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  •  広島城から現在の広島市東区愛宕町に移築されたとみられる江戸時代後期の土蔵が、近く解体される予定だ。原爆に耐え、城下町時代の面影をとどめる数少ない史料。所有者も「残してもらえるなら譲りたい」と話している。 土蔵は間口2間(3・8メートル)、奥行き3間(5・7メートル)の2階建て。老朽化で瓦が落ちる危険もあり、所有する同区尾長西の重谷昌江さん(72)がマンションへの建て替えを決めた。早ければ今月にも解体するという。 重谷さん宅では「明治初めに広島城の『ごさん』の蔵をもらい受けた」と言い伝えられてきた。広島城の歴史に詳しい広島大大学院の三浦正幸教授(日本建築史)は「確定はできないが、良質な角材を使った梁(はり)など内部構造から城内の蔵にまず間違いない」とし、「御三(ごさん)」から三の丸にあったと推測する。土蔵の調査を続ける西区の建築士加藤早苗さん(62)も軒瓦の模様から城内の蔵とみる。 「貴重な史料で解体は将来に悔いを残す」と三浦教授。だが城を管理する市文化財課は「確証がなく文化財指定に至ってない。そのため保存の予算づけはできない」と言う。 重谷さんは「歴史的な意味も考え残してきたが、これ以上放置できなくなった」と話している。
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      【中国新聞】