夫婦喧嘩の声が聞こえるとカメラを回した
—— 最初に砂田さんが映画監督を志したきっかけから聞かせてください。
砂田麻美(以下、砂田) はい。まったく職業的なものとしてではなく、カメラを回した記憶があるのは、中学生の時ですね。
—— 初監督作の『エンディングノート』には、かなり昔の映像も使われていたそうですが、最初にカメラを持ったのは、いつ頃だったんでしょうか。
※エンディングノート:ガンに冒された父親を見守り続ける家族の絆を描いたエンターテインメント・ドキュメンタリー
砂田 『エンディングノート』で両親がケンカしているカットなどは、その頃に撮った映像を使っています。
—— お父さんが「会社のお金も使って飲んでるんだから!」みたいにお母さんと口論しているところを、淡々と撮り続けているシーンですよね。
砂田 映像を編集する機材はないので、家にあったビデオカメラを持ち出して、ビデオカメラのRECボタンのON/OFFだけで、映像をつなぐようにして撮っていましたね。
—— あれが中学生の頃というのが驚きなんですけど、ほかにもあんな映像をたくさん撮っていたんですか?
砂田 そうですね。私は兄姉と年が離れていたので、わりと一人っ子に近いような感じで、家のなかで一人で遊んでいたんです。両親のケンカというのは、子供として気持ちいいことではないわけですけど、愚痴る相手もいなくて。そのうちに、夫婦喧嘩の声が聞こえてくると、撮影するようになりました。
—— その頃から、仕上がりまで意識しながら撮ってたんですか?
砂田 そこまで意識的ではないんですが、たとえば、ケンカしている両親の顔を交互に撮りますよね。その間に、飼っていたコロっていう犬がおびえる姿をはさみこむと、なんだか自分が見ていることと別の世界がつくられるのがおもしろかったんです。目の前で起こっているリアルなことが、少しファンタジーっぽくなるというか。
今だったらあとで編集できるけど、当時は一発勝負。そういう意味では、中学生の頃の方が、今よりもっと考えながら撮っていたかもしれません。
—— 映像の仕事を志したのはいつ頃ですか?
砂田 小学校高学年か中学生になったくらいから、テレビドラマにものすごくハマったんです。当時はドラマの全盛期で、視聴率40%超えの番組もよくあって。本や音楽など、いろんなもののなかで、一番自分の感情を揺り動かすのが映像だったんですね。なので、自分も将来、そういうものをつくる側の人間になりたいっていうのは、わりと小さな頃から考えていました。
—— なるほど。両親のビデオもドキュメンタリーのつもりではなく、テレビドラマみたいに撮ってみようって発想だったんですね。
砂田 そうですね。最初のきっかけはドラマです。その後、大学時代に映像をやりたいと思って入ったのが、ドキュメンタリーのサークルでした。もしも最初に映画研究会に出会っていれば、フィクションの方をやっていたと思うんですけど、たまたま縁があったのがドキュメンタリーだったんです。そこで初めてカメラを持って世界へ飛び出し、撮ってきたものを編集することのおもしろさに触れました。大学時代はずっとドキュメンタリーばかり撮っていましたね。
—— どんなものを撮っていたんですか?
砂田 ……あまりお伝えできるような代物じゃないというか。でも最初に撮ったのは、事故で記憶喪失になった男性のドキュメンタリーで、それは今でもよく覚えています。
就職浪人中、追い詰められた時期に出会った「映画」
—— 大学卒業後はスムーズに映画の道に入ったんですか?
砂田 いえ、学生時代はずっとドキュメンタリーばかりやっていたので、あまり映画っていうものが自分の身近にはなかったんです。就職活動をするにあたって、ドキュメンタリーならテレビ局だろうと思ってたくさん受けたんですが、全部落ちてしまって。就職浪人みたいなこともしたんですけど、それでもだめだったんですよね。
—— でも、その後、岩井俊二監督や是枝裕和監督の下で「映画」の仕事に携わるようになるわけですよね。
砂田 はい。よっぽど自分はテレビに向いていないんだなって思っていた頃に、ビデオを借りて、映画をものすごくたくさん観るようになったんです。とにかく時間だけはありましたから。映画と出会ったのが、そういう自分が若いなりに悩んで、一番精神的に追い詰められていた時期だったんですね。同じ映像でも、こんなに違うものがあるんだっていうことに衝撃を受けて、自分がそれまで抱えていた違和感とか、そういうものが一気に取り払われました。
—— やりたいのは映画だ、と。
砂田 自分がやりたいのは映画だったんだって気づいてからは、一気に方向転換しようとしたんですが、そううまくいくはずもなく。テレビ局と違って、映画のスタッフってほぼ全員がフリーランスなんです。まったく知り合いもいなくて、何から始めていいかわからなかった。
—— 未経験者が求人に応募して入るような業界ではないんですね。
砂田 結局、ひとまず内定していた一般企業に入社したんですが、入社式の日に後悔しましたね。やっぱり違った。自分はこういうふうにサラリーマンをしたいわけじゃなかったって。その会社は1年後の3月31日に辞めました。
それから映画のメイキングの仕事をしたりして、ちょっとずつ、ちょっとずつチャンスを探して。20代後半になってやっと、岩井俊二監督の会社で働くことができたんです。やっと、そこからですね。本格的に映画の仕事を始めたのは。
(次回、1月7日公開予定)
構成:宇野浩志、撮影:喜多村みか
砂田麻美監督が描いた映画『夢と狂気の王国』は、新宿バルト9ほかで、絶賛全国公開中。
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