The Cattle Museum
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東北地方の厩猿信仰
  中村民彦 京都大学霊長類研究所共同利用研究員

 私は、牛小屋・馬小屋に猿の頭蓋骨や手の骨を祀り、牛や馬の安産や健康、厩の衛生などを祈願し、厩猿を保管しているたくさんの事例を見てきました。私の研究は、「厩猿信仰に伴う頭蓋骨の調査による口承と生息分布域の相関関係」という難しいタイトルが付いていますが、東北6県に残っている厩猿を拾い集めて、当時のニホンザルの生息地域との関係を調べています。1797年の岩手県史による馬の数は、一世帯に1.5頭です。仮に全ての世帯に猿の頭や手が祀られていたとすると、厩猿信仰のために多くの猿を捕殺したと考えられます。このことを証明しようとしている訳です。
 調査の方法ですが、まず一斉調査をします。岩手県では、数年前に学生を使って、各農家に無作為に訪問し、厩猿やその情報の有無を聞き取りました。また、教育委員会や博物館、資料館に電話で問い合わせしたりもしました。その結果、東北地方で50事例の厩猿が見つかりました。「厩猿を持っています」という所有者には、私が単独で予備調査という形で面談して聞き書きをします。その時、大事なのは、所有者の精神です。「何故こんな気持ちの悪いもの捨てなかったんですか?」と聞くんです。すると、「こうこうこういう理由があって捨てられなかった」と応えてくれます。それが一番重要な口承の調査です。そして、集まった情報を地図にプロットして、厩猿信仰の残留地域にニホンザルが昔生息していたのかいなかったのかという相関関係を調べます。厩猿は秋田、岩手から多く発見されております。現在東北地方で猿が生息している地域は、厩猿の少ないところのようです。今回は、合同調査(本調査)ということで遺伝子学専門の先生や、形態学、生態学の先生方と当館の先生方も一緒に調査を行っています。

 なぜ、猿が牛馬の守り神かという話をします。別に猿でなくても馬の守り神はたくさんあります。妙見様や馬頭観音等、滝沢村のチャグチャグ馬ッコは蒼前さんです。こうした神様があるのに、なぜ猿なのでしょうか。また、馬の守り神であると共に、猿が神様であるという信仰があります。山王信仰、庚申信仰などです。集落の境に庚申という石碑をみかけると思います。庚申講の旗や掛け軸を見ると三猿の他に集落の名前、三ヶ月、太陽が描かれています。この三ヶ月と太陽の中に人という字を入れますと、「火」になります。火申という幟もみられますが、庚申と同じ意味と考えられます。庚申講は北斗七星と関係しているという文献もありますが、よく分かりません。しかし、庚申の勉強をしないと厩猿との関係も分かりません。そこで女性だけの庚申に参加させて頂きました。「オコウシンデ、オコーシンデ、マイタリ、マイタリ、ソワカ」という呪文を唱えるわけですが、多いところで108回呪文を唱えています。一小節終わると大豆を一つあげます。大豆でカウントしているんです。他に稲の茎でカウントしているところ、米の粒でカウントするところがあります。私は、庚申の目的は五穀豊穣を祈願するためのものと考えていますが、地域によって講のやり方も変わってきているのではないかと思っています。掛け軸をかけて講を行うわけですが、祭壇に、榊と灯明と賽銭、庚
■牛馬安全札
於呂閉志胆沢川神社
(岩手県胆沢町)
申団子などを供えてお祈りが始まります。掛け軸は、馬と青面金剛です。何を意味するのか訪ねると、ここの庚申はちょっと変わっており、雨乞いの庚申でした。馬の掛け軸が2つあり、1枚は黒毛、もう1枚は赤毛です。黒毛の馬には雨を、赤毛の馬には晴を祈願するそうです。馬に晴雨を祈願して、猿には何を祈願したのでしょうか。青面金剛には疫病にかからないようにとか色々なことを祈願して集まって講を起こしているわけです。そこで庚申講と厩猿の関係も調べている訳です。
 他の事例で、鳥居があり青面金剛(猿田彦)の横に耳をふさいでいる猿の石碑があります。稲荷様に猿をまつっているところもあります。秋田県では漁港の中に島があり、猿は馬の守護神でなく大漁の守護神になっています。僕は信仰が広がっていくのはかまわないと思っているんですが、まさか漁港に猿の石碑があるとは思ってもみませんでした。次も秋田の事例で、石碑に庚申、太平山、田の神と書いてあります。この石を猿小石と呼んでいます。山岳信仰では猿のことを山のオヤジといいますので、全て猿に関係する石碑が建っていることになります。これらは全て天然石です。私は庚申信仰の石碑の建立年月日も調べています。どの時代に一番多く、庚申塔が建てられたのかを調べて、その時代の背景を探ろうとしているんですが、1600年代から1800年代が多いようです。大凶作、飢饉のときに、お金がなかったにもかかわらず五穀豊穣を願って庚申の石碑を自然石でどんどん建てたのでないかというふうに考えています。
 絵馬の金具の上に掛けている布ですが、「くくり猿」といって猿を表しています。今でも「さるぼぼ」や「くくり猿」を作って、集落から出て行くお嫁さんにさしあげます。どうしてかというと、安産のお守りです。このように猿を信仰している場合もあります。昔の人は猿に色々な願いを込めていたことが分かると思います。
■厩 猿
千田テル氏所蔵(岩手県胆沢町)

 ここから厩猿の話ですが、「ウマヤザル」でなくて、所有者が「マヤザル」といいますので、「マヤザル」と発音するのが良いと思います。前沢町の志和さんのお宅の厩猿は煤で黒ずんでいます。8歳前後の雄猿の頭蓋骨です。お話を聞くと、建て直す前の家は築300年くらいの直家だったとのことです。厩猿を調査するとこの時代のものが多いようです。厩猿信仰ですが、猿と厩猿の関係を陰陽道で説明した吉野先生の防火説、柳田国男の放牧牛馬の管理説、また面白い説として落人の願望説など色々な諸説、仮説があります。しかし、これらの方々はほとんど事例を見ていないと思います。私は、猿曳き物語にでてくる「天竺から猿が飛んできて厩の御祓いをする」というところがルーツなんだろうと考えています。そして、天明の飢饉や天保の飢饉などの体験から五穀豊穣を願い、祈雨、祈晴を猿にお願いして、また馬の安産や健康を願って祀っているのでないかと推測し、調査しています。
■厩 猿
宍戸直美氏所蔵(岩手県北上市)
 信仰の本質を探るには馬祈祷師に会って、直接話を聞くのがよいのですが、現在では不可能です。そこで新聞社が当時の厩祈祷を再現した写真を説明しますと、厩の前に祭壇をしつらえています。また、馬に乗った蒼前の明王と猿を刻んだ御幣も見えます。御幣と札を飾って祈祷しているようです。ろうそくは1本。祈祷師は烏帽子をかぶって、衣に似た着物を着て、右手には鈴を持っています。経文とも呪文とも祭文とも付かないものをとなえますが。それが「天竺から猿が飛んできて厩のお祓いをする・・・」というものなんですね。なぜ、右手は鈴なのかと言うと、猿のことを別名、スズノミコトといいます。チャグチャグ馬ッコの鈴も猿だと思います。そして、鈴が荒ぶる馬を鎮めるのではないでしょうか。当然、厩祈祷師は猿回しも兼ねていました。猿を厩の前につれてきて、牛馬の健康、安産・安全を祈願したのです。やがて祈祷師も猿回しも来てくれない時代になり、牛馬を飼っている人は、生きた猿から死んだ猿の頭蓋骨をまつるようになります。祈祷師、猿回し、頭蓋骨と祀り方が変化した訳です。厩猿が手に入らない人はオジロワシの足や熊の手で信仰している場合もあります。遠洋漁業の方が持ってきたのか、外国産の猿の手と思われるものを祀っている事例もあります。
■胆沢町における調査風景
当然、頭蓋骨や手が手に入らない人は、絵馬やお札をまつる様になります。
 厩猿の祀りかたは、針金で吊って馬小屋の柱に吊しているところが多いようです。どちらかというとあんまり大切に保管されていないように見えます。木の祠に入れたうえに石の祠に入れて大切にまつっている人もいますが藁でくるんだりしているところは多くありません。藁で包む事例は豊作に関係するのではないかと推測しています。薬に使ったのか一部欠損した厩猿をお持ちの方もいます。猿は、薬や信仰、肉など、様々なものに使われてきましたが、現在は実験動物や有害駆除など猿の扱い方も変わってきています。

ごあいさつ サルと人の関わり 形態学からみたサル 遺伝学と厩猿 資料