文化輸出品としてのマンガ-北米のマンガ事情-第1回「北米市場規模と現在の状況」

そして先月、業界側のその変化を端的に表すと思われる記事6が出た。トーキョーポップのシニア・バイス・プレジデントのマイク・ケイリー(Mike Keily)氏が、「(カテゴリーとしての)マンガとは何か?」という質問に答えた記事である。

質問者は、「マンガ」カテゴリーの中に、アメリカ人原作者とオーストラリア人マンガ家が描いアメリカ産マンガがあることに混乱して「マンガとは何か」と尋ねた。カイリー氏は「私見だ」としながらも、「(何がマンガで、何がマンガでないかの)区別をつけるのは意味がない」と答え、「ジャンルや対象年齢で区別されている(書店の)棚のほうが(中略)消費者にとって親切だ」と述べた。

トーキョーポップと言えば、アメリカで2002年に「100% Authentic Manga(100%ホンモノのマンガ)―品質第一公式商品」(カッコ内は筆者による翻訳)というキャッチフレーズをつけて、マンガを日本語版オリジナルに近い形で売り出し、日本マンガ人気に火をつけたと言われる出版社だ。そもそも北米のマンガファンは「日本産以外の作品を“マンガ”と呼ぶべきか否か」で長い間議論を繰り返しており、ケイリー氏の発言は当事者としてその議論に辟易したために出たものとも取れるが、自社の出版する作品が“「manga」であること”を売り文句としてきた出版社から、その分類は消費者に不親切で意味がないという発言が出たことは、ある意味象徴的だ。

北米のマンガ離れとも見える現在の状況の背景には様々な要因があると考えられる。しかしそれとは別に、この状況はいくつかのあたりまえの事実を示しているようにも見える。それは、たとえ「クール・ジャパン」という言葉が喧伝するように、日本産マンガに文化を超える普遍的な魅力があったとしても、商品として外国の市場で他の商品と競合していくことにおいて、ほかの輸出品と何ら変わりがない、という単純な事実だ。そして更に言うと、北米には北米の社会的、文化的文脈があり、マンガに対する認識も需要も違うという当然の事実である。

日本で「マンガ」とはメディアの総称だが、北米で「マンガ」は上に述べたように異論はあるものの、「日本産のコミックス」または「日本産マンガの視覚的スタイルを持ったコミックス」のことを指す。つまり、名称ひとつ取ってみても日本と北米では意味が違う。それは北米のマンガが日本からの輸入品であっても、そしてそれが文化を超えて愛されているときでも、”コマやフキダシを持つ、絵で語るメディア”(または「連続的芸術(sequential art)」)7が日本とは異なる社会的・文化的背景を持つ国の中で需要されている限り、あたりまえのことだ。

もともとマンガが輸出品として海外進出することになったのには、日本の生産者側が自ら海外に積極的に売り出したのではなく、海外から発見され、乞われる形で海外に出ていったという経緯がある。そのせいか海外でのマンガ人気を語るときは、海外でも愛される「クール・ジャパン」な文化として、日本との需要の同質性がクローズアップされがちだ。

今回、本連載の題名に「文化輸出品」という言葉を入れたのはマンガの「文化」と「商品」の両方の側面からマンガを見ることでマンガを「クール・ジャパン」の呪縛から解き放ち、日本の外での受容のされ方や認識の違いに自覚的でありたい、という気持からである。

日本と比べると、とても小さい北米のマンガ市場。これからもその市場について、色々と書かせていただくつもりなので、どうぞお付き合いください。

6 “Graphic Book Best-Sellers: What is Manga?”
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http://artsbeat.blogs.nytimes.com/2010/10/22/graphic-books-best-sellers-what-is-manga/> October 22, 2010
7 スコット・マクラウド 『マンガ学』 岡田斗司夫監訳、美術出版社、1998年