【箱根駅伝予選会】中大、11位!87回連続で途切れた

2016年10月16日6時0分  スポーツ報知
  • 中大・町沢は地面に倒れ込み、スタッフに抱えられる
  • 11位に終わり箱根駅伝連続出場が途切れた中大は、円陣を組んで来年のリベンジを誓った
  • 応援団に結果を報告する中大・藤原監督(左)

 ◆第93回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会(15日、東京・立川・陸上自衛隊立川駐屯地~国営昭和記念公園=20キロ)

 名門中の名門の中大が10時間17分1秒の11位に終わり、上位10校に与えられる本戦出場権を逃した。10位通過した日大とはわずか44秒差。88大会ぶり、戦争による中断があったため年数で言えば93年ぶりに箱根駅伝から伝統の「C」が消える。大東大が10時間8分7秒でトップ通過。前回、10秒の僅差に泣いた国士舘大が9位で3年ぶりの復活を果たした。前回優勝の青学大などシード10校、予選会通過10校、オープン参加の関東学生連合の計21チームが来年1月2、3日の本戦に臨む。(天候・晴れ、気温19度、湿度47%、スタート時、観衆4万1520)

 白地に赤のC。箱根路で数々の栄冠に輝いたユニホームが立川で屈辱にまみれた。中大のランナーたちの足取りは重かった。エースの町沢大雅(4年)は10キロ過ぎに日本人の先頭集団から遅れ、個人15位。大きな貯金を作れなかった。主力以外はチーム一団となり、設定ペースでレースを進める「集団走」が予選会の基本戦術だが、中大の集団は10キロ手前で瓦解した。

 運命の成績発表。最後の1枠「10位、日大」のコールが響いた瞬間、選手は泣き崩れた。1925年、元号で言えば大正14年から脈々とつないできた伝統の赤いタスキが途切れた。44秒足りずに93年、88大会ぶりの歴史的敗戦を喫した。

 「これが現実。すべて私の責任です」と藤原正和監督(35)は険しい表情で話した。町沢は「貯金を作るはずが借金を作るような走りをしてしまった。申し訳ない」と頭を下げた。

 1996年を最後に優勝から遠ざかり、近年はさらに低迷。2013年から4年連続でシード権を逃した。今年4月、世界陸上マラソン日本代表3回の藤原監督が就任。OBの切り札に再建が託されたが、難航した。

 昨年まで中大では3、4年生は原付バイクの所有が認められていた。箱根駅伝を目指す大学の陸上部として異例の“緩さ”だった。「私の学生時代にはなかったことだが、いつの間にか上級生はOKになっていた。我々は体を動かすことが基本。バイクはやめるようにと説明した」と指揮官。しかし、一部の学生は「エンジン回さないといけないんですよ」と反論したという。本来、自身の体のエンジンを回すべきランナーとしてはあまりに低レベルだった。

 6月、全日本大学駅伝関東予選会で17位と惨敗。「就任当初、このままでは予選会に負けると思った。それが確信に変わった」と危機感を抱いた指揮官は主将を4年生の新垣魁都から1年生の舟津彰馬へ交代する荒療治を行った。「雰囲気が変わり、ようやく9月に突破のチャンスが出てきた」(藤原監督)が、遅すぎた。チームに染みついた“緩さ”を完全に払拭することは難しかった。

 目指すは2018年の箱根駅伝。「気持ちは切り替えています。ウジウジしている間に他大学は先に行ってしまう」と舟津は懸命に前を向く。名門復活へ、長く、苦しい日々が始まる。(竹内 達朗)

 ◆中大 1920年創部。これまで箱根駅伝には20、24年を除いた全大会に出場していた。優勝(14)、連続優勝(6)、出場回数(90)、連続出場(87)の最多記録“4冠王”の名門。20年は準備不足、24年は前年の関東大震災の影響で出場を断念しており、予選敗退で欠場するのは今回が初めて。出雲駅伝、全日本駅伝はいずれも2位が3回。タスキは赤。主な陸上部OBは1999年世界陸上男子マラソン銅メダルの佐藤信之(現亜大監督)、リオ五輪男子400メートルリレー銀メダルの飯塚翔太(現ミズノ)。

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