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大震災直後、東北に臨時便を飛ばし続けた航空会社、その日のトップの決断

トラベルボイス 3月11日(金)16時20分配信

【秋本俊二のエアライン・レポート】 臨時便を東北へ!逃げ遅れた乗客を「3.11」直後から輸送しつづけたジェイ・エアの物語(上)

東日本大震災から5年。あの「3.11」発生直後に、逃げ遅れた人たちを輸送するため東北へ臨時便を飛ばしつづけた航空会社があった。大阪・伊丹を拠点にローカル路線を運航するJALグループのジェイ・エアだ。社長として同社を率いた山村毅氏(現在はJAL執行役員・貨物郵便本部長)に当時を振り返ってもらいながら、知られざるドラマを再現する。

地震発生 ――仙台/伊丹運航予定の機材は?

ジェイ・エアは1996年、JALグループのローカル路線を担う会社として設立され、県営名古屋空港を拠点にネットワークを展開してきた。2010年1月のJAL経営破綻後は、不採算路線の縮小を中心にグループの路線計画が見直され、ジェイ・エアの運航便は伊丹空港を拠点に路線を再構築する。2011年2月28日には、名古屋から大阪・伊丹へ本社移転も完了した。東日本を巨大地震が襲ったのは、その直後だった──。

「3月11日は、ジェイ・エアの本社に伊丹空港や関空の両支店長など大阪地区のJALグループ関係者が集まっての連絡会が開かれる予定でした。スタートは午後3時で、みんなすでに会議室の席につき、そろそろ始まるというときに地震が起きたんです。午後2時46分で、そのとき社内でJALの本社(天王洲)と電話していた社員が『天王洲はものすごい揺れみたいです!』と声をあげました。その後、震源は宮城県の三陸沖だと情報が入り、それで大阪まで揺れるというのは阪神大震災を上回る規模の大震災ではないかと愕然とした記憶があります」


予定していた会議は中止に。集まった関係者も、急いでそれぞれの持ち場に戻っていく。山村氏がそのとき考えたのは「うち(ジェイ・エア)の飛行機はいまどこにいるのか?」ということだった。スケジュールを調べると、1機(エンブラエルE170=76人乗り)は仙台空港でステイしているはずの時間だったという。

「その便の機長に、会議の前に社内で会ったことを思い出しました。いまから仙台へのフライトだという彼は、機材整備の関係で出発が2時間ほど遅れると話していたんです。その遅れがあったため、彼の飛行機は仙台には降りていない。上空でコクピットに地震の情報が入ったそうで、伊丹に戻ってきました」

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最終更新:3月14日(月)10時59分

トラベルボイス

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