【萬物相】申京淑

 全羅北道井邑市の井邑駅では、今でも午後11時55分にソウル行きの電車が発車する。小説家の申京淑(シン・ギョンスク)氏は16歳のときに井邑市の故郷の村を離れて上京した。電車に乗るため夜更けに家を出ると、母が追いかけてきた。駅までは真っ暗な6キロほどの山道を歩かねばならなかった。母は、娘のため数カ月はもちそうなほどのおかずを詰めた風呂敷包みを頭に載せて先を歩いた。娘はプラットホームに立つみすぼらしい母が恥ずかしかった。早く電車が出ることばかりを祈った。娘は知らなかった。日付が変わるころに電車が発車した後、夜道を一人で歩いた母はどれほど恐かっただろうか。30年が過ぎ、娘はようやくそこに思い至った。

 申京淑が23日、盗作疑惑をめぐる波紋に対し「読者に心からお詫びする」と謝罪した。「全てきちんと目配りできなかった私のせいだ」とも述べた。盗作が指摘されてから8日目にしての謝罪だった。問題となった短編小説『伝説』を作品集から外すとしたほか、文学賞の審査委員を退き自粛の時間を過ごすと明かした。そして「私は小心者で恐がりな方だ」と述べた。

 小説家の殷熙耕(ウン・ヒギョン)は、しなやかなフェンシング選手のような印象を与える。彼女が読者の心に向けて振り回す刃は、それが過ぎ去ったことも分からない。後になって血が染み出すのを見て気付く。「殷熙耕の文章に切られたんだな」と。いつからか、小説家の孔枝泳(コン・ジヨン)は町外れに追い立てられた難民を代弁するヒューマニストのように思える。周囲には社会の変革に関心を持つ読者が少なくない。その思想に従う人も多い。彼女たちと同年代だが、申京淑は違う。動きがゆっくりで、注意深く、口数が少ない。申京淑が小心者で恐がりな方だと言ったとき、彼女と初めて会ったスケトウダラ鍋の店をふと思い出した。彼女は運転がうまいと聞いて不思議な気がした。

 申京淑は盗作を認め、謝罪するのに先立ち『伝説』を4回も読み直したという。21年前、それを執筆しながら自らの手で故・三島由紀夫の短編小説『憂国』を書き写したとは今でも信じられないようだった。「どんなに思い返してみても『憂国』を読んだ記憶はないが、もはや私も自分の記憶を信じられない」と本音を吐いた彼女は、井邑駅でのあの夜のように消え失せている記憶の彼方が恐ろしいようだった。

 作家にとって「盗作」の烙印は天罰よりも恐ろしい。平山申氏の集姓村(本貫・姓を同じくする人が集まり住んでいる集落)で長女として生まれた申京淑は、これからその恐ろしい烙印とともに歩まなければならない。「雷の中に立っている」ようであり「熊手鍬(ぐわ)で足を突き刺したい気分」だが、作品を甕(かめ)に入れておくとしても書くことをやめないと語った。他人がどう言おうとも、80代の老母は娘を慰めるだろう。「大丈夫だ、京淑、大丈夫」

キム・グァンイル論説委員
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