごくみんなで話しあった記憶があります。

――結論としてはどうしたのでしょうか。

高橋麻里  やっぱ私たちにできることは、元気を与えることや、笑顔や小さな幸せを届けること。だから私たちは元気に、今まで通りにパフォーマンスをしようって決めました。

――その夏に「TOKYO IDOL FESTIVAL 2011」に出演して注目されて、いわゆる「見つかった」という状態になりましたね。

高橋麻里  ありがとうございます!

――そこで注目集まった実感はありましたか。

高橋麻里  まったくなかったですね。「TOKYO IDOL FESTIVAL 2011」の前は東京でライヴをする機会ってあまりなくて。いい意味でそんなに意気込んでなくて、「大舞台だけど私たちらしく歌を届けよう」みたいな感じで臨んで、数ステージに出させていただいたんですけど、ひとつ目のステージよりふたつ目のステージのほうが人の入りがすごかったり。そういうのを目の当たりにして、「何かあった、私たち?」みたいな(笑)。それでTwitterのフォロワーが、1日で1,000人ぐらい増えたんですよ。「どうしたんだよ」みたいな。「いえーい!」みたいな(笑)。

――うれしかったんですね。

高橋麻里  その後にトントン拍子で取材が入ったり、いろんなイベントに呼ばれたりとかして、そのときに「私たち、爪痕を残せたんだ」と実感しました。

2012年:自分たちの表現の幅が広がった

――2012年はシングルリリースの他に、初のツアーを行いましたね。

高橋麻里  2011年に見つかって、夢のような話がいろいろ続いて、だんだんDorothy Little Happyが好きだって言ってくれる人が増えた実感がすごくありましたね。そのときは気持ち的にもがむしゃらな感じでした。ただ、自分たちでDorothy Little Happyの良さをまだ実感していなかったところもあったんです。探り探りっていう感じですね、2012年は。

――自分たちの良さがわかるようになったのは、いつ頃でしょうか。

高橋麻里  私はシングルで「風よはやく」を出したときに、「私たちこういう曲を歌える!」って思いました。「TOKYO IDOL FESTIVAL 2011」で見つかってから出したのが「HAPPY DAYS!」っていう曲で、明るいアイドル路線だったので、そのとき賛否が分かれたんですよ。自分たち自身もどういうのがいいんだろうっていうのがわかってなくて。でも、「風よはやく」を出したときに、「うん、自分たちの表現の幅が広がったな」と感じました。

2013年:Dorothy Little Happyの輪を広げていこう

――2013年になると「colorful life」からベストテンに入るようになります。なぜベストテンに入るようになったと思いましたか。

高橋麻里  「colorful life」をリリースするときに、「次のシングルでは、絶対ウィークリーでオリコンに入りましょう」というのがチームとしての目標だったんですね。でも、私は入れると思っていなかったんですよ。リリース・イベントをやりながらも「これ、大丈夫かな」って思っているときもありました。でも、今自分たちにできること一生懸命やろうって思って頑張っていましたね。「オリコントップテンに入れる=枚数を売る」っていうことになってくると思うんですけど、それよりもひとつひとつのライヴで好きになってくれる人を増やそうっていう考えで私たちはやっていたので、それがDorothy Little Happyを大きくした理由だったのかなって思います。

――私があの頃、Dorothy Little Happyのファンの友達に「なんでDorothy Little Happyはベストテンに入るようになったの?」って聞いたら「Dorothy Little Happyがベストテンに入りたいって言ったから」って言われたんです。

高橋麻里  そうなんですよ。「colorful life」のときに買ったり、周囲に勧めてくれたりしたけど、私たちがいいパフォーマンスをしないと人にお勧めできないじゃないですか。だからそうやってDorothy Little Happyの輪を広げていこうって、ファンの方も、私たちメンバーも、スタッフさんもすごく思っていた時期でしたね。

2014年:子どもだったんでしょうね

――2014年にはcallmeが結成されます。callmeが結成されたときは、高橋麻里さんは正直なところどう思っていたのでしょうか。

高橋麻里  私自身もソロ活動で、ゲスト・ヴォーカルでライヴに出たり、寺嶋由芙ちゃんとユニット(ユフマリ)を期間限定で組むことになったりとかしたので、個々で活動できる場があると、もっとグループが良くなると思っていたので、すごくいいことだなって思いました。

――2014年はアルバム「STARTING OVER」が出て、その4曲目が「恋は走りだした」でした。アンセム化していきますが、シングル・カットされてないんですよね。

高橋麻里  「STARTING OVER」というアルバムができたときは、もうすごく気持ち良かったです。全部シングルにしてもいい曲が集まったんですね。そのときに、自分たちが表現したいことの正解が見えたんです。いろんな曲にチャレンジしようっていう時期でもあったんですよ。「STARTING OVER」っていうアルバムの意味も、原点に戻る、一からまた始めるという意味も込められていて、Dorothy Little Happyとしてどう表現するかをもう一度みんなで考えたアルバムだというコンセプトもあったんです。流れで聴いたら本当にすてきなアルバムに仕上がって、そのときに私たちの無限大の可能性を感じたんです。

――2013年のシングル「ASIAN STONE」から「STARTING OVER」にかけてのアートワークの洗練されっぷりも非常に印象的でした。

高橋麻里  正直な話を言うと、まだ良さがわかってなかったんです。言い方が悪いかもしれないんですけど、他のアイドルさんがきらびやかに見えたんですよ。都会感っていうか。でも、私たちって表現していることが「いえーい!」みたいな感じでもなくて、おしとやかな感じで。衣装も紺だったので、「これ、私たちアイドルとして大丈夫かな?」と考えていました。アップアップガールズ(仮)さんとかカラフルだし。

――今なら良さがわかる?

高橋麻里  はい。子どもだったんでしょうね。

2015年:今思うと悔しい

――2015年にはcallmeの3人が、中野サンプラザで卒業することになりました。3人が抜けることに対して、どう考えていましたか。

高橋麻里  すっごく悲しかったです。3人と素直に思いを伝えあえたかっていったら、そうじゃない部分もたくさんあったので、今思うと悔しいです。大人がいても話しあえる環境ができていたら、もっと違かったのかなとは思います。でもメンバー5人だけでやっていることではなくで、たくさんの方がDorothy Little Happyに関わっていたので、いろんなバランスが崩れちゃったっていうのも大きかったと思います。

――あの日のステージで高橋麻里さんは「私たちはアイドルだから」と言いました。あのとき、どういう心境でしたか。

高橋麻里  実はそのときの様子を鮮明には覚えていないっていうのが本音なんです。でも、自然と言葉が出てきました。あれが正解だったのか、間違いだったのかは、今でもわからないですし、いろいろな意見があると思います。でも、やっぱり大切なメンバーだったから、その姿を見たくなかったんですよ。それが本心かもしれないです。

2016年:個性がさらに前に出た

――2015年12月には2人体制による「Restart」が出て、2016年になると「バイカラーの恋心」が出ました。2人体制での活動はいかがでしたか。

高橋麻里  「2人でどうやって表現する?」っていう不安もあって、すごく悩んでた時期でもあったかもしれないです。

――その悩みはいつまで続きましたか。

高橋麻里  私はけっこう続きましたね。やっぱり5人と2人で比べられることもあったし。雰囲気で感じました。「自分たち、これからどうしよう」って悩みました。

――2人体制でのベストな回答は見つかったのでしょうか。

高橋麻里  今までの5人でやってきたことも大切にしながら、2人で新しいDorothy Little Happyとしてチャレンジできることをしていこうって、(白戸)佳奈ちゃんと話しあいました。2人だからこそできることを。たとえば私がメインを歌って佳奈ちゃんがハモるとか、私が歌って佳奈ちゃんが踊るとか、佳奈ちゃんがMCをして私が見ているとか。2人の個性がさらに前に出るようになったのかなと思います。

2017年:ちょっと大人になったんですかね

――白戸佳奈さんが次第に体調の問題で休むことが増えて、2017年7月23日のマウントレーニアホール渋谷で卒業公演となりました。白戸佳奈さんが抜けることは、高橋麻里さんにとってはどんな出来事だったのでしょうか。

高橋麻里  衝撃ですよね。耳をふさぎたくなるようなことで、嘘であってほしいと思いました。小学校のときからの先輩だし、一緒に頑張ってきた仲間ですから。

――そのとき、高橋麻里さんも辞めたくなりませんでしたか。

高橋麻里  あのときは、私も辞めたくなりました。でも、佳奈ちゃんが辞めるときに初めて、辞めるほうの気持ちもわかるようになりました。「うん、うん、佳奈ちゃん、そう決断したんだね」って。ちょっと大人になったんですかね。

――2017年7月23日に白戸佳奈さんの卒業公演があったものの、2017年8月27日の「@JAM EXPO 2017」で5人でのDorothy Little Happyが復活するという急展開がありました。高橋麻里さんが同じステージに立っていいと思ったのは、どうしてでしょうか。

高橋麻里  私、正直すっごい悩んだんですよ。やりたいなって思ったけど、やりたくないなとも思ったし、怖いなって思ったし。どう見られるんだろう、どういう意見があるんだろうと思ったんです。最終的にはみんなでまた新しい一歩を踏みだしたいなって思ったのがきっかけでしたね。

――怖いなと思ったのは、どういう怖さでしたか。

高橋麻里  今は別々に頑張っているのに、それが集まったら「おめでとう」の意見だけじゃないと思ったんですよね。「なぜ今?」って思う人もいたかもしれないし。

――それでも「やる」という選択にしたわけですよね。

高橋麻里  しましたね。何だったんだろう、どうしてだったんだろう。でも一番は、みんな大切な仲間だから、もう一回みんなで集まってお互いに進んでいきたいなと思ったのがおっきいかもしれないです。

2018年:すごく悩んでいましたね

――白戸佳奈さんの卒業以来、1年以上ソロでやってきましたが、感触はいかがでしたか。

高橋麻里  難しかったですが、すごく楽しい部分とか、自分が成長できた部分もたくさんありました。でも、今はソロのアイドルさんが少なかったり、みんなグループさんだったり、みんなが解散していったり、卒業していったりっていう時代もあって、自分の思うように活動できなかったっていうのもありますね。

――もどかしい部分もありましたか。

高橋麻里  ありましたね、やっぱり。シングルを1年以上出せないとか。

――2017年の「FOR YOU」以来出してないですよね。やっぱり悔しいっていう気持ちもあったりしますか。

高橋麻里  ありますね。シングルをいっぱいリリースしてたり、ライヴをやったりして頑張っている子を見ると、「自分は何でできないんだろう」って思ったときに、「やっぱり1人じゃ無理なのかな」って。すごく悩んでいましたね。

――今年の「TOKYO IDOL FESTIVAL 2018」では、寺嶋由芙さんがDorothy Little Happyを自分のステージに呼びました。あのとき高橋麻里さんは、「TOKYO IDOL FESTIVAL 2018」に呼ばれなかったのが悔しかったけれど、それをファンの人に言うこともできなかったとブログに書いていましたね。悔しいっていう感情を出すこと自体も、自分の中で止めてる状態だったのでしょうか。

高橋麻里  そうですね。「シングルを出したいよ」って言ったら、みじめだなって思っちゃったんですよ。今までいろんな作品を出してきたのに、今はできない。その理由を考えたときに「1人だからなのかな」と思って、それを言うと恥ずかしいなと思いましたね。実際の理由はそうじゃないのに。

「TOKYO IDOL FESTIVAL」に今年だけ出られないのもすごく悔しかったんですよ。でも、「出られなくて悔しい」って言ったところで、私というかDorothy Little Happyがそんなことを言っちゃ恥ずかしいなってすごく思っていました。

――高橋麻里さんは、自分のネガティヴな面を出すのは良くないというスタンスの人じゃないですか。そういうのは相当つらくなかったですか。

高橋麻里  つらいこともありました。「出してもいいのかな」って思ったりもしましたが、やっぱり「自分は出さないで頑張ろう」って考えていました。

私の卒業ライヴもDorothy Little Happyの大切なライヴのひとつに

――今後は声優ヴォーカル・ユニットのKleissis(クレイ・シス)はもちろん、高橋麻里ソロでも歌っていきたいでしょうか。

高橋麻里  歌いたいですね。私は歌うことが好きなので、Dorothy Little Happyを卒業しても、歌うことをやめたくないなって思っています。それがどういう形になるのかは、自分自身でまだ悩んでいるんですけど、みんなにまた歌を届けたいなって思っています。

――Dorothy Little Happyでやってきたことはどういう形でいかせそうですか。

高橋麻里  私の98%ぐらいは、Dorothy Little Happyでできたものだと思っているので、卒業するからといって、それをなくすっていうことじゃないと思っていて。これからも今まで通りの私らしい表現で、歌を届けられたらいいなって思っています。

――卒業公演が12月16日に秋葉原P.A.R.M.Sで開催されます。そのとき自分がどんな気持ちになると思いますか。

高橋麻里  私、Dorothy Little Happyを卒業するっていう実感がまだなくて。だから、いい意味で明るく楽しく、今まで通りの私でステージ立てるんじゃないかなって思っています。今までの感謝の気持ちを、皆さんに伝えられるライヴにしたいし。みんなにとって大切なライヴになったらいいな。Dorothy Little Happyにとっての大切なライヴって、私は更新されていくものじゃないと思っているんです。どれが一番良かったライヴかっていうよりは、どの時代のどのライヴもすてきだったと思う。その中のひとつに私の卒業ライヴもなったらいいなって思っています。

Dorothy Little Happyの高橋麻里(筆者撮影)
Dorothy Little Happyの高橋麻里(筆者撮影)

※高橋麻里さんの「高」の正式表記ははしごだかです。