元横綱大鵬の納谷幸喜さん(享年72)の死去報道では、昔懐かし「巨人、大鵬、卵焼き」のフレーズが故人の代名詞となっていた。本人が現役時代はこれを好まなかったという話とともに伝えられたのだが、引退後はひそかなお気に入り言葉になっていたようだ。
2006年、「巨人・大鵬・玉子焼きツアー」が企画されて話題になった。実施したのは何と読売グループの会社。両国国技館で秋場所を見て、築地の老舗「丸武」(テリー伊藤氏の実家)の玉子焼きを食し、東京ドームで巨人-阪神を観戦するというメニューだった。ツアーの狙いなど詳しいことは忘れてしまったが、「元横綱大鵬のお墨付き!」とうたわれた上、巨人抜きの「大鵬・玉子焼きコース」まであったから、大鵬ありきの企画にほかならない。当時の納谷さんは相撲協会を定年退職し相撲博物館長をしていた。相撲人気回復の一環としてツアーにお墨付きを与えたのか。
子供が好きなものとして並べられた「巨人、大鵬、卵焼き」。納谷さんの人生を振り返った日本経済新聞の連載「私の履歴書」をまとめて01年に出版された著書のタイトルは、まさにそのフレーズだ。
世の中、流行にはアンチテーゼがあるのが常で、同書で納谷さんは「だれが言い始めたか分からないが、『大洋、柏戸、水割り』というのもあった。これは、大洋(現横浜)が三原脩采配で優勝した昭和35年以降のことだが、『大人の好きなもの』という裏言葉だったという説がある。一本気で豪快、けれんみのない柏戸関の相撲が玄人受けした証拠でもある」と書いている。
昭和35年(1960年)といえば、大鵬が初場所の新入幕から関脇まで駆け上がり、九州場所では優勝まで遂げてしまった破竹の勢いの年。2歳年上の柏戸はこの年に大関となり、大鵬の先を行っていた。プロ野球では6年連続最下位だった大洋が“三原マジック”で優勝。昭和30年代、ウイスキーはハイボールにして飲むのが流行していたが、後に水割りが主流となる。兄弟子格の柏戸の豪気な相撲、負け犬軍団を一変させた希代の勝負師監督、ソーダで割らないウイスキーはいずれも大人の香りを漂わせていたのかもしれない。
そして昭和50年代には新たな反語として「江川、ピーマン、北の湖」がささやかれる。巨人入団時の騒動でダーティーなイメージがついた江川卓投手、強すぎる上に不敵な面構えや態度から「可愛げがない」と評された横綱北の湖、子供が食べたがらないピーマンは、いずれも憎まれっ子のような存在だった。
だがピーマンはともかく、江川氏も北の湖親方も気さくでマスコミへのサービス精神に富んでいた。筆者が新人時代、オフのゴルフ大会に出場したプロ野球選手へのゲリラ的なアポなしインタビューを試みると、ひと言聞くや手を振って過ぎ去る大物もいる中、江川氏は「後でちゃんと広報の許可取っておいてよ」と言いながら取材に応じてくれた。北の湖親方も理事長になる以前、報道陣が役員室の前に集まっていると「オッ、今日は何があるんだ?」と気さくに声をかけていた。
江川は巨人のエースに君臨し、北の湖は大鵬の横綱昇進最年少記録を更新。ピーマンはオムレツの具になったりして“卵焼き”に進出。「大洋、柏戸、水割り」よりはこの三者の方がポピュラーだろう。