与謝野馨元財務相が死去 政界きっての政策通

与謝野馨元財務相が死去 政界きっての政策通
政界きっての政策通として知られ、自民・民主両政権で閣僚を務めた与謝野馨元財務大臣が亡くなりました。78歳でした。
与謝野馨氏は、歌人の与謝野鉄幹と晶子の孫で、中曽根元総理大臣の秘書などを経て、昭和51年の衆議院選挙で初当選し、衆議院議員を10期務めました。

政界きっての政策通として知られた与謝野氏は、自民党時代には官房長官や通産大臣などの重要閣僚や党の政務調査会長などを歴任し、麻生内閣では、一時、財務、経済財政担当、金融担当の3つの閣僚を兼務しました。

自民党が政権を失った後、平成22年4月に、「政界再編が必要だ」などとして、平沼・元経済産業大臣らと「たちあがれ日本」を結党し、共同代表に就任しましたが、その後、当時の民主党政権への参加をめぐる党内対立から離党しました。

消費税率の引き上げによる財政再建が持論で、菅内閣に経済財政担当大臣として入閣し、「消費税率を10%に引き上げる」とした「社会保障と税の一体改革」の案を取りまとめました。

与謝野氏は、咽頭がんの影響で声を失ったことなどから、平成24年の衆議院選挙に立候補せず、政界から引退しました。その後も論評活動を続け、ことし1月には、みずからのホームページで、「アメリカのトランプ大統領の動きは予想しがたい」として、日本の経済的実力の強化を訴えていました。また、与謝野氏本人が強く要望したことなどもあって、自民党は、先月末付けで復党を認めました。

一方、与謝野氏は、囲碁や写真、パソコンの組み立てなど、趣味が多彩なことでも知られました。平成19年には、民主党の代表を務めていた小沢一郎氏と対決し、永田町の囲碁の実力者どうしの対局として注目を集めたほか、選挙用のポスターの撮影を与謝野氏に依頼した人もいたほどでした。