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【二月二十一日 ある死刑囚の記録】

(21)永山基準の例外に

ところどころに付箋が張られた恵喜の裁判記録。湯山は深夜まで読み込んだ

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 「変な弁護士だなぁ」。二〇〇四年八月、加納恵喜(けいき)は初めて面会した湯山孝弘を値踏みしかねていた。恵喜が後に湯山本人に明かしている。

 カネにはならず、勝ち目もありそうにない最高裁での国選弁護を引き受けた東京のセンセイ。髭面(ひげづら)で、丁寧とはいえない口ぶりでこんなことを言う。「弁護士じゃなくて、俺という人間とちょっと話そうや」

 やがて恵喜は面会に立ち会う刑務官にこの「変な弁護士」を「友だち」と紹介するようになる。

 二十代のころ、友人の劇団に参加していた湯山は主役に照明を当てるピンスポットがうまかったそうだ。三十歳で弁護士になると、花形の企業法務で辣腕(らつわん)をふるい、三年で独立、若手弁護士二人を従えて、都心に事務所を構えた。

 ITバブルの寵児(ちょうじ)と評された企業の顧問も務めたが、カネのためのいざこざに奔走する日々に疲れ、ふと気付く。「別にひとりでもいい。自分の好きなことをやっていこう」。ライトは浴びるより当てる方が性に合う。

 そんな湯山が恵喜の裁判記録に目を凝らして感じたのは名古屋高裁での死刑判決の不可解さだった。

 死刑が求刑された事件で裁判官が必ず参考にする「基準」がある。十九歳の永山則夫が四人を射殺した事件で、一九八三年に最高裁が示した「永山基準」。殺害の手口は残忍か、前科はあるか、被害者は何人か、遺族の感情はどうか、など九つの要素をにらみ「やむを得ない」場合だけ、死刑を選べる、とされた。

 別段、何人殺せば死刑、といったふうに明瞭な線引きができたわけではないが、この後、死刑の選択にあたり、量刑の相場が形づくられていく。

 湯山が恵喜の弁護人となって間もない〇四年十月、日弁連が永山基準が示されて以降の判例を研究した報告書をまとめている。例えば、犠牲者が一人の殺人事件。誘拐や保険金目当てなど計画性が高いか、以前に無期懲役刑で服役し、仮釈放中に起こした場合をのぞき、死刑を宣告された事例は皆無だった。

 もっとも、調査期間は〇三年まで。〇四年二月、初めての例外が起きていた。恵喜のケースだった。 (敬称略)

 

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